山村で生きるということ
松島貞治
道路財源をめぐる論争が繰り広げられたが、終始、暫定税率の維持、道路財源の確保を訴え続けました。
泰阜の村長は、福祉に熱心で道路財源の一般財源化に賛成するはず、どうして道路財源にこだわるのか、という意見もいただきます。わが村の実情では、福祉サービスのために道路がいるし、いまだ幹線道路が整備されていません。道路整備が地域の活性化に結び付くかどうかわかりませんが、当面、世間と同じ土俵で語れるような基盤整備は必要と思っているだけです。
私は、いまの政党のように一貫した政治理念や方針を持っているわけではない。
つまり、いい加減な人間で、山村に生きるものとしてこうなってほしいという意見を述べているに過ぎません。
市町村合併推進のとき、最終的に合併しない道を選びましたが、将来の財政状況を予測できたわけではありません。泰阜で生きてきたおばさんたちがいう、苦しくても泰阜のままがんばった方がいい、という声を大切にしただけです。それは、専門的知識はないけれど、山村に生きる人間の体感から発せられる言葉の中にこそ真理があるのだろうと思うからです。
村は、19の集落に分かれ、その自治組織によって運営されています。そのうち二つの集落は、あと10年集落として維持できるかどうか、といった状況です。今年は、ゼロ予算事業「生涯現役集落懇談会」で、この二つの集落に職員が入り、これからのことを考えます。
少し前、集落の再編を考えたことがあります。しかし、再編をしても基本的なことは変わりません。これは、市町村合併と同じです。過疎の山村が市になっても、その山村が飛躍的に発展したか、というとそうではないことと同じです。
となると、そこに住むと決めた人がいる限り、工夫しながら暮らしていくしかないということです。すなわち、そこに住む価値を認めてあげることです。テコ入れすれば、集落機能が改善するわけではなく、将来消えていきますが、その現実を受け止め認めることにしました。
私自身が山村に生きながら、これからの村を考えるとき、大事にすべきは、山村に生きる住民の生活者としての皮膚感覚、言いかえれば、暮らし感というのでしょうか、そんなものです。
市町村合併も、そんなことしない方がいい、という感覚の方が実は現実を直視しているのです。集落機能は落ちてもわずかな国民年金でも山なら暮らしていける術を知っている高齢者の方が強いのです。
格差社会、山村が都市に追いつくことはできません。いままで追いつこうとしたことが間違いでした。山村は、山村らしく生きることが必要です。
それを言葉にすれば、それは覚悟ではないでしょうか。先行き不透明な時代で、将来のことはわかりません。しかし、福祉を大切にして社会のためにがんばった先輩たちを大事に見送り、効率を求めず、お金や物に振り回されず心豊かに生きる山村が見捨てられるような国だったら何の魅力もありません。これからもこの厳しい現実を直視し、泰阜村が一日でも長く存在できるよう考えていきたいと思います。
(長野県泰阜村村長)