特別企画「安保と沖縄」第三部「ポスト普天間合意」6回続きの(2)

7)「沖縄懇話会」
(96715日付)

◎「公私とも面倒見てやれ」
 道を開いた財界大御所

 「その言葉を(本土側の人から)聞きたかった」
 大田昌秀沖縄県知事は、あいさつを終えた諸井虔・秩父小野田会長の手を握り、満面に笑みをたたえながら礼を述べた。昨年十月、那覇市内で開かれた本土と沖縄の経済人による沖縄懇話会は、前月起きた米兵の女子小学生暴行事件で悪化した県民感情の尾を引きずっていた。

▽「中山学校」
 そんな雰囲気の中で諸井会長が本土側を代表して立ち上がった。隣には大田知事が座っている。
 「私は沖縄と付き合い始めて短い期間だが、(皆さんの)気持ちが分かるような気がする。本土復帰後も在日米軍基地の七五%を背負い、政府に何とか改善してほしい、と働き掛けたが『駄目』の繰り返し。政府への不信感が高まり、県民がいらだっている気持ちは私にも分かる。できるだけ協力する」
 諸井会長の言葉は、大田知事が初めて聞く本土有力者の生の声だった。

 沖縄懇話会は、沖縄が抱える諸問題を積極的に取り上げ、同時に文化や地域社会の発展を図ろうと、本土と沖縄の経済人の交流の場として一九九〇年十月発足した。
 設立の立役者は、かつて「財界四天王」の一人と呼ばれた中山素平氏(現日本興業銀行特別相談役)と元日本精工会長の今里廣記氏(故人)の二人。牛尾治朗経済同友会代表幹事が言う。
 「南部戦跡を見て回った二人から『大変苦労したんだな。二十一世紀の沖縄をどうするかよく考えてやれよ。公私とも面倒見てやらないとかわいそうだ』と言われた」
 懇話会の本土側メンバーは「中山学校の生徒」と言われる経済同友会の会員が主体。
 今年六月七日、東京・丸の内の日本工業倶楽部で開かれた懇話会の幹事会は、沖縄県が打ち出した「国際都市形成構想」と二〇一五年の米軍基地全面返還のスケジュールを示した「アクションプログラム」に話題が集中した。基地問題が話題になるのは初めてだ。

▽基地問題で激論
 本土側「要は基地問題で沖縄が協力しないと難しいんではないか」「二〇一五年までの返還要求は過激過ぎないか」

 沖縄側「県は二〇一五年を固定して考えているわけではない」

 本土側「日米安保をどう考えている」

 沖縄側「応分の負担はするが、現状は過大な負担だ」「大田知事は一言も安保に反対とは言っていない」

 本土側幹事は国際都市形成構想についても、優先順位や(実現の)可能性の問題を取り上げ、「構想の中には地元にとってマイナスになるのもある。沖縄をどうまとめるか大切だ」と迫った。
 懇話会は「沖縄のファンクラブだが、きついことも言う。弱点を誇張して言っては駄目だ」(牛尾代表幹事)。
 幹事会は相当激しいやり取りになったようだ。「立場が違うのだから当然のこと」(稲嶺恵一県経営者協会長)だが、一時期と違って互いに腹を割って話せるようになった、という。

 沖縄問題は、基地の返還スケジュールと跡地利用という経済問題を「両にらみ」(諸井会長)しながら進めなければならない難しさがある。沖縄懇話会の役割は何か。諸井会長は「本当の気持ちを掌握した上で、政治と行政に働き掛ける」と、積極的に対応する意向だ。
 沖縄返還時の官房長官を務めた竹下登元首相は「情緒的になってはいけない。逃げない」と語り、自民党の沖縄調査会を実質的に仕切る野中広務事務総長(幹事長代理)も「沖縄の心を解きほぐすことから始めなければならない」と言う。
 調査会は跡地利用や総合振興対策の検討を本格化させたが、片付けなければならない課題は難しくて多い。

(共同通信編集委員 尾形宣夫)