【社説・論説T「復帰記念式典」】

◎なぜ盛り上がらないのか



 政府主催の沖縄復帰二十五周年記念式典が二十一日、沖縄県宜野湾市で開かれる。
 式典で橋本竜太郎首相は、基地問題で沖縄のこれまでの苦しみに十分目を向けなかったことを改めてわびるとともに、二十一世紀に向けた新生沖縄の発展の第一歩を踏み出す具体的な振興策を自らの言葉で明らかにするだろう。首相はこれまでも再三、沖縄振興の重要性に言及しているが、より前向きな施策を期待したい。

 二十八年前の一九六九年十一月二十一日、当時の佐藤栄作首相と米国のニクソン大統領との間で沖縄返還協定が調印された。二年半後の七二年五月、沖縄は本土に復帰した。
 本来なら、県民挙げての祝賀式典となるはずだが県民の関心は薄い。逆に社民党など県議会与党三党が式典出席を拒否するなど反発さえ呼んでいる。
 復帰を記念するのであれば五月の返還日を念頭に置くのが常識だ。それが沖縄返還協定が調印された十一月二十一日延ばされた。
 確かに四月から夏にかけて日米首脳会談をはじめ中央省庁再編問題や、主要国首脳会議(デンバー・サミット)など内外の政治日程が立て込んでいた。さらに九月には橋本首相の自民党総裁としての任期が切れる。
 加えてこの間に、沖縄の米軍基地強制使用問題に絡んだ特別措置法改正、基地使用期限切れが挟まっていた。特に沖縄問題では昨年来、国と沖縄県との緊張関係が続いており、元首相も式典開催の意義に否定的だった。

 橋本首相が急きょ式典開催を決めたのは、日米間で合意した基地返還計画の着実な実施と沖縄振興策の推進に当たって首相の誠意を重ねて表そうというものだろう。首相はその日を、日米間で武力を伴うこともなしに平和裏に沖縄の返還を決めた返還協定調印日とした。
 ところが沖縄には違った見方があった。返還協定は日米安保条約の事前協議制度運用での不明瞭さが明らかだし、核問題では「密約が交わされた」(社民党沖縄県連首脳)。よりによって、その日に式典を開く政府の意図を考えざるを得ないというわけだ。
 式典の一カ月後には名護市民の住民投票が行われる。普天間飛行場の移転候補地となった名護市では、海上基地建設をめぐって賛否両派が激しい対立を続けている。
 首相が直接沖縄に乗り込んで沖縄全体の振興策に言及する最大の目的は、劣勢の建設是認派を盛り立て形勢逆転につなげようという狙いからだろう。
 首相にしてみれば、クリントン米大統領との間で合意した沖縄の米軍基地返還計画が予定通り進むか否かは、沖縄問題も含めた日米関係に重大な影響を及ぼすとの認識だ。
 返還計画の第一弾が普天間飛行場の名護市への移転であり、これがスムーズに行われるかどうかが記念式典にかかっている、と言っても言い過ぎではない。

 政治日程は窮屈だったが、復帰の五月を避けて来年度予算編成時期を目前に日程を組んだのは、基地問題への協力を狙ったものだろう。経済振興に欠かせない来年度予算がどうなるかだけでなく、沖縄県が模索する長期的な振興策にも政府の全面的な協力が必要になるからだ。
 政府は基地問題と経済振興問題をリンクさせないと明言しているが、沖縄ではこの言葉を信用している人はごくわずかだ。記念式典は極めて政治的色彩の濃い意味を持つことになる。

 大田昌秀知事は先ごろ、沖縄の将来展望を込めた産業振興計画を橋本首相に提示した。しかし政府は、県案の二〇〇五年をめどにした全島フリーゾーン構想に否定的なのをはじめ、税制面での優遇措置にも冷淡だ。県案を見た首相が事務当局に前向きに検討するよう指示しているが、現実に立ちはだかる壁は厚い。
 国民だけでなく、霞が関(中央省庁)の沖縄への関心が急速に冷め出したのは、沖縄問題が「政治」から「経済」に移ったと思われているからだ。だが式典は、沖縄問題の政経不即不離を国民に示すだろう。
 
(97年11月21日付)