【核心評論】

1)【代理署名拒否】(95年11月28日付)


◎安保にらみ模索始まる
 答え次第で政府不信増幅



 村山富市首相と大田昌秀沖縄県知事の二回にわたった会談と、第一回沖縄米軍基地問題協議会が終了、女子小学生暴行事件に端を発した米軍用地強制使用の代理署名拒否と基地縮小などの 問題は、解決策を模索する具体的な歩みを始める。
 基地問題協議会の下に設置された幹事会は、「米軍基地の整理縮小」「日米地位協定の見直し」といった沖縄が提示した五項目の要求を検討する。だが、いずれも日米安保条約の根幹に触 れるだけに、沖縄の意向を取り込みながら米政府とどう調整を図るのか、極めて難しい出発となる。
 一連の会談と協議会で村山首相らは、日本政府の対応策を繰り返し説明。その上で「国は県民の目に見える形で(基地問題を)解決したい。実りあるようにしたい」(野坂浩賢官房長官) と結んだ。
 大田知事は政府側との折衝を終えた後、「組織的には評価できるが、(論議が)どう実るか」が問題だとの認識を示し、政府に具体的な対応を求めた。
 
 知事には苦い思い出があると県幹部は言う。
 前任の西銘順治知事が代理署名をした後を受けた、前回(一九九一年五月)の強制使用裁決申請書の公告・縦覧を代行した際、当時の関係閣僚が基地縮小を「約束してくれた」ことが決め
手になった。
 だが「約束は守られなかった」(同幹部)。基地問題を話し合うはずの在沖縄米軍を交えた三者連絡協議会はほとんど機能していないという。
 日米首脳会談に備えた「安全保障に関する共同宣言」は、クリントン大統領の訪日延期で先送りとなった。だが宣言案は、安保条約の役割を従来以上に拡大するなど、沖縄には我慢できな い内容だった。
 沖縄が米軍占領下の五六年六月発表された、米下院の沖縄軍用地問題調査団(団長=メルビン・プライス民主党議員)の勧告は、「沖縄がわれわれの世界的規模にわたる防衛の不可欠の一 部をなしている」と、その存在理由を記している。難航する軍用地問題は、この後、いわゆる「島ぐるみ闘争」に発展した。
 大田知事が、今回明らかになった宣言案の内容に、四十年前のプライス勧告が透けて見えたとしても不思議ではない。
 朝鮮戦争に始まりベトナム戦争、湾岸戦争と、沖縄の戦略的価値は住民の不安をよそに変わることはなかった。基地公害は自由主義陣営の安全保障の名の下に軽視され、「基地との共生」 すら政府高官の口から飛び出した。
 六八年十一月、嘉手納基地でB52戦略爆撃機が墜落、大爆発。県民は沖縄戦の悪夢を呼び起こし、B52撤去の「ゼネスト」に向け走り出した。
 当時、琉球政府主席の屋良朝苗元沖縄県知事は、県民生活に甚大な影響を与えるスト回避のため、「政府の言質をなんとか引き出したい、と考え上京した」と回想録に書いている。
 佐藤栄作首相をはじめ、当時の関係閣僚からは期待する答えはなかったが、最後に会った木村俊夫官房副長官の「言葉」に「(B52)撤去の感触」を得て、ゼネスト回避につなげた。
 このときの元知事の感触を、マスコミは「うるわしき誤解」と書き、木村副長官は「(屋良さんは)あえて政治的誤解をしてくれた」と話した。政治的誤解は一年後実現した。
 ゼネスト中止は、県民生活の大混乱をすんでのところで救った。大田知事はもとより、こうした事実を知っている。
 大田知事の代理署名拒否問題で、日本政府の対応のまずさが指摘されている。沖縄への財政援助の拡大や軍用地代の上乗せが言われているが、基地問題の突破口を見つけるのに腐心した政
府の「懐柔策」と受け止められている。
 大田知事がもし、屋良元知事のように「政治的誤解」をするとすれば、そこに導く政治家が今いるかどうかだろう。
 当面の政局に揺れ続ける村山内閣に、政治力を期待するのは無理かもしれない。政府が一年以内に示す「答え」次第では、沖縄の政府不信を一層増幅させかねない。

 (共同通信編集委員 尾形宣夫)