☆沖縄の本土復帰から25年目の日が目前に迫った。現状を見ると、沖縄返還を決めた政治的思惑が交差する。舞台裏を探った。


評論企画「沖縄復帰25年」3回続きの(上)「返還の“密約”」

◎隠された共同声明の真実
 背後に冷徹な米の冷徹な戦略



「今の沖縄問題や安保問題を見ていると、沖縄返還交渉と全く同じだ。外交とは相手から最後に何をもぎ取るかの戦いだ」
 沖縄返還交渉をめぐる二十八年前後の動きをそばで見続けた複数の関係者は、当時を思い出しながら言った。
 一九六九年十一月二十一日午前(ワシントン時間)発表された日米共同声明で、沖縄の七二年本土復帰が正式に決まった。共同声明は「核抜き・本土並み」をうたい上げたが、日米安保条
約の事前協議制の不透明さが残り、経済問題の項目も重大な意味を含んでいた。

 ▽首相が懐からメモ

 共同声明をまとめるに当たって核の取り扱いは決着が付かず、その部分だけを「空白」とし、佐藤栄作首相とニクソン大統領とのトップ同士の会談に任された。一通りの会談を終え、大統
領執務室隣の小部屋で二人だけの話し合いが行われた。
 首相は懐からメモを取り出して「これでどうだ」と示したが、大統領はメモを見もしないで了承した、という。既に大統領の耳には、水面下での折衝を続けてきたキッシンジャー補佐官が
、日本側の密使との間で取りまとめていた内容が伝えられていた。
 関係者によると、メモには核兵器の「通過」「再持ち込み」が具体的に書いてあった。

▽若泉氏著書で証明

 「核問題」に言及した共同声明の第八項目は、大統領が日本の特殊な感情や政府の政策に理解を示し、日米安保条約の事前協議制度の米国の立場を害することなく沖縄返還を日本の政策に
反しないよう実施することを首相に確約した、となっている。
 つまり、大統領は復帰時点での「核抜き」を約束したが、その後の極東情勢次第ではどうするかは触れていない。
 だが、共同声明発表後に行われたナショナル・プレスクラブでの講演と質疑の中で首相は、朝鮮半島の有事に対し、事前協議に前向きに対処する意向を明解に述べている。
首相の密使役を務めた学者の若泉敬氏は、生前の九四年五月に出した著書で、佐藤首相とニクソン大統領の間で秘密の合意議事録が交わされた事実を明らかにしている。推測の域を出なか
った日米の「密約」が、このとき初めて証明されたわけだ。
 沖縄返還問題が劇的に登場したのは、六五年八月の佐藤首相の沖縄訪問だが、このころ、米側は極秘裏に返還問題の検討を始めていた。
六九年三月十日、首相は参院予算委で初めて「核抜き・本土並み返還」を表明する。

▽「繊維」決着を約束

返還実現にまい進する日本側から、米側は結果的に核問題と事前協議で担保を取り、併せて米側の重大な関心事「繊維問題」の早期決着を日本側に約束させた。
 だが繊維交渉は難航、米政府の期待は裏切られた。二つの「ニクソン・ショック」と呼ばれた七一年のドル防衛措置と翌年のニクソン訪中は日本の外交、経済に大打撃を与える米政府の報
復だった。結局、日本は繊維製品の対米輸出自主規制に踏み切らざるを得なかった。
 表面上は、極めて友好的に行われた日米首脳会談だったが、舞台裏は冷徹なまでの米側の「計算」があった。
 昨年四月、東京で行われた橋本龍太郎首相とクリントン大統領の日米首脳会談で発表された日米安保共同宣言は、日米防衛協力の新しい出発点となる。沖縄米軍基地の整理・統合策で合意
しているが、宣言はアジア太平洋地域での紛争抑止機能として日米安保強化が不可欠、とする新時代の日米同盟を確認した。
普天間飛行場の全面返還など日本が求めた基地整理・縮小を受け入れる代わりに米政府が獲得したものは大きい。

(共同通信編集委員 尾形宣夫)