核心評論

9)【5年前の教訓】(96年9月7日付)


◎「人質」となった経済振興 
自立の担保求める大田知事

 今、沖縄県首脳部の脳裏をよぎっているのは一九九一年五月、就任間もない大田昌秀知事が米軍用地強制使用の公告・縦覧代行に応じた経緯ではないだろうか。二度と同じ轍(てつ)を踏みたくない、が本音だと思う。
 「反基地」を掲げ、公告・縦覧に応じないことを約束して当選した大田氏は、期限切れが迫った沖縄の特別措置法の延長と、振興開発計画の策定という問題に直面していた。知事の対応いかんでは、法律の延長と振興計画に重大な影響が予想される。
 政府と自民党の攻勢は、当然のごとく「しつこかった」(県幹部)。
 
▽陰湿ないじめ
 県首脳は圧力がどんなものであったか言葉を濁すが、時限立法の沖縄振興開発特別措置法の延長は国会にかけられており、同法に基づく第三次振興開発計画(一九九二―二〇〇一年)の策定作業が続いていた。
 そんな中で「圧力は政治、行政、あらゆる方面から知事に向けられた。陰湿ないじめだった」という。
 経済振興を「人質」とした形での攻勢に、就任直後の大田知事が耐えられるはずがない。結局、基地縮小に対する政府の「約束」を頼りに代行に応じるしか選択の道はなかった。
 だが、知事が期待した基地縮小の約束は全く守られなかった。
 五年前の、この教訓を大田知事はどう生かそうとするのか。
 沖縄をアジア交流の拠点に据えた「国際都市形成構想」と、その前提としての「基地返還アクションプログラム」の実現を最大限政府に認めさせ、併せて広範な規制緩和を手にすることである。
 国際都市形成構想は今後、実現可能性を探る一方、具体的な計画の作成に進むだろう。基地返還計画も、移設条件が付いているものの四月に十一カ所の整理・統合で日米間が合意している。
 前回(九一年)と違うのは、一つには基地縮小問題を協議する日米間の交渉テーブルができ、一方、沖縄県も含めた政府部内の組織が活発に活動していることだ。加えて、自由貿易地域の拡充・強化の調査など沖縄経済の振興策が徐々にではあるが打ち出され始めた。

▽基地縮小は難航
 だが、肝心の米軍基地の整理・縮小は移転先の受け入れが難航、早期の解決は望めない。
 大田知事が具体的な基地の縮小スケジュールがないまま政府の「誠意」を認めるとも思えない。だが、県民投票の結果が最高裁判決および政府対応との「綱引き状態」になったとき、知事はその先をどう読むか。
 大田知事の最終決断は、基地の整理・縮小の感触をどうつかむかに絞られたと見てよさそうだ。
 日米交渉で日本側が「最終案」として米側に提示している、普天間飛行場の嘉手納飛行場への統合案に米側は難色を示している。仮に統合案で合意した場合、知事はどう受け止めるのか。
 また、日米交渉の行方に予断は禁物だが、過去に劇的な政策転換をしてきた米国が、衝撃的な決断をしないとは言い切れない。
 
▽迫られる決断
 アジアを含めた国際情勢もあるが、日米両政府が五―七年後の全面返還という「時間的余裕」をどう計算するか。
 現在、米側が固執する「基地機能」はこの間保証され、次の段階として新たな安全保障体制の模索も考えられるからだ。さらに、地方自治が尊重される米国が、沖縄の県民投票の結果を見る目は日本と同じとは限らない。
 九一年は経済問題が人質となって大田知事の「苦渋の決断」につながった。今回は、八月二十四日沖縄を訪問した自民党の加藤紘一幹事長が、振興策と基地の強制使用問題は切り離して努力する意向を明らかにし、「基地」と「経済」の取引はない、との見方を示した。
 しかし、早ければ今月十九日の日米安全保障協議委員会の結果を受けて出ると予想される大田知事の決断が先送りされると、基地強制使用の特別立法が再度浮上しかねない。
 その場合、政局への波及は必至で、政治的判断を要する沖縄振興策が足止めを食う事態だって予想される。
 最高裁判決に続く県民投票の結果は、最後に橋本龍太郎首相の政治決断を迫る場面につながるのではないか。

(共同通信編集委員 尾形宣夫)