⑤【理念なき政治を憂う】

◎改革は政治主導の真価問う


 中曽根康弘元首相が引退した。自民党の五大派閥、三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘各氏)最後の領袖だった。
 小泉純一郎首相(自民党総裁)から今総選挙での公認辞退を求められ、やむなく議員引退を決めた中曽根元首相は、議員生活一番の思い出として、一九八〇年代に手掛けた「国鉄・電電・専
売公社の民営化」を挙げた。当時首相官邸の記者クラブで行革の顛末(てんまつ)を見た思い出が鮮烈によみがえってくる。
 財界の荒法師と呼ばれた経団連(日本経団連)名誉会長の土光敏夫氏(故人)を三顧の礼をもって臨時行政調査会(第二臨調)会長に迎える一方、田中元首相の懐刀の後藤田正晴氏を官房長
官に据え、改革に抵抗する自民党内の族議員や各省庁へのにらみを利かせた。
 膨大な債務を抱えた旧国鉄の分割・民営化は、今に当てはめれば動き始めた道路公団・郵政事業民営化問題である。四半世紀前の改革は絶妙な政治主導で実現した。中曽根改革は、政治主導
の何たるかを教えている。
 土光氏は政治嫌いでも有名だった。その土光氏を、最も政治色の濃い課題に取り組ませたのは危機的な財政状況だった。
 臨調会長就任間もないころ、横浜市鶴見区の自宅に土光氏を訪ねたある夜だった。
 何故、中曽根氏の要請を引き受けたのか。
 「今、行財政改革に道を開かねば日本の二十一世紀はないんだ。増税なき財政再建をやらねば日本の将来はない」
 行革への飽くなき執念。だが、機会主義的なまでの「風見鶏」政治家の中曽根氏への不安がないはずはない。「(中曽根氏は)増税なき財政再建を約束してくれた」。土光氏はこの約束をメ
モ書きした紙を常に懐に持っていた。中曽根氏の信義を信じたという。
 旧国鉄の分割・民営化は難航した。労使一体の抵抗、改革派幹部の左遷、民間出身の総裁も妥協を余儀なくされた。そんな状況を突破するため中曽根氏は自ら乗り出し総裁を更迭、国鉄擁護
の運輸族も押さえ込んだ。財界も土光支援で結束した。半面「増税なき財政再建」は困難を極め、後に竹下登首相の消費税導入につながる。
 戦後間もない国会で「緋縅(ひおどし)の鎧」の若武者と言われた中曽根氏は終始、国家像を追い求めた。戦後の精神的荒廃を立て直そうと、沖縄返還に心血を注いだ末次一郎氏らと協力、
戦後処理にも奔走する。そして「戦後政治の総決算」を旗印に行革、憲法、教育、日米関係など国家経営の再構築に挑んだ数少ない理念型政治家だった。
 翻って現状はどうか。道路公団改革に小泉首相の経綸(けいりん)を感じられない。政治理念と指導性を見ることもできない。ブッシュ米大統領の力の政治に入れ込む小泉政治は、中曽根型
政治の延長線とは言えない。
 小泉首相は政治に飽きたらなさを感じる国民を引き付ける「劇場型政治」を演出してみせた。安倍晋三幹事長の誕生、中曽根、宮沢喜一両元首相の引退など今回の総選挙ほどショーアップさ
れた選挙はあっただろうか。踊る総選挙は冷静に見詰めねばなるまい。

(沖縄タイムス 2003年11月9日付)