⑫【沖縄問題の源流】

◎事大主義排し、自己主張を


 三年程前になるが、沖縄基地問題で講演した稲嶺恵一知事の話の中身が不満で苦言を呈したことがあった。事務方が用意した書面を棒読みし、問題の本質が聞く側に伝わらなかったからだ。
数日後、知事から職場に電話があった際、過日の失礼をわびた。日本記者クラブが、東京・内幸町の日本プレスセンター開いた講演だったが、この五月末、同じ場所で再度、知事の話を聞くフ ォーラムがあった。
 知事の話は前回とまるで違った。ほとんど原稿に目をやるでもなく、基地問題の現状を、日米地位協定の側面から身ぶりを交えながら熱く話した。
 度重なる米兵の犯罪、基地を発生源とする土壌汚染など環境問題に、沖縄県は手を打つこともできない。頼みとする政府は、地位協定改定の要求に条文の運用改善を繰り返すばかりで、目新 しい進展はまるでない。
 一九九五年秋の少女暴行事件をきっかけに、凶悪犯罪の扱いで若干の改善はあったが、それとて「米軍の好意的配慮」を前提にしたものだ 
 知事らによる全国行脚で、米軍基地がある都道県議会は、要請に応えて日米両政府あての地位協定改定要求を決議。国会でも超党派で地位協定改定を求める動きがある。その面では、沖縄の 事情が少しではあるが理解されつつあるのも確かだ。
 だが政府の対応は鈍い。
 「日本の中に外国がある」「基地問題は国の問題です。県だけの問題ではありません。政府は外交・安保問題を真剣に検討したことがあるか疑問です」
 知事は講演で、一向にらちが明かない現状を、こんな言葉で語った。
 はらわたが煮え返るような事件・事故への国民の反応は素早い。が、地位協定問題は、その重要性は別として、どれほど国民的な関心を呼ぶかは、はなはだ心もとない。
 国民の無関心を、フォーラム主催側の一人は、沖縄と本土の「距離の壁」と言ったが、それよりも、米国に抱きかかえられながら歩んできた、戦後日本の歴史がそうさせているのではないか

 激動の六〇年安保の幕閉じは、国民のエネルギーを経済に転化させた。反安保の闘士は表舞台から消え、また、余る情熱を企業の中核として燃焼させた。経済成長を支えた「企業戦士」の生 きざまが、国民意識の変化を表している。すべてが「経済」に集中した時期である。
 こんな世相は、国民意識の多様化・個人主義の台頭と相まって、基地問題を意識の対象から遠ざけ、問題を希薄にした。そして、沖縄基地だけが極東・アジア情勢を理由に取り残された。時 計の針を戻すことはできないが、長い間に培われた認識の落差が大きい。「距離」だけの問題ではない。
 九六年暮れの日米特別行動委員会(SACO)最終報告は、いわば基地問題の「ゼロからの出発」であるが、見通しは立たない。加えて、日本政府の本音は、返還・縮小はあっても基地機能 維持が前提である。
 米軍基地は「租界」であってはならないし、まして、国内に「外国」の存在など許されるものではない。事大主義ではない自己主張が、沖縄にもっとあっていい。

(沖縄タイムス 2004年6月13日付)