①【自衛隊派遣】

◎安保の視点欠いた国会論議

 
 イラク復興支援特別措置法が衆院を通過、参院での論戦が始まった。法案の根幹は自衛隊派遣だから、国会論議はその目的、必要性、自衛隊の活動内容・範囲などに集中した。だが法案の内
容にすっきりした輪郭が浮かんでこない。米国に良かれの法案だから政府は理のある説明はできない。
 もっとも、野党に決定的に欠けていたのは、法案が持つ日米同盟の質的変化をかぎ取る感覚だ。野党に米国追従への批判はあった。にもかかわらず、法案が成立すれば日米同盟関係は一段と
強化されるという事実を見過ごしていた。着実に強化される日米安保体制が議論の端にも乗らなかったのは不思議でならない。
 一昨年九月の同時テロで日本はテロ特措法を仕上げ、自衛艦をインド洋に派遣、米軍を洋上支援した。そして今年、武力攻撃事態対処法など有事法制関連三法ができた。加えて、米軍の行動
を効果的にする米軍支援法も検討中だ。期限付きの特措法に代わる恒久法の制定も視野にある。
 日米安保体制を再定義した一九九六年四月の日米安保共同宣言。これを受けた日米防衛協力の新指針(新ガイドライン)の策定、周辺事態法の制定などに続く日米の防衛協力態勢は、いよい
よ仕上げの段階を迎えた。
 小泉純一郎首相は余裕しゃくしゃくだ。野党の抵抗は先が見えている。有事法制に見られるように、何が何でも反対というわけではない。
 法案成立の見通しがついて行われた三日の与党三党首会談は秋の臨時国会の早期召集など政局に大きくかじを切った。首相は総裁選前倒しを否定したが、永田町の解散風は強まる一方だ。
 国連中心主義の日本外交は冷戦崩壊後、米国一極支配にしがみつくように歩み始め、日米友好関係の堅持という美名に隠れて日本外交の主体性はほとんどなかった。
 九六年に日米が合意した普天間飛行場返還は、米国の譲歩を意味しない。安保共同宣言の意味を考えれば明らかだ。宣言は米国をアジアにつなぎ留めたと見た方がいい。
 「ショー・ザ・フラッグ」(旗幟=きし=を鮮明に)「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上に部隊を)という言葉が示すように米国の注文はストレートだ。問題ごとに手を組む「有志連
合」の踏み絵を踏むよう迫る米国に従うのが今の日本の姿だ。
 小泉純一郎首相は「イラクの戦後復興に主体的に取り組む」と言う。そのために自己完結型の自衛隊を派遣するのだ。
 だが復興支援に当たって肝心のイラクの伝統、文化、宗教など現地の歴史的な事情に目を向けた考えがない。不安定で混乱する現地の状況に機械的に対応する能力があるか、ないかだけで判
断すべきではない。
 米英軍への攻撃が頻発するのは民族性に無頓着な異民族支配へのおん念からだ。軍政が住民感情を懐柔できず、結局、沖縄返還につながった身近な例を見るまでもない。異民族支配の限界だ
った。
 米政府は日本の占領統治をイラクの戦後復興のモデルにしたといわれる。しかし、伝統も文化も全く違う日本はモデルになり得ない。自らの戦後を教訓としたイラク復興支援策を提示するこ
とが日本の責務である。

(沖縄タイムス 2003年7月13日付)