G【まちづくりの本質】

池田守男・資生堂会長(東京商工会議所副会頭 日本経団連評議員会副議長

「高齢化社会の中で歩行者中心の街づくりがあっていいはずだ。公共施設まで郊外に移るようなライフスタイルは日本に馴染まない。効率、経済性だけが物差しになっている」

                               聞き手 尾形宣夫「地域政策」編集長

略歴

いけだ もりお

1936年生まれ。69歳。香川県高松市出身。東京神学大学神学部卒。1961年株式会社資生堂入社。秘書室長、専務、代表取締役副社長、同社長を経て2005年6月取締役会長。東京商工会議所副会頭、日本商工会議所特別顧問・税制委員長、日本経済団体連合会評議員会副議長、経済同友会幹事、日本化粧品工業連合会会長、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表。

☆新渡戸稲造の『武士道』を自らの精神的支柱とし、企業経営のトップを務めながら失われつつある地域文化復活の大切さを説く経済界リーダーの一人。


▽街にまで及んだ使い捨て文化

尾形 近年、地域の疲弊が目立ち、街づくりがうまくいかないという悩みは深刻です。地方でも、似たような街が増え地域の特徴が見えません。

池田 確かに、どこに行っても画一的な街が出現している。本当に没個性と言わざるを得ない。豊かさを得るためとはいえ、あまりにも経済中心で、効率性、合理性、あるいはある意味での完璧性といったものが、街づくりにまで及んでいるのではないかと思う。
再開発で出現した超高層ビルや大規模な施設で変貌した東京の光景には驚かされるが、他方、古くから地域に継承されてきた文化や伝統的な遺産が廃れてしまったところもある。今や日本では使い捨て文化が建物や街にまで及んでしまったようだ。

尾形 地域、地域にはいろんな文化がありますが、集権国家の吸引力が強く常に東京中心の価値判断が「地域」を脇に追いやりました。そして、中央集権体制は組織、共同体を縦のつながりで固めました。

池田 今の政治もそうだ。一度税を吸い上げて、補助金、交付金という形で地域に返ってくるため、街づくりにも弊害が表れている。補助金や交付金を多く獲得することが地域を活性化することになるという考えに陥り、すべてが東京につながらないと生きていけない状況だ。あまりにも縦糸重視で日本が構成されているので、どの都市もミニ東京化してしまう。

尾形 その結果、地方同士の連携もなくなり、ひたすら東京へ、地方ブロックでも中心都市への憧れが強まりましたが、それでも良しとしてきました。

池田 それでは本当の意味での生活の豊かさや幸せは見出せない。東京を追いかける画一的な発想ではなく、地域地域の独自の発想でなければならない。その思いを近隣の人々や近隣の地方自治体同士が持てば、これを「横糸」として発展していけるのではないか。
 その一例として、瀬戸内文化圏がある。香川県は私の郷里だが、香川は岡山、広島、愛媛という瀬戸内海を挟んだ文化圏を構成した横糸を重視する。たとえば、岡山県の大原美術館と香川県の金刀比羅宮が共同でシンポジウムを行ったり、美術品の交換展示をしたりして、文化圏の起爆剤となっている。こうした文化交流を大切に育てていくべきではないか。

尾形 地方において地元を大切に思う気持ちと魅力的な街づくりをどう浸透させるか簡単ではありません。

池田 確かに、利便性やファッション性を考えて、東京など大都市で生活することを望む現象が続いてきた。瀬戸大橋ができて多くの人が四国に来ると思ったら、むしろ四国から出かけて行く方が多い。
 しかしながら、これからは多様な価値観が生まれる時代になりつつある。その証拠にファーストライフよりもスローライフ、ファーストフードよりもスローフードというムーブメントがいろいろな所から起こり始めている。

▽街づくりに住み分けの知恵が必要

尾形 疲弊する中心市街地を活性化させようと「まちづくり3法」(大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法、都市計画法)が用意されています。しかし、役所間、商店街、経済界の思惑は複雑です。3法は決め手になりますか。

池田 法律が経済規制になってはならないと思う。大型店の設置を規制するというと、ショッピングセンターや量販店は当然反対するが、生活者がより素晴らしい、より住みやすい街をつくるためには、大型店と利便性のある商店街や小売店との住み分けを考えていく必要があると思う。
 大規模小売店舗立地法だけが独り歩きして、中心市街地活性化法と都市計画法がよく見えない形になっており、こうした状況をもう一度見直そうという気運が高まっている。そういう流れの中で提案されたのが「コンパクトシティ」という考え方だ。高齢化が進む社会の中で、歩行者中心の街づくりがあってもよいはずだ。街の中に小売業が多様な形で存在するのが、豊かさの象徴になるだろうと私は思う。

尾形 「シャッター通り」をなくすため、テナントに入居してもらう考え方も強いようです。

池田 テナントに貸すにしても、将来の街づくりに必要な店に貸したり、一緒に街づくりをしようという志のある人に貸すのだったらよいが、そうでないと、シャッターは開いても、統一性がない商店街となってしまうだろう。
 ひと言で街づくりと言っても実際には難しいが、街ぐるみで街全体のコンセプトを考え、その中で、商店1軒1軒のあり方を話し合う。根気のいる仕事だが、その努力を惜しんでもらいたくない。

▽商店街は憩いの場

尾形 これから少子高齢化社会がどんどん進みます。街づくりにあたっても、高齢者が楽に用が足せるような店とか、楽しみとかできるようなコミュニティをどうするのかがますます重要になります。

池田 商店だけではなく、公共施設まで郊外に移ってしまった。数年前までは、公共施設はむしろ中心市街地に近い所にあった。車社会という利便性の中で、郊外の方が便利だという判断もあったと思うが、そうしたライフスタイルは日本には馴染まない。やはり人間は車よりも歩いて行けるところに生活圏があるべきだ。公民館などはやはり中心市街地周辺に揃い、そこで日常生活ができる。そうした地域社会をつくることこそが、真に豊かな社会をつくる原点であるような気がしてならない。

尾形 しかし、大型店の郊外進出は盛んになる一方です。「まちづくり3法」の一つの狙いはそこにあります。

池田 郊外の大型ショッピングセンターは否定しない。しかし、中心市街地は心と心が触れ合う商店街であってほしいと願うのは誰しも同じだ。東京のような大都会でも、早稲田や亀有など地域の商店街として脚光を浴びている所がある。商店街のように地元住民の憩いの場所となり、ホッとするような感覚はショッピングセンターでは感じられない。
 これからの時代、そこに住む人々に豊かな環境をと考えた場合、小さな専門店商店街が中心市街地にあり、そこから少し離れた所に大型ショッピングセンターがあるというように、あらゆる業態の小売業が一つの地域の中に上手く住み分けができる形が望ましい。

尾形 本来、日常生活の基盤は地元の地域社会であり、近隣の市街地です。

池田 生活基盤であるはずの市街地の利便性が求められているのに、現実はその市街地が急速に活気をなくしてきている。
 だから、これ以上状況が悪くならないよう、行政と商工会議所のような団体と地元が一緒になっていろいろな業態が住み分けられるよう目指すべきであろう。これまでは「点」ばかりで論議をしていたが、私は「面」としての街づくりをもっと重視すべきだと思う。

▽経済優先に反省促す道徳・文化

尾形 日本は戦後、壊滅的な状況から出発しましたから、まず、何とかして豊かさを手に入れようとしました。

池田 豊かさを求めるのは当然だが、経済復興ができた段階で、もう少し幅広く、文化を切り口にして、経済活動も生活も見直していく必要があったのではないか。そこで思い出すことがある。
 一つは、私の郷里の大先輩でもある大平(正芳)さんが、総理になって行なった1979年の施政方針演説で「これからの時代は経済中心から文化中心の時代になるべきである。文化中心の日本をつくっていきたい」という所信を述べた。27年前の話だ。
 また、在任期間は短かったが石橋湛山総理(1956年12月―57年2月)が、道徳や文化というものは経済より上位にあり、むしろそれを中心にして経済を発展させるべきであると言った。日本の経済がまだまだというときに、既にその重要性を説いていた。
 40年ぐらい前の話だが、薬師寺の伽藍の復興を実現した故高田好胤管主にお会いして一番印象に残ったのは「物で栄えて心で滅びる」という言葉だった。管主は薬師寺を復興させることで、天平時代の「まほろばの心」を復活させないと日本は心で滅びてしまうと写経勧進運動を続けた。

尾形 会長は最近、精神の「接ぎ木論」を話していますね。

池田 それは、私の敬愛する新渡戸稲造先生の著書である「武士道」から教えられた言葉で、日本人のキリスト教信仰のあり方は、武士道の精神を台木にして、その上にキリスト教の精神を接ぎ木すべきであるというものだ。地域の活性化にもこの「接ぎ木」の考え方が生かせるのではないか。
 日本には地域、地域の伝統文化がある。そういうものを中央集権的な一元的な考え方で生まれ変わらせるというのは、伝統文化を壊す以外の何ものでもない。やはり地域の文化や歴史を大事にした上で、新しい利便性やグローバリズムを接ぎ木するべきだと思う。

尾形 今、「日本橋」を復活させようという動きがあります。1964年の東京オリンピック開催で都内に高速道路が張り巡らされ、歴史的な遺産の日本橋をまたいで高速道が走った。高度成長期あたりから、文化という観念、思考がなくなってしまったようです。

池田 わたしもそう思う。戦争で日本は壊滅的な打撃を被り、戦後は物質文明に憧れて、モノ中心の価値判断が中心にならざるを得なかった。しかし、いまこそ、そうした画一的な考え方を見直す時期に来たのではないか。

▽わが街への愛情の注ぎ方がカギ

尾形 一旦豊かな生活を経験してしまうと、人間の思考はそれを手放せないから効率性を求め、経済優先の発想が支配的になります。その結果、地域の文化の大切さを忘れてしまう。日本全体がそうなってしまいました。

池田 利便性というのは、交通網にしても最低限のものは必要だ。そしてこれまでは、東京の生活が最高のライフスタイルで、どこの地域もあのようになりたいという、ある意味では憧れであったり、最終目標として考えた時代があったと思う。しかし、それは、人間が望む本当の幸せとは異なるということに、近年、気づき始めたのではないか。

尾形 会長は以前、名所を局所的に点でつくっても駄目だ。町全体で魅力を持つようにならないといけないと強調しています。

池田 私の出身地の香川県や瀬戸内地方について言えば、産業誘致を行うだけでなく、観光立県にすればよいという考えがある。ただ、20世紀の観光というのは「点」を追いかけていくだけだった。それは日本人の得意とするところだが、それでは豊かさというものを十分に提供できない。
 ただ行ってきたという観光ではなく、観光客を「面」として受け入れられるような、滞在型の観光地を目指すべきだ。滞在型の施設が多い欧米の、特にヨーロッパのライフスタイルを我々は学ぶべきではないか。


尾形 日本の観光は本質の部分で欠けたものがあると。

池田 「場の力」を活用するということだ。その場に身を置いて景観に触れるという部分ももちろんだが、これまで欠けていた人情に触れる、心に触れるといったことがこれからますます必要になってくるのではないか。
 日本は各地で独特の「おもてなしの心」というものを持っている。そういう心を景観の中で発揮すれば、地域独特の魅力が出来上がってくるはずだ。その場に行かないとそれは体験できない。一度体験すれば、もう一度行ってみたくなる。ひとつのことに魅了されると、もっといい所があるのではないかと探したくなる。そういう空間づくりが必要だと思う。  

尾形 ただ、問題なのは、地元の人がその良さが分からないことが多い。せっかくいい財産を持っていながら、それを活かす考えが浮かばない。 

池田 確かに、地元の人が地元のすばらしさに気づいていないところもある。街づくりの原点は、自らが我が街をいかに愛しているかにある。東京の下町の、亀戸の商店街の店主は「我が町こそが世界一だ」というような、そんな愛情を持っている。そういう愛情を持っている所が栄えている。寂れてきている所は、残念ながら、我が商店街、我が街に対して愛情不足としか言いようがないのではないか。街づくりの出発点はそこにあると思う。

▽文化は目的、経済は手段

尾形 渥美清の映画「寅さんシリーズ」の葛飾・柴又は、ものすごく地域性と、コミュニティがあります。商店街には同じような雰囲気があると思います。

池田 地元の人が観光客に「もっといい所がありますよ」とすすめる会話が日本には欠けている。思い出すのは、アメリカのラスベガスがギャンブルからエンタテイメント中心の街おこしですっかり変わったことだ。エンタテイメントの素晴らしさもあるが、帰りにホテルからラスベガスの空港まで乗ったタクシーの運転手がラスベガスの素晴らしさを自慢したうえで、「もっと素晴らしいものがある。次に来たらそれを見てくれ」と言う。運転手自らがそういうことを話し掛けてくる。

尾形 市民レベルのセールスですね。

池田 セールストーク以上に、彼はそういう素晴らしさを身をもって体験したからこそ、表現できるのだろうと思った。街というのは、こうでなければならないと強く感じた。だから、そこに住んでいる人々に、お国自慢をどんどんしてもらいたい。

尾形 田舎を知りぬいた作家の立松和平さんは「今は田舎に行ってもおもしろくない。顔がない町ばかりだ」と言っています。もともと力強さがあったが、行政効率一辺倒の市町村合併がそうさせ、合併で地域文化も姿を消しつつあると言います。

池田 頭で考える利便性ばかりを押し付けてきたような、またそういう価値判断が最高のものであると我々も思ってきたきらいはある。そういうことを21世紀という変わり目を迎えたいま、あらゆるものに対して、我々が歩んできた経済中心の価値観を、文化という切り口でもう一度見直すべきであると思う。
 心の豊かさという側面から、文化は目的になるが、経済はその手段であるべきだ。その手段を目的と取り違えている。
 経済という語は、「経世済民」という言葉から来ている。国を正しく治め、民を豊かにする。それが経済の目指すべき方向だ。

尾形 全く同感です。

池田 ところが、いまはマネーゲームが経済であるかのように言われている。都会では物質的な豊かさも文化も享受できるが、その代わり、通勤地獄などの不便さもある。地方都市には都会の不便さはなく、むしろ自然と接する中で、豊かでより人間的な生活ができる。

▽対話に始まるコミュニティを

尾形 そういった価値はみんな気づき始めていると思います。それがどういうふうな形で実を結ぶか注目しています。

池田 アメリカ的な考え方ばかりが本流になっているような気がしてならない。ヨーロッパ的なライフスタイルや街づくりに目を向けるべきだ。スローフードの発祥の地である、イタリアの郊外のライフスタイルに学ぶべきところがたくさんある。
 私は、これはバランスの問題だと思う。一方に偏するということではなくて、地域、地域によりこのバランスの具合を地域特性の中で保っていく必要があると思っている。

尾形 街づくりの要諦はなんでしょう。

池田 いま、改めて商店街の必要性がクローズアップされてきている。フェイス・トゥー・フェイスで話しが出来る人間的な温かみのあるコミュニティの重要性に皆が気づき出したということだ。心と心が通じ合うコミュニティが、地域の中心にあるべきだろう。それを念頭において地域おこしができれば、自然と状況は変わってくるはずだ。

尾形 お客との対話ですか。

池田 化粧品産業でいえば、お客さまが地域の化粧品専門店に対し、量販店にはない、きめ細やかな美容サービスや「おもてなし」を望んでいることや、化粧品専門店という「場」において、心身共に癒されたいと願っていることを、化粧品専門店自身が気づき始めた。そして、そういうサービスを地域の人々に提供することによって、自分たちの生きるべき道に自信を取り戻しつつある。
 化粧品専門店が中心となって商店街おこしをしている例も多く、街おこしや地域おこしの核になりつつある。また、こうしたコミュニティの復活が、家族の絆の復活にも役立っている。

尾形 話す相手もいない、話す話題もないようでは地域づくりの広がり、活性化はできないと。

池田 日本の伝統的なものや、そこにしかないものを、いま一度見直そう、地域に復活させようという、それだけで、人々の気持ちは一つになり、会話も生まれる。地域、地域で核になるテーマを取り出して話し合うことが、地域おこしの第一歩なのではないか。
                
                                           (2006年 春季号)