H【2007年問題】

神野直彦・東京大学大学院経済学研究科教授(新地方分権構想検討委員会委員長)

「国民の不安を膨らませているのは、財政の手段と目的を完全に考え違いをしている社会に到達しているということの象徴でしかない。それが2007年問題だ。日本社会は近視眼的になって、その場しのぎの政策を打つことがある。次の社会をどうするか全体のビジョンを描く必要がある」

                                聞き手 尾形宣夫「地域政策」編集長

略歴

じんの なおひこ

1969年、東京大学経済学部卒業。81年、同大学院経済学研究科博士課程単位取得。92年、東京大学経済学部教授を経て96年、同大学院経済研究科教授。専門は財政学。財政学と社会科学の隣境線上に成立する固有の社会科学として確立しようとして財政社会学を提唱。地方分権の第2期改革に向けて、新地方分権構想検討委員会の委員長として、地方財政自立の7提言と工程表をまとめた。東京都税制調査会会長。日本自治学会会長、日本財政学会理事なども務める。埼玉県生まれ。


▽社会のデザインあれば怖くはない

尾形 戦後の第一次ベビーブーマー団塊世代の大量退職は、日本の将来を占う大きな問題を突き付けています。「2007年問題」はマクロで見て何が問題ですか。

神野 20世紀は人口が爆発した異常な社会だ。これを支えたのは、大量生産、大量消費だ。団塊の世代は、その人口爆発を象徴している。07年から始まる問題点は、「従属人口」と言われる、扶養しなければならない65歳以上と15歳未満の人が、圧倒的に多くなる。
人類の歴史が始まってから、ずっと、生産人口よりも、従属人口の比率の方が高い。生産人口の比率が低く従属人口の比率が高いという割合は、ほとんど変わらずに、過去に戻るだけだ。従って、これまでの人間社会でも養わなければならない数が圧倒的に多いということを、人類はずっと経験してきた。ただ、これまでは、従属人口のうち圧倒的な人々が15歳未満だった。
 しかし、今回の初体験は、65歳以上の人が多く、15歳未満がわずかだということだ。それが少子高齢化社会の本質なのだが、それが大変かというと、そうでもない。社会のデザインさえうまくすれば、何も恐れることはない。

尾形 しかし、社会的格差が言われ、不安が募ります。

神野 お年寄りに私たちが言えるメッセージは、「あなた方を養っていくことは、人類の歴史を考えてみれば、たわいもないことですから」ということしかない。
ところが、現実には日本はどうか。この間、東大の名誉教授会で一番お年の大内力先生は「私はこれまで国から二度、お国のために死んでくれと言われた。一度は、戦争中で、もう一回は現在で、医療費が高騰してきているのでお国のために死んでくださいと、言われている」と話した。こういう状態に追い込んでいるのは、財政の手段と目的を完全に考え違いをしている社会に到達しているということの象徴でしかない。その象徴が07年問題だ。

▽年金は世代間の争いのおカネになった

尾形 年金についての感覚が、日本とヨーロッパでは違います。

神野 ヨーロッパのように年金を創設した国々の常識から言えば、年金は労働市場から出て行ってくださいというおカネだ。不況になってきて失業者が増加してくると、年金の開始年齢を引き下げろという要求を若い人たちはする。失業が若い人に生じるからだ。
 ヨーロッパの若者たちは「私たちに職を譲ってください、やりがいのある職を譲ってください」と言う。その代わり、あなたたちの生活の面倒は見るから(労働市場から)出て行ってくださいというおカネが年金。だから世代間の連帯のおカネといわれている。
 ところが日本は考え違いをして、年金というのは、お年寄りの面倒をみるおカネだと。いつのまにか世代間の闘争のおカネとされてしまった。
 本質的に年金は、ヨーロッパのように不況になれば開始年齢は引き下がってきて、若い人の失業者を解消するというのが普通の話なのだが、日本は、年金の設定も間違っているので、不況になると、もらえるはずのおカネがどんどん先送りになっていく。
先送りになって、今では07年問題の人たちにも、もっともっと労働市場で働いてもらえばいいと言われるが、若い人たちからすれば、そんなことしたら自分の賃金が奪われる職場が増えてしまうとなる。

尾形 07年問題の対象者は身についた技術、能力があります。

神野 社会に貢献する能力を持つ人たちこそが、ヨーロッパでいえばボランタリー、ボランティア活動をやっている。医者とか看護士とか能力のある人は、労働市場で働くと若い人の仕事を奪うので、タダで働く。おカネのために働いていないので、世の中のために貢献していると実感がわいていると言われている。
 今、新しい公共ということで、NPOとかボランタリー活動を活用して、公共サービスを安くしましょう、と言っているが、スウェーデンとかで聞くと「労働市場でペイのある仕事をやっては困るという人々がする活動。みんなお年寄りがやっている。その能力をいくらでも活用してかまいません」と言う。
 私たちの社会では、市場を通して活動することだけが、有効な労働だという錯覚に陥っている。07年問題を克服するための社会のデザインが出来上がっていない。
 日本は、明治このかた、15歳未満には義務教育制度をつくりあげた。しかし、ヨーロッパは、さまざまな施設を教会の救貧活動を中心としてつくり上げた。そのストックがあるところが違う。

▽自殺者の多くは団塊世代の男性

尾形 ボランティアが日本的な労働という形で定着してしまった。07年問題は「大した話ではない」かもしれませんが、当面、何とかしなければなりません。

神野 しなきゃならないが、その前に自殺の統計を見てほしい。1997年から98年にかけて2万人から1万人くらい増えている。自殺者の多くは男性で団塊の世代だ。
 手段と目的を混同して、社会をデザインしようとしている日本の悲劇だ。07年問題以前に、団塊の世代が何故こんなに自殺するのかに目を向けなければならない。その方が、重大な問題だ。退職した後、どういうことになるのかは、大した問題ではない。

尾形 自殺者は年間3万人を超えています。自殺の理由も、いろいろあります。

神野 経済的理由が圧倒的に多いのが日本的な特色です。これは日本の場合には、失業率では若い人の方が高いが、中高年層は、終身雇用でまだ守られている人はいいのだが、いったん外れるとやり直しがきかない。
小泉首相は、社会の格差はねたみや嫉妬だと。いつでもやり直しがきく教育制度さえあればいいのだ、と言っているが、政府は積極的な労働市場政策をやっていない。離職者が再訓練に入れるようなシステムが抜けている。

尾形 離職者の農業への挑戦も目立ちます。

神野 日本の考え違いは、老後の生活のためのおカネが年金だと思っていることだ。年金制度の中で谷間だと言われている農漁民層の人々は、賃金を失うことはなく働き続ける。農業人口が徐々に減る傾向は止まらないが、流入人口はすごく増えている。しかし、農漁民の賃金を侵すわけではない。
 その際、注意しなければならないのは、違う生活を始めようとした時に、「たこつぼ的」と言われた地域の閉鎖性が残っていて、新しい人をコミュニティの外に置いてしまう。
例えば企業誘致でも、どういう企業を呼んできたら地域の産業循環が活発化するかという視点がなく企業を誘致するから、それまであった地域の産業循環が崩れ、生活様式も崩してしまう。定年後に帰農してもうまくいかないのは、地域社会が仲間に入れてくれず外に置いてしまうからだ。コミュニティが受け入れてくれるところは、うまくいっている。

尾形 閉鎖社会とか、地域の閉鎖性は結構あるようです。

神野 日本が観光なども重視するのも、観光客を呼んでくる場合には、自分たちのコミュニティに入れなくても済む。観光客は通り過ぎるだけだから。

尾形 流入人口があっても、その土地のしきたりがあって観光で感じたことと、実際生活してもみて経験することがまるで違う。それで、夢破れる事例も結構あります。

神野 だから、人口構成が急激に変化しも、開かれた社会であれば、問題を克服していくことは容易だ。別に07年問題に対応するというよりも、私たちの社会がこれから、より人間的になっていくような知恵を出し合うような社会にしていくには、各年齢層それぞれが多様な知恵を出し合えばいい。

▽地域社会を壊した発展なき拡大

尾形 地方はかつて労働供給地であったし、労働だけでなく知恵も能力も大都市に集中しました。地方の弱体化を立て直すには知恵とか頭脳の地方回帰が必要です。

神野 歴史を見ても分かるように次の社会のシステムというのは、「周辺革命説」という言葉があるように、周辺から起きてくる。
 古代エジプトの周辺だったギリシャ、ローマで次の文明が起こり、ギリシャ、ローマの周辺であったガリア、ゲルマンで次の社会が生まれている。
 もともと都市には生産機能はなく農業など生産機能は周辺にあって、それを取引する仕組みが都市だった。それが工業化社会になって生産機能を都市が取り、人が都市に集まった。
 だから、これから知恵を出す人が集まるためには、「この地域に住みたい」というまちづくりをしないといけない。人間的な生活ができるような地域社会にしていくと、そこから情報を生産する、知識を生産するという生産行為が集まっていくという逆転現象が起きる。これからは、生活機能が磁場になる。
「後発の利益」とよく言われるが、人間はスキップして進めてきたので、今東京で行われていることを超えた新しい生活様式を作る使命があるという認識で地域づくりをしていった方がいい。

尾形 ところが今はどこに行ってもミニ東京のような光景があります。田舎にいっても田舎らしさがない。特徴がなくなった地域は、次の社会をつくる場になり得るのでしょうか。

神野 発展や成長というのは内在しているものを開花させることを言う。外から変形させたものを発展とは言わない。日本がこれまで地域の発展と言っていたのは、発展なき拡大を要求していた。発展なき拡大の結果何をしたかというと、生活様式とか自分たちが持っていた生活習慣とか地域の産業循環を破壊した。それで安い賃金だけを武器にしたので、それがなくなった時に何も残らなかった。
 生活様式や地域の産業循環を失った国家というのは必ず一極集中する。ヨーロッパがなぜ一極集中しないかというと、どこもそれぞれの生活様式を守っているからだ。伝統的な生活様式は、その地域の知恵が反映されている。
 ところが、生活様式を壊した国家、発展途上国では一極集中が止まらない。生活様式とは文化だが、文化を壊したかどうかなんて街並みを見ればすぐに分かる。近代的な建物が並んでいる。それは、発展途上国と日本くらいだ。

▽生活・文化回帰はスローライフ運動で

尾形 文化を壊してしまったところはどうしますか。

神野 今、ヨーロッパで「文化創造都市」「サスティナブルシティ」と言って、一極集中する前に、地域社会が持っていた生活様式や、工業によって破壊された文化を復活させようと、スローフード運動とかスローライフ運動が表れている。
 ヨーロッパが着目しているのはキューバだ。キューバは最大の援助国の旧ソ連が破綻、そしてアメリカの経済封鎖で絶望の1990年代だった。そのため伝統的な生活に戻らざるを得なかった。伝統的な、南北アメリカで一番古い生活様式を復活させたら観光客がどっと押し寄せた。
 日本は逆で、テーマパークなんていって、どこか外国の都市の真似している。

尾形 人工的な観光振興策ばっかりやっています。

神野 だから、かえって魅力を失って駄目になる。

尾形 田舎は田舎でちゃんと生きられるようにしなさいということですね。

神野 そのことが魅力になる。漁港を振興しようって、近くに遊園地を造って漁港に親しむといっても、かえって魅力がなくなって誰も行かない。

尾形 きれいなビーチだからリゾートホテル建ててプールでもあれば人が集まる。日本の観光政策はいつも「箱もの」思想が優先です。バブル期のリゾート計画もそうでした。

神野 ドイツの観光地に行くと、伝統的な建物が残っていてそれが民宿みたいになってて、情報を知っている村役場に行けば、どこに泊まれるか分かって本当にいい。古いホテルの方が料金が高い。そういうプライドのようなものを復活すれば自然に固有の魅力が出てくるんだが。

尾形 そういう話と団塊の世代の大量退職とつなげるものはなにかありますか。

神野 地域に戻ってきて、知恵を出して地域の復活運動の中心になっているのは団塊の世代が多い。経営委員会といった組織を作って動いている。

尾形 あまり知られていないようですが、漁業とか農業団体など全国的な組織で、数年前から定年退職者を地方に戻す「百万人回帰運動」をやっています。けれども07年問題では、そういう運動にスポットを当てようというのがありません。

神野 そのとおりだ。そのときに(地域の心も)開いてもらわないと。誘致してきてコミュニティの外に置いてしまう。地域の中に取り込んであげないと、誘致した意味がない。

▽本来の任務忘れた日本の公務員観

尾形 ところで07年問題で地方行政に変化はありますか。民間企業同様、地方自治体も安閑とはしておられません。退職金をどうするかも頭が痛いのではないですか。

神野 差し当たって行政で問題になっているのは、公はその時必要なもののみを地域社会の人々が負担しあうという原則でやっており、退職金制度があるのは日本だけだ。
 公務員の場合は、毎年必要な分だけ手当てするからストックがない。民間企業の場合は積み立てている。
 地方自治体は、例えば、財政が変動するための調整基金とか、公共事業をするための基金とかは認められているが、財政の原則の例外規定だ。
 しかし日本は退職金制度という制度を作ってしまった。本当は許されないのだが、賃金の後払いだ。差し当たって財政は厳しくなるが、日本は問題が起こると、すぐそこだけでやろうとする。退職手当債を発行するとか。

尾形 公務員の役割が曖昧です。

神野 本来の考え方からいけば、公務員というのは地域社会の共同事業のために働いてくれるためのものだ。そこを日本の場合は「行政サービス供給会社」の社員だというような認識になってしまっている。
 そうではなく、公務員という本来の目的を考えて、私たちの地域社会で何を共同事業としてやり、そのためにどういう人々を雇っていくのか考えていない。
 ヨーロッパであれば、公務員であろうと民間人であろうと、どういう資格を持っているかで賃金が決まる。だから地域社会でどんな人を雇うのかということを決める方向に動いていく。原点として住民がどういう人々を雇ってどういうことをやるかということを決められるようにし、どういう手当を出すのかということもオープンにする。
日本では人件費が悪いという考え方であるが、人件費というものはコストではなく、人的投資だと考えないと経営は成り立たない。

▽現場こそ公務員の仕事の場

尾形 自治体は民間企業と違って地域全体を見渡さなければなりません。07年問題は、三位一体改革に上乗せされる問題ですが、自治体では現状対応型で気が回りません。

神野 経営に例えれば、地方自治体は住民が経営者。問題なのは、日本では公務員の数が、OECD平均の3分の1しかいないことだ。ヨーロッパでは公務員はサービスを供給する人であり、多くが高齢者福祉、教育などの現場にいる。ところが、日本では現場に公務員がいない。
 ヨーロッパでは、シテイホールが町の真ん中にあるが、それは住民が行政について議論するサロンとして存在している。日本は、いろんな手続きに必要な書類が多いため、市役所に多く配置されている。配置転換をし、もっと雇って公務員を現場につけないとサービスは続かない。
 スウェーデンやデンマーク、フィンランド、ノルウェーなどでは、公務員を増やすことがいい政策になっている。サービスを提供してくれるからだ。自分たちの生活を支えてくれる公共サービスが増えるから、公務員を増やしてくれと言っている。

尾形 日本は全然違います。

神野 公共サービスに携わっている人々はどんどん切られている。公共サービスが提供されていないにもかかわらず、キャンペーンでムダ使いがあるといわれて、どんどん締め付けられ、自分たちの生活を支えている高齢者福祉や育児などのサービスが減っている。
そのような悲惨な状態になればなるほど、サービスが提供されないのは公務員が多いためという錯覚に陥って、また公務員を減らし、さらにサービスが提供されないという悪循環になっている。
 世界の世論調査では、高齢者福祉、育児、医療などの公共サービスを提供してくれるのなら増税に応じるが、提供されないのならば増税に応じないというのが普通だ。ところが日本で世論調査をすると、65%くらいの人々が公共サービスを減らすのであれば増税に応じてもいい、財政再建のためであれば増税に応じてもいい、しかし歳出を増やすのであれば増税に応じないと言っている。こんな反応をする国民は他にいない。

尾形 07年問題に対応するため、地方自治体が一番心得なければならないことは。

神野 日本の社会は近視眼的になって、小さな問題だけに対応するために、ビジョンを描かずにその場しのぎの政策を打つことがある。しかし、人口の変動はよく起こることであり、私たちが次の社会をどういう社会にするという全体のビジョンを描いた中で、その問題は吸収できるはずだ。その場しのぎの解決策は打たないことが一番重要だ。
07年問題で退職金が増えるということは、もともとわかっていたことで、そんなことは制度的なデザインのときに組み込んでおくべき話である。その場しのぎの改革を繰り返さないために、次の地域社会をどうするのかというデザインを描けば、この中で吸収できる。「戦術」ではなく「戦略」が重要だ。
 日本は戦後、国家のありようをグランドデザインできなくて、ますます近視眼的になっている。経済力はついたが、何か忘れていないかと問われている。落ち着いて振り返らないと、同じことの繰り返しとなってしまう。
2006年 夏季号)