I【分権改革の要諦】

■竹中平蔵―前総務大臣・郵政民営化担当大臣

 「新しい分権一括法で国と地方の役割を見直す。分権一括法は、国と地方の仕事をガラガラポンで仕切り直す大作業で、中央省庁はほとんどが反対する。何が自分たちに必要なのか、国民的な議論が必要だ」

                                聞き手 尾形宣夫「地域政策」編集長

略歴

たけなか・へいぞう

1973年、一橋大学経済学部卒業。87年大阪大学経済学部助教授、89年ハーバード大学客員准教授を経て96年、慶応義塾大学総合政策学部教授。98年、小渕首相の諮問機関「経済戦略会議」、2000年、森首相の諮問機関「IT戦略会議」の各メンバー。01年、経済財政政策担当相。02年、金融担当・経済財政政策担当相。03年、内閣府特命担当相(金融・経済財政政策)。04年、参院議員当選。05年、内閣府特命担当相(経済財政政策)郵政・民営化担当(再任)、総務相・郵政民営化担当。06年9月、議員辞職表明。和歌山県生まれ。


▽地方には自由と責任が不可欠

尾形 三位一体改革は今年度で終わりますが、まだ分権改革道半ばです。07年度以降の改革の道しるべは、どうなりますか。

竹中 そのことを今年の骨太の方針で、明確にするということが最大の課題だった。三位一体改革は、今まで手のついていなかった補助金と税源移譲と交付税改革という、土俵を限定して数値目標も決めて、それで対応を行った。それについては、まだ道半ばだが、3兆円の税源移譲という今まで考えられなかったことができたという一つの成果があった。
しかし、分権というのは、進めば進むほど、さらに本格的な分権を求める声が当然出てくる。そうしたことを踏まえて、今回の骨太の方針は、いわゆる分権一括法について、しっかりと対応することが明記された。

尾形 今後の工程がはっきりしたと。

竹中 今の分権は、一つのサービスについて国が責任を負っているのか、地方が責任を負っているのか、よく分からない。結局、国がいろいろと口出しをする。口出しをするからこそ、財政的な面で、それの裏付けを国がわざわざやるようになる。
そうすることによって、地方は自由度がないという面と、何らかの資金の手当がなされることによって、責任が不明確になる。逆の言い方をすると、国は口出しできる、地方は財政的に国に依存できる。それでは地方分権はできない。国の仕事は国の仕事として明確化し、地方の仕事は地方の仕事として明確化する。地方には自由をもってもらうし、責任ももってもらう。そういう方向を明記した分権一括法の見直しをやるということだ。
同時に、いわゆる破綻法制という形で地方の責任も明確にしていく。財政が自由になるだけではなくて、財政的に自立できるように、税源移譲を含めた税源配分の見直しも、同時にやっていこうという方向性を明示した。今までは、補助金の削減、税源移譲、交付税改革という限定的な土俵で具体的な成果を出すということをやったが、さらに、土俵を大きくする方向が明示されたわけだ。

▽新型交付税は客観的基準でやる

尾形 地方が最も注目しているのは地方交付税の取り扱いです。交付税制度の改革と新型交付税の関係を具体的に。

竹中 地方からみると、国はいろいろなことに口出ししすぎ、かつ基準づけをしている。基準づけするから、きめ細かく、財政的に積み上げる形で地方財政計画ができる。その口出しをやめていこうというのが、分権一括法で見直して、やめていくという方向だ。しかし、今の制度のままでも、国が基準づけしていない部分がある。国が基準づけしないんだから、その細かな複雑な基準ではなくて、もっと単純明快な形で、地方の財政需要を人口とか面積とか分かりやすい基準でやろうじゃないかということだ。
その最大のポイントは、霞が関の官僚の裁量を廃止すること。官僚が鉛筆をなめて、いろんなことをしてきたことをやめるということを意味している。結果的には国が基準づけすることを分権改革によってやめていく。それが新型交付税の考え方だ。もちろん人口と面積だけで、できるとは思わない。客観的な基準で、わかりやすく、国民から住民からもチェックできるようにして、かつ霞が関の役人が鉛筆をなめるようなことがないようにしようと。それが新型交付税の意味だ。
 意外なのは、新型交付税は困るという人もいることだ。その人は地方分権を否定している。官僚に鉛筆をなめ続けてくれと言っているのに等しい。それでは分権はできない。

尾形 基準を単純化すると、それが独り歩きして交付税の大幅にカットにつながるという懸念も地方にあります。

竹中 交付税をカットするかどうかは総量の話だから、制度と関係ない。どのように配るかが制度の話だ。議論を混同している。総額の問題、マクロの問題と、その裏側に国民の負担の問題がある。仕組みの問題を混同するのは、正確ではない。
 霞が関の役人が、一般の人がほとんど理解できない細かい基準をつくって、そして裁量の余地が入る補正を行うことで役人は自らの権限を持ってきた。地方が不安だということは、地方分権の否定だと思いう。地方分権は、自由を持つ代わり、責任も持つということ。

▽新分権一括法は国民的議論が必要

尾形 これまでは、国も地方も都合よく判断できる玉虫色の表現が多かった。担当大臣も率直な物の言い方をしませんでした。

竹中 結局、今までの制度は、国も地方も両方もたれあいができた。国は自分たちの権限でいろいろできる。こんな都合のいいことはない。何か問題があると、交付税の中にいろんなことを織り込んで、便利なポケットとして使える。地方から見ると、最後は国がなんとかしてくれる。見事によくできた制度であった。だから、何にも誰も手をつけなかった。

尾形 官の統制を排除しているようで、その実、残っているんですね。

竹中 官の介入そのもので、地方から見ると、国への依存そのものだ。

尾形 新しい分権推進法を次期臨時国会に提出しますか。

竹中 新しい分権一括法で国と地方の役割を見直す。3年ぐらいでやりたい。分権一括法は、国と地方の仕事をガラガラポンで仕切り直す大作業だ。中央省庁はほとんどが反対する。地方も、本当に分権を進めようと思っている志のあるもところあれば、国にもたれかかっていた方がいいというようなニュアンスのことを言う人もいる。だからこそ、推進態勢をまずはつくらなければならない。それが分権推進法制だ。
 まずは、発射態勢をつくること。それは、できるだけ早くしないといけない。来年の通常国会だと、1年後ぐらいにようやく発射台≠ェできる。それを考えると今年中に推進法をつくることを目指すのが自然だ。骨太の方針が決まった段階から、総務省の内部で準備をしろと指示した。技術的に困難で時間の制約があるが、やる必要がある。

尾形 推進法から一括法の策定は、前回の経験を踏まえスムーズに進みますか。

竹中 推進法は合意を取るのは大変だが、そんなに大きな法律はない。だが、分権一括法は個別論だから、これは前回以上のバトルになると思う。今度は、これは国でやってくれ、これは市町村でやってくれということを国民的議論にしないと、うまくいかないだろう。

尾形 現在の一括法ができてからも、国と都道府県の権限争いとの印象が強かった。5年後の今も同じですか。

竹中 今の分権という仕事は、義務教育一つとっても、国の仕事か地方の仕事か分からない。憲法の問題ももちろんあるが、文部科学省がいろいろやっているというのは、国民みんな知っている。でも、小学校はみんな市町村立で、一体どちらがどういう責任を持っているか、国民は分からない。

尾形 現在の分権推進法、一括法と新たな推進法と一括法は、どんな点が違うのですか。

竹中 あえて言えば、法律の問題ではなくて、目指すところが違う。要するに今の分権は、非常に多層的で複雑な分権だ。もっと単純明快な分権にする。単純明快にしないと自由と責任が明確にならない。

▽ストックの議論欠いた現行の再建法制

尾形 06年の普通交付税の不交付団体が増えました。

竹中 増えることはいいことだが、まだ数でいうと圧倒的に少ない。不交付団体の数が今は数百だが、人口20万人以上の自治体の半分くらいになるというのが自然だ。不交付団体が例外的で、ほとんどが交付団体なんておかしい。それだけ、今の地方自治体が自立しないような財政の構造になっているわけだ。

不交付団体が増えたのは、景気がよくなって税収が増えた。もちろん歳出も増やさないように頑張っているが、歳入が増えたから交付税をもらわなくてよくなったというのが、半分。あと半分は税源移譲だ。3兆円の税源移譲がやはり効いている。

尾形 経済が底上げすれば税収が増えますが、経済がよくなっても、地域によっては税収が良くなるとは限りません。

竹中 経済がよくなれば、税収は上がる。ただ、どこまでよくなるのか、という問題はある。そのために、合併も考えて、やはり自治体の規模も大事だ。打ち出の小槌はない。合併も、歳出削減も、地域の活性化も考えてもらわないといけない。

尾形 北海道夕張市が財政再建団体になりました。

竹中 夕張市が具体的にどういう経緯でこうなったかを、北海道が中心になって調べている。ただ、なんでこうなったのか、おかしいではないか、というのが、素朴な発想だ。自治のために自由を手にするから、責任も持ってもらう。その責任の部分で破綻法制を見直そうといっているわけだが、それにもすぐ反対する人がいる。それは、責任を持ちたくない、自由もいらないという論理だ。
 今回の見直しで、やらなければならないことの一つは、アーリーウォーニング。つまり、早期警戒。ちょっと悪くなった段階で、ちゃんと警告が出て、必要な対応策がとられるシステムをつくらなければならない。二つ目は、それでもそういう状況になったときの再生の仕組みをどうするかだ。
 今の再建法制は、フローの議論はしているけどもストックの議論はしていない。悪くなったときは、過去の債務についてもしっかりと調整をする明確なルールを作らないと、再生できない。
 要するに、借りた方に明らかに責任がある。返せないような金を借りた方が悪い。もう一方では、返ってこないような金を貸した方にも責任がある。その責任が今、問われていない。それも、きちっと位置づけていかないと、明確な自由と責任の議論が完結しないと思う。

尾形 再生破綻法は、現在の地方財政再建促進特措法を恒久化することですか。

竹中 恒久法にするというだけではなくて、中身を抜本的に変えなければいけない。ストックの概念が今ないわけだから。それとアーリーウォーニングと再生のスキームが結びついていない。アーリーモーニングは、こうなれば再生の状況にはいりますよと、そこに至るまで一体化していないといけない。

尾形 レッドカードの前にイエローカードを出すんだと。

竹中 レッドカードとは何なのか。出されたらどうするのか。その前のイエローカードとは、どういう段階で出すのか。何枚出すのか。それをちゃんと決めておくということだ。

▽行革のチェック機能が十分でない

尾形 総務省の新しい行革指針は、地方の行革努力が足らないから、国がガイダンスを示すという意味も込められているようです。

竹中 そういうものはいらない、自分たちでちゃんとやるという自治体が増えてくれば、大変結構なことだ。鳥取県のようにちゃんとやっているところもあるが、大阪市のように、何だこれは、というようなひどいところも出てきている。ひどいところも何も困らないでやってきているというところに今の制度の問題点がある。
 我々が国として地方にできるのは、あくまで助言で、主体は地方だ。ただ、各地方で住民がちゃんと自治体をチェックするという機能が、必ずしも働いていない。

尾形 しかし、批判される首長でも、選挙で当選してしまう。

竹中 選挙の結果についてはコメントしないが、住民が地方自治体のチェックをきちんとできるように、例えば基準を決めてそれを公表してくださいと。そういう指針は、我々としては、出さないといけない。

尾形 竹中さんが言う「経済主義」と「財政主義」を分権改革にあてはめると、どうなりますか。

竹中 例えば、地方をよくしたいとみんな考えている。でも、財政だけではよくならない。財政の資金調達をする場合でも市場の厳しい目は活用するべき。貸し手のチェックや、きちんとしないお金を借りられないという状況をつくることが地方のためだ。これも財政主義ではなく経済主義の一つ。地方をよくするのは、ある程度役所や自治体に対しては国からの支援は当然に必要だ。でもそれだけに頼らないで地域の活性化等、地域でがんばって活性化したら、いいリターンがあるような仕組み、そういうことを総合的にやっていく。経済主義とは総合主義だ。

尾形 国も地方自治体も体質を経済主義に変えないと分権改革は進まないと。

竹中 そう考えてもらってもいいと思うが、地方の行財政の改革は遅れている。これは国にとって都合がいい、地方にとっても不満を言いながらも都合のいい面がある。しかし、そこをブレイクスルーしないといけない。それが今の状況だと思う。

▽開き直るリーダーは少ない

尾形 学者から政界へ飛び込んだわけですが、苦労したことはどんな点ですか。

竹中 官僚の壁と政治の壁は、表裏一体で同じだと思う。それぞれ利害を持った政治家がいて、その政治家の代弁者としての官僚がいる。族議員と官僚は背中合わせになっている。行政の側には官僚がいて、政治の側には族議員がいるというのが普通の状況。これは一体として突破していかないと、改革はなかなかできない。

尾形 パワーがないと突破はできないですね。

竹中 これは、普通できない。だから、できていない省庁がいっぱいある。

尾形 ポスト小泉ではどうなりますか。

竹中 大変だと思う。全党を挙げて全員が主流となっていろいろかことをやろうという人がいるが、そんなことは絶対にできない。それはもう現状維持だ。みんな自分の立場と利害を守りたいから。

尾形 政治主導といいながら、政党主導にならざるを得ない。

竹中 政治というのは、強い立場を与えられているから、やろうと思えばできる。政策は利権の面を持っている。その利権を捨てて、本当にいい政策をやろうと、開き直ればいいが、なかなか小泉さんのように開き直ってやれるリーダーは少ない。

尾形 これからは期待できますか。

竹中 頑張っていただかないといけない。

2006年 秋季号、★本稿は竹中総務相が大臣在任中の8月28日に収録)