D【平成の大合併の後に何が来る】

■大森 弥・東京大学名誉教授(元東京大学、千葉大学教授 元地方分権推進委員会専門委員)


「全国の町村は見通しの暗い「財政シュミレーション」におびえて、区域を広げることで何ができるのか、地域にどんな可能性がひらかれるのか、合併の大義名分が忘れられているのではないか」

                               聞き手 尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】
おおもり・わたる
東京大学名誉教授。東京大学教授を経て、千葉大学教授、2005年3月末定年退職。日本行政学会理事長、自治体学会代表運営委員、地方分権推進委員会専門委員などを歴任。現在、社会保障審議会委員、千葉県参与、富山県行革推進会議会長代理など。


▽全国町村会・議長会の力は弱まる

尾形 平成の大合併で全国の市町村数は6月末で約2350となり、年末には2200台になると予想されます。合併で町村数が激減し、小規模自治体のあり方があらためて問われそうです。
大森 「平成の大合併」を平成11(1999)年の合併特例法改正を起点とすると、国から見れば、合併は「順調に」進んできたのではないか。平成17年3月末まで都道府県に合併申請を出せば、18年末まで財政支援法といわれる特例法の適用を受けられることになり、総務省の発表では、市町村数は1822になると言われている。99年当時は、2000を切れば一段落だという観測が国にはあったから、大成功とは言えないが、総務大臣の表現では「大きな成果」が上がりつつある。
 1822の内訳は、777市、847町、198村で、人口1万人未満の町村は488になる。しかも、合併新法で、国は都道府県知事の勧告・あっ旋などを通じて、この小規模町村の合併をさらに勧めようとしているから、町村の数は一層減じるだろう。ただし、自民党・公明党の政権2党が国民に選挙公約として約束している「市町村数を1000まで減ずる」というのは無理かもしれない。1000という数字は、合併で市の数が約800とすると、町村は300しか残らないということだ。要するに、この国は基本的には約1500あった町村を限りなく解消していくつもりなのだ。
尾形 町村数の減少は、全国町村会の影響力を弱めることになりませんか。
大森 町村数は激減するから、いわゆる地方6六団体のなかで、全国町村会・町村議会議長会の影響力は当然弱まっていく。県内市町村数が10台というところがすでに出てきているから、都道府県単位の町村会が立ち行かなくなり、それが全国町村会の力を削ぐ。総理をはじめ関係大臣を呼んで盛大に開かれてきたような「威勢のよい」全国町村会大会が語り草になる日も遠くないのではないか。
尾形 だが現実は、国が意図したようには合併は進んでいない。合併促進策だった合併特例債の活用についても冷めた見方が増えている。何故でしょう。
大森 合併特例法の考え方は、市町村の区域を超える広域行政のニーズに対応する方策として合併をということだが、実際に市町村を合併に駆り立てているのは、暗い財政見通しと少子高齢化の進行への不安ではないか。だから、当初は合併特例債などの「うま味」を念頭に置いて合併に踏み切ったとこともあるが、冷静に考えれば特例債といっても借金だし、箱物行政の時代でもないことに気づくから、財政支援は促進策としてはそんなに効いてはいないのではないか。皮肉なことだが、自治体側が財政支援策にあまり期待しないほうが国は助かる。財政支援策は、地方交付税の算定替えを含め、地方交付税の先食いといってもよいものであるからだ。

▽新自治体作る自覚と意欲なければ旧態変わらない

尾形 合併するが不安は残る。では、どうすればいいのでしょう。
大森 暗い財政見通しというのは、一方で国等への依存財源の減少もあって歳入が縮小し、他方で徹底した歳出削減をしなければ、合併後の行財政が持続可能にならないことがわかってきたということ。もっとも、合併資料として住民に提示している「財政シミュレーション」は、前提条件によっては相当に違ったものとして描けるから、合併推進ということでは、どちらかといえばより深刻なシナリオを示すことになり、それが合併への動因になったりしている。それでも、依存財源の多い市町村にとっては、地方交付税の交付金が圧縮されていくのではないかということが最大の不安材料ではないか。むしろ財政支援ではなく財政不安が合併促進要因になっているといえるのではないかと思う。
尾形 合併が進んでも中小自治体は現に存在し、行政の「非効率」「財政体質の弱さ」はなくなるとは思えません。逆に三位一体改革で、その問題が浮き彫りになりませんか。
大森 合併は単に区域を広げ、器を大きくすることではなく、新たな基礎自治体を作ることだという自覚と意欲がないと、合併後もさしたる自治体にならない。むしろ規模を大きくした形で行政の非効率、無難主義の職員と沈滞した職場、ずさんな財政運営が続くのではないか。それでは何のために合併したかわからない。もちろん、時代はそんな旧態を許しておくほど甘くはないし、住民の眼も厳しくなっているから、やはり自治体の新生を期さなければならないと思う。
 二重に「徹底」が要請さられている。一方で徹底した情報公開と住民参画、他方で徹底した行財政改革だ。「住民サービスは行政だけが担うのではない」という時代が到来している。これは、行政活動を後退させるということではなく、住民自治の強化と住民協働の促進という観点に立って住民・民間が担う「公共空間の形成」を図ってくという積極的な意味もある。
行財政改革については、国も平成17年度を起点として平成21年度ぐらいまでの「集中改革プラン」の策定と公表を総務事務次官通知で「助言」している。
 三位一体改革は、どうなるか定かでない点が多いが、問題を浮き彫りにするとすれば次のような点ではないか。一つは、所得課税である住民税が5%、10%、13%という累進性が10%で比例税化されるから、相対的に所得水準の低い住民の多いところほど住民税、自主税源が増え、負担と受益の関係がより一層明確になる。また、その分、少しずつだが、国庫補助負担金が減少するから、地方税と地方交付税、つまり一般財源で仕事をしていくことになるので、それだけ行財政運営の自己責任の大きくなる。
さらに、税源移譲と国庫補助負担金の廃止・縮減と共に地方交付税の見直し、特に基準財政需要額の内容の見直しが行われ、しかも国の財政再建の立場からするその縮減が予想され、職員定数、職員の給与等を含むいままでよりも歳出の徹底した点検・改革が避けがたいといえる。

▽物理的に合併できない地域の存在は認めるべき

尾形 町村の中には、明確に合併を拒むところもあれば、合併をしたくてもできないところもあり一様ではありません。中山間地域や離島の問題もあります。
大森 その通りだ。もちろん、合併はあくまでも関係市町村の「自主合併」。合併は基礎自治体の枠組みと住民自治の範囲を変更させるのだから、その是非は、住民とその代表機関、首長と議会にとっての最も重要な意思決定事項。だからこそ、自己決定・自己責任にふさわしい事柄なのだ。何度も地域・住民の中に入り、議論に議論を重ねた上で単独で行きたいと決めたところ、合併を検討したけれども、どうしても相手側と折り合いがつかなかったところ、合併しようにも地理的な条件などでとても無理なところと、いろいろある。本当に真剣にまじめに検討した結果として単独行を決めたところは、いずれも、徹底的に身を引き締めた行財政運営に乗り出している。安易に合併に走ったところは、合併で安心してしまって、タガが緩むか、従来どおりになりやすいともいえる。
 それにしても、いま国が問題にしている人口1万未満の町村のうち、中山間地域や離島や北海道のような本土とは一様に扱えないほど面積の広いところでは、なかなか合併ということになりにくい。合併新法でその解消を図るといっても容易ではない。そういうところの存在を認めていくしかないのではないか。全体の財政運営から見れば、そんなにおカネがかかるわけでもない。

▽農山漁村が衰退すれば都市は滅びる

尾形 国土の7割を占める農山漁村の役割は、その地域の経営主体としての重要性がある。新たな展望や基本政策が示されないまま「小規模」という理由だけで町村がなくなってしまうとの懸念があります。
大森 だから全国町村会は、これまで、機会をとらえ、市町村合併に関連して農山漁村地域の役割を重視し、その地域の経営主体としての町村の見解を表明している。平成13年 7月の「私たちは訴えます。21世紀の日本にとって、農山村が、なぜ大切なのか―揺るぎない国民的合意にむけて―」、 平成14年11月の「いま町村は訴える」、平成15年2月の「 町村の訴え〜町村自治の確立と地域の想像力の発揮」、平成15年12月の「町村からの提言〜市町村合併と分権改革・三位一体の改革について」がそれだ。
全国町村会は、全国で「強力に推進」されている市町村合併について憂慮している。農山漁村の将来とそこで成り立つ基礎的自治体のあり方に関し、人口規模にこだわり、少子化の影響等で苦境に立つ農山漁村に関する新たな展望や基本政策を示すことなく、小規模を理由に町村を解消しようとしているように思えるからだ。大地に根を張り、地域の資源を最大限に活用しながら暮らしてきた住民の営みをないがしろにするような改革は、いかなるものもその名に値ない、地域の多様性を尊重せず、自立と尊厳の精神を否定するような市町村合併の推進を認めるわけにはいかない、と主張している。
私自身は、こうした全国町村会のアピール文の作成を手伝ってきたから、「小規模」を理由に町村を解消しようとする国策に賛成しなかった。市町村合併は、市町村議会議員の激減をもたらすから、国政選挙における支持基盤にも大きな変化が起きるだろうし、市町村合併は政権党にとってどのようなメリットがあるのか、よくわからないところもある。本当に、大都市の有権者の支持を確保するためなら、町村解消の形で農山漁村地域を見捨てる気だろうかと疑問視してもいる。そんなことを大都市の有権者は望んでいるだろうかと。合併推進の果てに、全国の農山漁村が衰滅していくならば、この国は愚かというほかないとまで言ってきた。
全国町村会が主張し続けているように、農山漁村が衰退し滅んでいけば、都市は必ず滅んでいく。それを回避するための国策は、都市と農山漁村の共生と対流を実現していく制度と政策でなければならない。それをないがしろにする国が衰亡するのは世界史が教えているところではないかと。
 合併の「強力推進」に背中を押され、全国の町村は、見通しの暗い「財政シミュレーション」に不安を募らせている。しかし、財政見通しにおびえて、何のために合併をするのか、区域を広げることで何ができるようになるのか、どのような地域の新たな可能性が開かれるのか、という合併の大義名分が忘れられているのではないか。もし合併に踏み切るならば、小異を大事にした地域重視型の「分権分散型の基礎自治体」の形成をめざしてほしい。それによって、財政逼迫の時節であるがゆえに、住民自治の強化と住民協働を促進する意義を実証していってほしいと訴えてきた。

▽町村解消は都市社会志向の強さの表れ

尾形 日本では、自然村の姿を残した小規模自治体をヨーロッパのように存在し続けることは無理なのでしょうか。
大森 わが国で、そのような小規模自治体が存在し続けることは無理なのかどうかは、地方自治の仕組みそのものに関する基本的考え方によっているのではないかと思う。国が是が非でも町村は解消してしまいたいと考えているのは、全国どこでも行政一律・一様に行われるべきだとする観念が強いからではないか。基礎自治体は、人口規模に関係なく、その地域の実情にかなった行政をすればよい、違っていてもよい、自治体が選んでよいということになれば、財政制度で一律に管理・統制しなくともよくなるはずだ。
しかし、これには、これまでのナショナル・ミニマムの内容を考え直す必要もあるから、国民の間に染み付いてきた「格差是正」の意識を「個性尊重」へと転換させるよう促していかなければならない。
 もう一つ、町村解消の背景には都市社会に関する考え方がある。自治体としては町村がなくなっていくということは市が増えていくこと。その市の区域内の地域を見れば農山村地域が相当に含まれるから、合併して市が増えていくからといって農山村地がなくなるわけではない。しかし、市という基礎自治体の形態は、もともと人口規模だけではなく、市街地戸数や都市型家計の優位を前提にするから、町村解消はやはり都市社会への志向の強さを表している。自然と国土の保持というや長い目で見れば、農山村が衰退していけば都市は滅んでいくのであって、その逆ではない。そのことに国政政治家と都市住民が気づかないまま、都市の価値尺度で農山村を扱っていけば、自然村の姿を残した小規模自治体は存続をしえなくなっていくだろう。

▽広域連合活用の方策を考え直せ

尾形 市町村合併から外れた町村の自治・自立のために、隣接自治体や近隣自治体との広域連合という意見もあります。
大森 事務権限の移譲という意味での分権改革を進めるというのであれば、受け皿整備という主張には理由がある。現行のように人口20万人以下の市町村に都道府県までいっている事務権限を移管するのは無理ではないかという議論が特に国の省庁にある。だが、仮に全国を20万人の都市に再編するということになれば、おおむね基礎自治体としてのしの数は300ぐらいになり、これはとても「自主合併」では達成できない。それまでして分権改革を強行する必要が本当にあるかどうか。もう一度、広域連合の有効活用という方策を考え直してもよいのではないか。決め手は課税権の付与と調整権の強化だ。あるいは、思い切って課税権を持つ「特別行政区」(スペシャル・ディスリクト)という制度設計を考えてみてもよいのではないだろうか。そのためには、現行の地方交付税制度の抜本的改革が必要になるが。
尾形 大都市と違って、中小自治体は補助金廃止に見合う税財源移譲は期待できず、課税自主権の行使も難しい。自主財源確保の妙案は見当たりません。地方交付税も先行きは不透明です。どうしたらいいでしょう。
大森 当面は、先ほど言ったように二重の意味での「徹底した」改革を断行していく以外にない。第一に、行政評価でよく使われる「住民満足度」という発想を改めることだ。住民は単なる消費者ではない。有権者、納税者、参加者という面も持っているから、住民との関係で行財政運では満足できなくとも納得できるということが重要だ。そのためには、役所・役場が簡素で無駄のない透明度の高い運営の実績を公表し、将来世代に安易に付けを回さないという意味で、責任ある持続可能な行財政運を実行していく。なすべきことはまだ相当にあるのではないか。と同時に、住民自治の強化と住民協働の促進という観点から「住民・民間が担う行政」(新たな公共空間の形成)の展開に乗り出すことだろう。その有力な手がかりが、一般制度として地方自治法に新たに規定された「地域自治区」の設置ではないか。地域内分権ともいわれている。念のために、協働という言葉が自治対の計画などに入り、どこでも使うようになったが、これは、アウトソーシングの受け皿でも、従来以上に物分りのよい協力的な住民を前提にすることでもない。自治体の関係者などにはそう見なし、「便利だ」と思っている人がいるが、それは不見識で間違いだ。住民協働は「市民分権」の促進と考えられるべきものだ。

▽交付税制度を曲解した「モラル・ハザード」論

尾形 自治体の財政運営で、「受益」と「負担」を考慮しないモラル・ハザードを起こしているという指摘があります。
大森 そういう考え方は財務省などに強く見られるが、国からの移転財源を縮小するために地方交付税制度自体を曲解している面がある。個別法で事務事業の実施を義務づけておいて、財源保障をしないというのならば、義務づけ自体を外すべきだ。それこそがナショナル・ミニマムの見直しだ。そうするならば、国庫補助負担金で自治体を縛り続けている国の省庁の大改革(個別の国庫補助負担金を担当している課の廃止とその職員の削減)になる。その覚悟も見通しもなく、「モラル・ハザード」などとよく言えるものだ。
尾形 三位一体改革が進むと自治体間の競争が激しくなり、地方の団結維持も難しくなりそうです。地方6団体の団結にも黄信号がともるようです。
大森 そういう側面もあるが、いままだって難しかった。このたびの三位一体改革では、永田町とか霞が関の驚くほどの調整能力を地方6団体は示した。改革遂行に「大同団結」しかないことは明々白々だ。がんばるのではないか。省益を擁護しているような国政政治家に期待が持てるだろうか。

▽知事会は全力結集で国と交渉を

尾形 国と地方の協議の場で、地方側は7月までに06年度予算をめぐり6000億円分の補助金削減策をまとめると表明しました。どんな内容にすべきでしょうか。
大森 昨年の三位一体改革で3・2兆円の国庫補助負担金の廃止を打ち出したが、そのほとんどはまだ完全実行の目途が立っていない。これを実行させることが先決。分権改革が国の行政改革に連動することを世の中に訴ええていくべきだ。その上で、何とっても公共事業負担金の廃止が重要だろう。
尾形 全国知事会の会長が代わりましたが、闘う知事会の性格が薄れてしまい、地方6団体のリーダーとしての求心力も弱まったとの見方があります。
大森 そうだろうか。分権改革推進の頼りになる政治家は国政に何人いるか。知事会が先頭になって頑張る以外にない。改革派・行動派の知事たちに、これほどの期待が集まったのは政治史上初めてではないか。歴史的使命を負っている。自分たちが選挙で選んだ会長を先頭に全力を結集して国との交渉に当たってほしい。
(2005年 夏季号)