【地方行革と自治体経営】

 池田弘一(経済同友会 副代表幹事・地方行財政改革委員会委員長、アサヒビール取締役会長兼CEO
 
 
「新しい社会を作ろうとしたら、答えは“地域主権型”。地方分権改革の推進しかないということが分かった。そちら側に舵を切るのが政治の責任、国民の判断だ」

 聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】
いけだ・こういち

1940福岡県生まれ。
63年九州大学経済学部卒業、アサヒビール入社。97年常務・営業本部副本部長、首都圏・関信越地区本部長、首都圏本部長、99年専務・首都圏本部長、20019月専務取締役、代表取締役社長兼COOを経て06年代表取締役会長兼CEOに就任。
2004年度、経済同友会地方行財政改革委員会副委員長、社会的責任経営推進委員会常任委員、05-06年度地方行財政改革委員会委員長、07年度地域経済活性化委員会委員長、08年度地方行財政改革委員会委員長、副代表幹事

▽自治体経営の発想が必要

尾形 平成の大合併が進み市町村数は今はもう1800をきる1780台まで減りました。町村だけを見ると、1000程度になり、日本の行政機構の再編が相当進んだようです。地方行革委員長として、合併の現状をどう感じますか。

池田 経済同友会では、基礎自治体は、人口30万人、300自治体程度と提言している。それから比べると、まだまだという感じがするが、3300程の基礎自治体がここまで整理されたことは大きな進歩だと思う。
 今合併による様々なひずみが喧伝されているが、それがどういう形で動き出すかはこれからだ。スムーズにいけば、もっときちんとした基礎自治体を作っていこうという動きに弾みがつく。

尾形 改革はスローテンポだと。

池田 一歩を踏み出してはいるが、三位一体改革の弊害も含め、いろいろな問題が出ているからだろう。

尾形 基礎自治体の首長と話していると、本音の部分では「こんなはずじゃなかった」という声がかなり聞かれます。自治体側にも合併すれば何かいいことがあるんじゃないかといった「青い鳥」を求めすぎたこともありそうです。自治体のあり方についての認識が甘かったとも言われています。

池田 経済同友会の提言では、自治体「運営」から自治体「経営」に(転換するように)と主張した。今までは、国が大枠を決めた計画をうまく回していけば、首長としての責任は果たせた。また、日本経済が成長している時代には、国主導の全国一律の政策はうまく機能してきたが、それが通用しなくなった。
 三位一体改革の一環としての平成の大合併だったと思うが、構造改革は停滞し、地方の責任は重くなったけれども権限は全然こない。特に、いわゆる税財源の移譲がなく、相変わらず財政面はお上に頼らざるを得ない。それが、基礎自治体の首長や都道府県知事の非常に強い不満として出ている。

 もう一つの問題は、住民が市町村合併をする理由について、情報不足もあり、理解していないため不安や不満が出ていることだ。
 また、残念なのは、そういう厳しい現状認識をして改革を目指した首長が再選されないケースが増えている。そういうところに住民意識(の弱さ)が端的に表れている。

▽閉塞感打破は地域主権でしかできない

尾形 小泉首相の三位一体改革は、地方にとって最も大きい地方交付税が思いっきり切られ、補助金は削減は程々、税源移譲は、移譲で潤うところと、移譲しようにも移譲できないような自治体もあった。そういう意味で、ちぐはぐな改革になってしまった。

池田 それは仕方がないと思う。いわゆる新しい国の形、新しい活力を目指す改革のスタートがやっときれたわけであり、そういい意味では評価している。しかし、構造改革の最初の一歩が始まっただけで、続くべき政治のリーダーシップやビジョンなどが出てこない、というところが非常にまどろっこしい。
 政府の地方分権改革推進委員会からの勧告をはじめ、様々な提案が用意されつつあるが、そうしたものが、もっとスピードをあげて出てこなければいけない。分権委員会への不満は聞くが、税財源の問題をきちんとしてくれれば、目指している方向は今のままでいいと、大半の首長さんが言われている。

尾形 勧告の考え方は理念的にはいいのですが、もう少し方向付けを明確にしてほしかった。霞が関の抵抗で少しあやふやになってしまった。

池田 一連の構造改革は、国の統治を中央集権から地域主権に変えることだ。そのためには、分権のステップをとる必要がある。
 改革のプロセスでは、当然さまざまな齟齬があり、かつ、スピードも要求される。霞が関の行政は今のままがいいと思っているから抵抗は激しい。やはり政治の強いリーダーシップ、あるいは国民の強い意見を出さないとなかなか動かない。

尾形 地方行財政改革委員会の提言にあるとおり、改革はまずビジョンがあってこういう風な国にするんだという、いわゆる基本的なコンセプト、キーワードがあって、そのために何が必要であるかという各論があるわけです。そして、一つずつ片付けていかないと前に進まない。
 国のあり方が曖昧なまま改革先行という形、各論が最初にあるのは良くないと思います。

池田 日本にはもともと、明確な国のビジョンは必要なかった。ある意味では、明治維新や(敗戦による)戦後(復興)という非常に劇的なステップを経て、言葉に出さなくても一つのビジョンや目標を共有できた。人並みの国になりたい、人並みの生活をしたいという、大きな、これ以上ないビジョンだ。西洋に追いつけ追い越せ、という大きなビジョンの中で日本人の精神構造ができてきた。

 これまで国民は、皆がハッピーになることを望んでいたが、今はさまざまな価値観があり、一つの方向には向いていない。これから我々が目指すものは既存の仕組みを変えるという大改革であるため、長期的には全体では今よりハッピーになるはずだが、そのプロセスにおいてはアンハッピーになる人も出てくる。でも、政治はそういうことを強く言えない。その辺がもどかしく、政治やマスコミ、あるいは経済界の責任は大きい。
 よく、中央集権か地方分権か、なぜ地方分権がいいんだ、という二者択一型の質問を受ける。現在の中央集権型で皆が閉塞感を持っているのは共通認識で、新しい社会を作ろうとしたら、答えは地域主権型(地方分権)に替えるしかないだろう。
 「地域主権のメリットは何ですか」という質問はよくない。子や孫に対しての責任を考えて判断すべきで、今のいいこと悪いことをあまり大きく扱うべきではないのではないか。

尾形 かつて、「総中流時代」ということが言われました。意識としては、皆が自分を中流世帯であると思っていた。逆説的な言い方をすれば、それは将来像を作るに当たっての「ネック」になったような気もします。「ぬるま湯」につかっていれば楽だし、どうあるべきかみたいな話はなかなか出てこない。

池田 世界を見渡せば、今でもまだ日本は格差が少ない方だろうと思う。単に所得とか生活レベルとか、あるいはどの国と比較するかは別にして、個人レベルでそれほど異常な差があるとは思わない。意識の差とか将来への明るさの差とかが顕著に見えてきたから、格差問題が取りざたされているのではないか。ここ10年で生活レベルに急速に差がついたとは思わない。

▽提言は政治の動きに合わせた

尾形 2006年4月の提言(「基礎自治体強化による地域の自立」)は、ちょうど小泉政治の最終段階で、二番目の07年6月の提言(「基礎自治体の経営改革」)は、安倍首相が大胆に戦後を見直そうと言っていた時期のものです。提言は、時の政権のカラーを表しているようですね。
                                          
池田 06年の時は、そういうことをかなり意識して委員会を運営し、提言を出した。要するに、ポスト三位一体改革、第二期分権改革に対して、地方行財政としてはどういうことが必要なのかと。(行政の仕組みとしての)道州制を議論すべきという声もあったが、道州制を前面に出すと区割り論に走りがちで、本質的に日本が目指すべき姿が埋没してしまう。

 道州制の前提として、基礎自治体が自立する体制を構築することが、次の改革につながるのではないかという意識で、あえて「基礎自治体」という言葉を前面に出し強調し、道州制という言葉は本文中にしか出てこないような書き方をした。三位一体改革でも税源移譲などが大きな問題になっていたので、そこに思い切って踏み込もうということで提言した。
 そして07年は、そうした06年の提言を踏まえ、さらに改革を進めるために、何を提言すればよいかを考えた。当時の改革派の首長さん方がいろいろ努力をされていたので、実態を見て我々が目指す基礎自治体の改革派首長を応援するようなものを出そう、その検討をしようということになって、識者の話を聞いたり、実際に地方を見て勉強をした。

尾形 07年の提言のころ、夕張市に代表されるような小規模自治体の財政破綻が顕在化しました。提言は、財政破綻にあまり触れていない感じあります。どうしてでしょう。

池田 その点にはあまり触れていない。むしろ一生懸命に改革に取り組んでいる地域の応援団になろう、各地で改革に取り組んでいる事例を知らせる方がいいのではないかと考えた。夕張のように財政が危機的な状況のところはたくさんあるが、そればかりを取り上げて指摘するよりも、改革に一生懸命取り組んでいる地域にポジティブに対応する方がいい。
 夕張のような状況になれば外科的な手術しかない。自分でやろうという問題意識、計画性、それこそが経営だと思う。そういう自治体が、徐々に増えてきている。ただ住民レベルでは、必ずしもそうではない。

▽「企業経営的発想」の真意

尾形 提言でも触れている「企業経営的な発想」は、いきすぎると問題が出る。経営感覚を欠いた自治体が多いのは確かです。職員数一つ取っても、なかなか合理化ができない。夕張市の破綻で職員が大量に退職しましたが、ある首長に言わせると「元々多すぎた職員がいなくなっただけ。再建にとって千載一遇のチャンスだ」となります。

池田 それは、経営をどういう風にとらえるかによると思う。日本が十数年間を費やしたバブルの清算では、三つの過剰(雇用、設備、債務)と言われた。同じことが自治体にも言えると思う。経営的な見方をしないと、自治体をきちんと立て直していくのは難しい。ただし、民間企業のようにドラスティックにやれるかどうか、という問題はあるが、しかし、考え方は自治体も企業も同じ。だから、自治体「運営」ではなくて自治体「経営」をやらないといけない。

もう一つ、企業経営の根本にはCS、顧客満足を得ない限り成り立たないという大前提がある。自治体もCSを徹底することが大事だ。福田首相が生活者、消費者優先と言うのは政治家として当たり前のことだろう。
 顧客満足は、現状維持では不満に変わる。今日おいしいと思ったら、明日はもっとおいしいものを食べたい。お客さまの判断基準は、日々変化するから、それに我々が対応できるかどうかが、企業の盛衰を決める。

行政サービスは、住民の変化する要求に対してどう答えていくべきか。去年と同じでは満足されないから何かを加える。かといって、加えてばかりでは過剰サービスになるから、何かを削らないといけない。自治体にはその作業ができてないと思う。

尾形 企業と行政の違いは、確かに顧客満足度にどう向き合うかです。例えば、食品メーカーが出す商品はまずければ消費者は買わない。行政の場合は、その「売れた」「売れない」のデータが的確につかめない。そこが行政の難しさだとも思うが、顧客満足を追求する努力も足りません。全体として、創造性、向上性ができにくい組織のようです。

池田 我々の会社でもそうだが、トップの意向や方向性などを全社員に分からせるためには、トップが大変な努力を重ねなくてはならない。私は自らを「壊れたテープレコーダー」と言っている。要するに、同じ考えをあらゆる場面で繰り返し話していかないと、考えていることが社員になかなか伝わらない。

ところが行政の情報公開は非常にわかりにくく、かつ積極的な発信がない。本質的には、先に情報公開をして、行政サービスの費用と効果をオープンにするべきだ。それがない限り、住民の満足度は測れない。行政サービスは、最終的にはおカネ(税金)につながっている。こういうサービスにこれだけのコストがかかる、こういう要求をするとこれだけのコストがかかると公開すべきである。こうして受益と負担の関係を示したうえで、住民が行政サービスの内容や水準を決めていけばよい。

▽化粧したおばあちゃんが出てきた

尾形 税収が伸びない、財政的に困窮する自治体が増えると立ち直るために分かりやすいというか、単純な方法を考えがちになります。人件費の削減、業務のアウトソーシングとか、とにかく自分たちの体をスリムにすることを考える。
 ところが、気がついたら贅肉を落とすどころか筋肉まで削いでしまった。自治体経営からすれば悪い選択です。「そろばん勘定」するだけでは自治体経営じゃないと思います。その辺の認識が少し足らないのでは。

池田 富山市の森雅志市長に伺った話に感銘を受けた。ライトレールという市内電車を活用することで、中心地の活性化を図り、高齢者も周辺から来やすい仕組みを作った。「串と団子のまちづくり」と言って、交通機関(串)を使って、町(団子)を繋いで都市構造を活性化する手法だという。
 離れたところに電車の駅があり、そこまでは車でいくしかない。1年か2年、バスをサービスするが、利用しないようなら住民が要らないのだからやめる。それが行政だろうと思う。

経営で一番してはいけないことは、一律カットだ。それは会社(経営)が終わりに近づきつつある証拠だ。全体として、費用の何割カットとか、固定資産を何割減らすという目標は立てられる。経営者としても○割くらいは減らしたいなとは思うが、それをどこから捻出するかが経営だ。同じことを行政もやらないといけない。

尾形 富山のライトレール、なかなか評判がいい。

池田 1日約5000人くらいが乗っているようだ。循環型になればもっといい。これにより、おばあちゃんがお化粧して中心部へ出てくるようになったという話に感銘を受けた。これこそが地域を、日本を活性化させる知恵だ。

他にも頑張っている自治体はたくさんある。例えば、有名な福島県矢祭町の根本良一前町長。できなくなった行政サービスを切り捨てないで、住民総掛かりで自らやる。住民が行政サービスの担い手となることで、効率的で、本質的な行政サービスができた。基礎自治体の中でも行政、住民、企業などの地域を構成する各主体で行政サービスを役割分担することが、本来的な自治であり、他地域でも柔軟に取り組むべきではないか。

▽多様性のあるまちづくり

尾形 提言で基礎自治体に多様性、個性的なまちをと指摘したのはそのとおりです。特色がないような町は、人を引きつけることができない。まして観光地であれば、もっと特色が求められます。
 半面、自治体経営を強く求められると、合理化に走ってしまって、個性や多様性が置き去りにされる恐れもあります。

池田 どの地域にいっても同じような街がたくさん出てくるのでは、地域主権とは言えない。
 私がイメージしているのは、それぞれの自治体に、やることの強弱、行政サービスの強弱の多様性があることが前提。要するに、どういう地域、どういう基礎自治体にしようという一つのビジョンがあった上で、地域経営が行われるべきだが、そのビジョンに多様性がないといけないということだ。

地域の経済活性化というと、必ず「企業誘致を」と言われる。企業誘致が活性化の大きな施策であることは事実だが、どこの地域でもやれるわけではない。だから、地域経済活性化委員会では、企業誘致はあまり検討しなかった。
 結果として(提言は)、第一次産業や地方企業に重きを置いた内容になった。地域経済活性化の方法もさまざまであり、「多様性があるまち」とは、そういう意味だ。多様性とは懸け離れた同じようなまちになるのなら、「超中央集権」の方がいい。自由を全く与えずに自助努力しろというのは無謀だ。多様性があるということは、かなりの選択肢を地域、住民側にゆだね、それを生かす行政をやろうということで、そのためには国からの義務付け・枠付けなどの関与をなくさないといけない。

▽完全自治体の理想の姿を示した

尾形 経済同友会の基礎自治体ビジョン、「30万人・300自治体」は相当ドラスティックな提言です。

池田 人口30万人、300の基礎自治体は、一つの完全自治体(真に自立した地域)の基盤として考えるとそれくらいの規模が必要であるということで、一つのモデルである。実際は、日本は中山間地域が非常に多いこともあり、10万人のところも15万人になるところもあるだろうが、それはやむを得ない。しかし、一定規模を確保できない地域に対する自立方法の工夫は必要。
 特に財政面においては、国に頼らず、地域間での水平調整システムで補完するなどの仕組みを考えるべきだ。今までは、国に財布を預けるとうまく分配してくれる仕組みだったが、分配機能を国に任せたままでは中央集権と同じである。分配も自分たちでできるようにしなくてはいけない。

尾形 300の基礎自治体と道州制とは矛盾しませんか。

池田 道州制になっても、300の基礎自治体が地域の中核。国は国として本来やるべきことをやり、住民レベルの仕事は基礎自治体でやる。基礎自治体でやれない、もう少し広い範囲でやった方がいいものを道州が広域行政としてやるべき、という考え方だ。

尾形 道州について、日本経団連が2015年導入を提言した。同友会は導入時期は言わないのですか。

池田 そこまでははっきり出していない。

尾形:道州制は導入に際して、整理すべき問題がいっぱいあります。「10年ぐらいで導入」とは簡単にいきません。

池田 目標年次を示すのはいいと思う。私は日本経団連の道州制推進道州制の共同委員長も務めている。企業経営的に言えば、ターゲットを決めないとものは動かない。一歩踏み出して、さらに押してもらわないと前には進まない。

尾形 経済界の道州制論議は昔からありました。

池田  道州制の議論は戦前からあったが、未だに認識は共通ではなく、47都道府県では多すぎるからまとめようという道州制論がかなりある。
 経済界が今言っている道州制は、基礎自治体中心の道州制だ。

▽何にも増して第一次産業の強化

尾形 提言でも一次産業が元気にならないと駄目だと強調していますね。それで、一次産業に加工や流通を加えて「第6次産業」として位置づけるべきだとも言っています。中山間地の振興は大変難しく、即効薬は見当たりません。

池田 第一次産業の活性化は必要。地域活性化のために一番重要な施策は第一次産業だし、第一次産業を外して、人が定着するとかしないとかの議論はできない。
 昨年、新潟などを回って話を聞いた時、ある農業法人の言葉でショッキングだったのは、「国の政策がころころ変わって、どういう方向に行こうとしているのか見えないのが最大の不安だ」という言葉だ。生活や経営の不安ではなく、農業をどういうふうに捉えようとするか(わからなくなっている)。

私は今がチャンスだと思う。これだけ食の安全・安心と資源としての問題が表面化し、環境問題も浮き彫りになってきた時期はない。日本は、まだ自然が残されている国だ。それを国民がある程度のコストを等しく払って維持すべきで、第一次産業の活性化と一緒に実現させるのがいいと思っている。

尾形 国民はどういう形でコストを負担すべきですか。

池田  既得権とか既成の枠組みの中で、そのカネが生きていないだけで、今もコストの負担はしていると思う。新たに大きなカネを出さなくても、今我々が税として負担しているものをきちんと生かせばいい。

▽懸案処理は「一内閣」で

尾形 中長期的な課題として、地方財政計画とか交付税制度を廃止して新しい法律に1本化するというのは、そうとう思い切った提言です。

池田 これは、2006年の提言(「基礎自治体強化による地域の自立」)で主張したこと。(国が自治体が必要とする財源を保障し、行財政運営の指針となる)地方財政計画は、陳情型の地方行財政につながり、地方の自立を阻害している最大の要因だと思う。財源の分配機能を霞が関がやっている間は、地方は自立できない。そういう意味で強く廃止と言っている。

尾形 総務省にとっては無視できない内容です。

池田 既存の組織というのは、今のシステムの中で動くのが大前提だから、それを否定されることに当然反発するだろう。

尾形 垂直的な財政調整は必要ない。もちろん税財源を大幅に移譲して、それでもなおかつ出来ない自治体は水平調整でやると。

池田 調整を否定しているわけではない。国から地方に税源移譲をしても地域間のばらつきはでるため、地域間の水平的な財政調整は必要である。富裕自治体におカネが集中することは、ある程度やむを得ない。

尾形 おカネを吸い上げてそれを配分することは地域主権にそぐわない。

池田 基本的には、(自治体は)自分でおカネを稼いでくださいということだ。一番いい見本は国鉄民営化で、当初は東日本と西日本と東海の3社しか(経営が)成り立たないと言われたが、九州、四国、北海道も問題はあるにしても安定している。JR貨物も、(環境問題などで)今は逆に脚光浴びている。

尾形 地域再興も、各地域が自分で考えなさいと、そういうことですね。

池田 そういうこと。求めるならば自分たちで考えないといけない。

尾形 住民や地域の満足度は一様でない、格差が問題だと言われませんか。

池田 「基準」があるから格差がある。何を基準に格差が広がっていると言うのか。最大の格差は情報だと思う。

尾形 地方分権改革推進委員会の第一次勧告に対して与党と官庁の一部が強く反発しています。政治のリーダーシップが求められます。

池田 小泉首相が郵政改革に命を懸けたように、道州制や分権に政治のトップが命を懸けないと実現できない。これからは地方分権改革という大きなテーマに全力を尽くす「一内閣」があって欲しい。政治のリーダーシップに期待したい。

(2008年夏季号)