【小規模自治体の改革】

根本良一(前・福島県矢祭町長)

「改革というのは、矢祭町がやってきたことではない。役場を本来あるべき姿に戻そうではないか、戻した姿が果たして有効なものかどうかというときに、改革という言葉が入ってくる」

聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

【略歴】

根本良一(ねもと・りょういち)

1937年、福島県矢祭町生まれ。
学校法人石川高等学校卒業。1983年、
矢祭町長に就任(2007年4月まで連続6期)。矢祭観光協会会長(83年から2004年4月)、東白川地方町村会長(89年5月から91年4月)、福島県町村会副会長(89年5月から91年5月)、東白川地方町村会長(96年8月から99年4月)。
2001年10月、国の平成の大合併に反対して「市町村合併をしない矢祭町宣言」をして、全国的に注目された。小規模自治体の中でも特異な存在として知られる。

▽「合併しない宣言」は大義がないから

尾形 公務を離れて少しはゆったりした生活になりましたか。

根本 ゆったり、というよりは自由だわね。(役場職員に)気を使う必要もないし。役場にいると職員にも気を使う。気を使わないようにしておってもね。

尾形 上に立つ人は、部下の人をよく気にしてやらないと、ついて来ない。

根本 別について来てもらいたいとは思ったことないの、私は。しかし縁あって同じ集団でいるわけだから、(気は)使わないようでいて使っている。

尾形 最初からそうでなかったが、段々枯れた心境になれた。

根本 全然枯れないよ。昨日もある人が来て、「根本さん、あんた変わり者だね」って言われたんだけれど、私は変わってない。

尾形 5年前、町長を辞めると言った時、町民がたくさんやって来て辞めないよう頼まれましたね。

根本 私が投げたボールで、まだ町には解決してない問題があった。そういう時に当事者が抜けるということは非常に不安だったのだろうね。矢祭町は今後どうなるんですかという時に、その司令官がいないと困ると思ったんでないの。

尾形 「平成の大合併」が本格化した時、町長は「合併しない宣言」を出しました。

根本 平成13年10月31日だったね。

尾形 地方分権の時代に耐えられる自治体をつくるため、3000もの市町村があっては駄目だ。永田町の政治家は1000だ、1500だとか、300という意見もありました。小さな自治体の首長として、誰しも岐路に立たされたと思うんです。「宣言」の決断をしたのは何だったのですか。

根本 ひとつには、国のいう合併推進に大義がないこと。日本の国家論になるわけだが、「300」という考えは道州を視野に入れたもの。そして合併は、リストラして財政をなんとか切り抜けようというもの。
 どういう国を目指すのか、国づくりが見えなない。今もって財政中心主義だ。ところが財政はますます悪くなるばかり。日本の国はどうなんだ、地方自治体はいかにあるべきかという議論がさっぱりない。

尾形 そうですね。

根本 いわゆる財政が、議員の数が多いとか、合併して自治体が1つになれば首長は1人で良いとか、迫力のないことに議論が終始している。そして余財が集まる訳ないんだけど、その余財があたかも間違いなくてんこ盛りになるんだということを言い続け、将来の日本の国づくり、高齢化社会の軍資金になるんだよと、ただ単にそれだけなんだね。
 合併は決して悪いことではない。自分たちが責任を持って合併をするというときは合併する。自治体が責任持つ。合併しないなら、こういう方法で私たちは運営するよということの方が大事だ。
 
もうひとつは、日本は単一民族国家だ。遷都論も、基礎自治体300、道州制も、ひとつの多民族国家の姿だと思う。

▽住民と響きあう行政が大切

尾形 平成の大合併で市町村数は1800を切りました。町村は1012、残りが市です。どんな感想を持ちますか。

根本 無理に無理を重ね、脅し、操って、そしてようやくこぎ着けたという数字だ。合併すれば交付税を固定相場で10年間保障するとか、特例債を貸しますよとか、無制限に近いような形でね。
 難しいこと言いませんよということぐらいでは出来なかった。県知事が中心になって旗を振った。特に総務省出身の知事はすごかった。

尾形 何が自治体を合併に駆り立てたのでしょう。

根本 駆り立てられたのだ。合併しないとつぶれる、将来どうするの、あなた方はと。そのときに、まあちょっと待ちなさい、合併することが果たして地域の発展、住んでいる人たちのためになることかどうかを優先で考えるべきだろう、と私は思った。

尾形:合併すれば行政区域が広くなり、過疎だった自治体、あるいは無医村だったところが行政単位では隠れてしまう。

根本 それは隠れただけ。現実には旧村は過疎であり無医村であり、あるいは更に人間が住まなくなる状態が、急激に進行するんじゃないか。
 行政というものは、私がやってみて、住民のために、あなたの地域のために私たちは頑張ってやるということはまずあり得ない。ただ、住民の方からこうして欲しいなどと非常に耳の痛いことはある。しかし、自治体がある規模までだと、それが(互いに)響いてくる。それは決して放っておくことはできない。
 同時に、近くに住民がいると、あんまりいい按配な姿勢ではもたない。ちょっと大きくなると、今の救急車のたらい回しと同じで住民は諦めてしまう。これは、これからの地域社会にとって非常に問題だ。

尾形 合併したけれどどうも期待外れ、官僚は合併のメリットはこれから徐々に出てくると言います。

根本 もともと期待する方が無理。国も合併して国民に豊かな暮らしを保障しようという、そんなことは一切考えていないと思うよ。そんなことを考えておるならば、私どもも、もう少し判断する範囲がある。今喫緊の課題として、国も地方も膨大な借金を抱えている。
 合併することで国は将来、地方との関わりをなくしようというのが本音だ。政治というまつりごとにある人は当然、そこまで考えざるを得ない。

尾形 国にとって地方は従順で、言うことを黙って聞いてついてきてくれる自治体がいっぱいいた方がやりやすいのでは。

根本 それは木っ端役人のいうことで、そればっかりではないと私は思う。官僚を相手にしたってしょうがない。官僚はともかく、政治をやろうという人たちはそういう人ばかりでないと思う。日本の国をどうするべきかということを案じている。


▽「2010年問題」には力が及ばない

尾形 合併したくても出来ない自治体もある。どうすればいいですか。

根本 もともと離島は合併に馴染まないし、すべきではない。行政の効率化という面から見たらはるかに後退する。合併に関わらないで、それなりのものでやれるはずだ。
 この前、長崎県五島列島の小値賀町に行ってきたが、財政力指数なんかは極めて低いんだが、何と言うか、中身は豊かだわね。持っている環境というのは素晴らしい。海に囲まれて。ああいうところで財政力指数をあれこれ議論しても始まらん。
 船で1日往復1便しかないようなところが隣と合併をしたいとかしたくないとかいう話ではないと思う。
 夕張市は最盛期には人口が12万人もいたが、1万7000人になっても職員が依然として4百数十人もいた。財政再建団体となって給料は安くなる、退職金が減らされるとなったもんだから、部長級を中心にぼんぼん辞めた。
 これは絶好のチャンスだ。人口が6分の1になったのに、職員の数は減らない。炭坑じゃあ食えないから観光で行こうとなった。次から次ぎとおかしな施設をつくった。

尾形 資質が問われる首長は少なくありません。

根本 再選されたい、立候補したい、また首長をやりたい、という者を首長にした自治体の不幸だね。
 道路特定財源を一般財源にして、全部交付金にしてばらまいて、使い勝手が良いようにして、地方分権そのものではないかというけど、そんな首長はカネの使い方が偏るよ。だから、補助金でいい。ただ、これまでは、この補助金の配分のルールが駄目だった。使い方を透明にして情報を公開する。
 交付税にして教育をやれ、道路をやれ、農業をやれと言われても、それを全部消化出来うる得る能力は悲しいかな自治体にはない。志のない首長にカネを渡しては駄目だね。

尾形 「2010年問題」が指摘されています。過疎法、合併特例法、中山間地域等直接支払い制度の期限が来て、小規模自治体にとって状況が厳しくなります。

根本 過疎法は矢祭町にとっても打ち出の小槌だった。
 過疎に対する考え方も当初は道路行政中心で集落と集落を繋ぐことだったが、産業の発展だ、企業誘致だと変わった。さらに、その周辺整備もいいとなり、人口増に繋がるならば、ルールとしていいよという。そういうことを建設省、農林省、厚生省(いずれも旧省名)のエリアまで広げてきた。
 過疎法は、交付金で賄おうというよりは、むしろ地方、過疎地域にとっては非常に有効だった。特に矢祭町では積極的に活用した。だから2010年に過疎法が無くなっても、矢祭町はある程度過疎債でもって整備はやってきた。
 補助事業を導入し、残りを過疎債に入れ1割負担ということでやってきたが、これは高額補助金だ。過疎債は地域の発展には非常にタイムリーであった。しかし、我々は政治力を持っていないから、法律の延長を望んでもできない。

尾形 全国町村会で何とかできませんか。

根本 政治の中央の方針や圧力には抗し難い。そこを破っていくのが地方分権だと言われても、「お貰い人」の習性ではできない。カネをくださいではない。自分の税金なのだから、胸を張って要求すればいい。要求するということは、自分たちの貰うものに理論的な裏付けがないとできない。そのルールを早くつくるべきだ。

尾形 合併特例法はどうですか。

根本  所期の目的はどうやら達成したという安堵感があるんではないの。私は(合併で)市町村数は2000を絶対割れないと思っていた。憲法(地方自治の本旨)を変えないと合併の強制は出来ない。強制は出来ないが、現実は完璧な強制だ。
 だから、私ども人口1万人を割っている自治体は強制執行するよと、水平行政あるいは垂直行政だ、強制合併だとなると、法律だからそうせざるを得ない。むしろ旗を立てて(抵抗して)もしょうがない。

尾形:強制的に合併できますか、させられますか。

根本 それは無理だろう。だから、もっと前に進んで道州制ということなのだろう。今は過不足なしというか、地域は違っても生活できない国民ではない。格差解消をどうするかという問題はあるが、いかにして冨の配分を上げていくかということだね。


▽縦割りの地域振興策


尾形 道州制は、10年で話をつけるようなそんなたやすい話ではないと思います。国家のあり方、国家像が不明確なまま、道州をつくって何をしますか。
 道州論はいろいろありますが、それぞれのイメージはバラバラです。国民の気持ちも、そちらに向いていません。

根本 総務省の市町村合併とは違って、道州制では各省庁が絶対本気にならないと思う。省庁のエゴイズムというものは、道州制に馴染まない。道州の中で福祉も教育もそれぞれ違うということに馴染むほど、大きな国土面積あるいは人口があるわけではない。

尾形 地方が直面している問題に対する国の施策を見ると、総務省の地域振興対策・過疎対策と同時に農水省も似たようなものがあります。霞が関の縦割り行政と言えます。
 それと、去年の参院選の前に出た「ふるさと納税制度」構想、その前の「がんばる地方応援プログラム」などは、要するに選挙目当てでした。特に「応援…」は現場を知らない官僚が、基準項目だけ並べて地方の「やる気」を量ろうとしました。

根本 そこのところなんですよね。特に農業政策、林業政策は酷い。農林水産省の旧構造改善局をみてもね。彼らは毎年必ず1つ2つの新しい制度を、補助金制度をつくる。各セクションでね。「今度はこういうのができた、起債事業でできる。補助率がこれだ」とね。それはね、官僚が現職時代に国の法律をつくったという、スケールの小さい満足度合を満たすものなんだね。
 私が町長を辞める前の前の年だったか、本省から東北農政局の新しい部長になった官僚が来て、「私が新しい法律を1つつくった」と、農業者のために土手の草を刈るとか、水路の中を掃除するとかの補助金をつくったと自慢げに話した。国がカネを出すから、市町村も出してくれと。余りにも農業、百姓のことを知らなさすぎる。


▽国は農業の方向性を示せ

尾形 「増田プラン」は振興策の事業区分を都市・地方都市、農山漁村、それと「限界集落」の3つ分けて施策を考えようという、今まではなかったアイデアを出しています。

根本 これはプランだから、これをどうやって現場に下ろしていくのか。中身は地に足がついたところもあるんだけど、果して政府の中で宙に浮いてしまわないかな、と心配だね。限界集落の対応1つでもいいから成功させてもらいたいね。

尾形 増田さんは、現場をいろいろ知っている。今までの政治家大臣とはちょっと違う発想ができるようです。元総務相の竹中平蔵さんが仕事をできたのは、後ろに小泉首相がいて、ハッパかけていたからです。今の福田さんは何も言わない。20数年行政に携わって国の地域振興策をどう思いました。

根本 もう限界だ。例えば国が農業を「こうすべきだ」ということは、求める方も求められる方も無理な話だ。大きな政策を国がはっきり示すことが大事で、農業者が国の指導を仰いでやるものではない。地域に住む人たちが、あるいは農業者は、その自然環境の中でそれぞれの知恵と努力でやらないといけない。
 農業を家業として成立させるには、「頭のいい人」が従事しないと駄目だね。それぞれの農家が先祖伝来の農業を同じようにやるのではもう無理だ。
 町の基盤整備は、国の政策にのっとって農道や田畑の整備をしてきた。国がやっている中山間地政策は価格補償そのもので、私はあまり好きではない。「農業は割りに合わないから、その何分の一かのカネを出しますよ」というもので人気取りだ。
 何で今ごろこんな農業政策をやっているんだ、と思うこともある。個々の農家に手取り足取りではなく、農政の方向性を国は大づかみでいいから示してやらなければ。
 細川護煕内閣の時にコメが自由化されたが、その前に国会は「自由化はしない」と3回決議をした。鉦や太鼓を鳴らして増産を奨励しておきながら、今度は減反をどんどん増やす、多用途米を作りなさいというのは、国民としてもいかんともし難い。

▽国土政策の感覚ない林業対策

尾形 国は地域振興で国策を示さなかった。自治体が努力すべきことはなかったのですか。

根本 私は怠慢であるかもしれないが、そこまではしなかった。私が矢祭町でやってきたのは、農業を何とかしようということではなく、公務員制度というか、役場の機構そのものに狙いを定めてやってきた。
 「合併をしない宣言」をして改革は進んだ。しかし、組織は大丈夫だが、(改革の)中身はこれから少しずつ後退するだろう。
 福島県矢祭町も林業が主体だ。上空から見れば分かるが、日本列島は森林が多い。戦後の植林であれだけの蓄材をしておきながら海外から材木を輸入し、国内の林業をすっかり衰退させた。ロシアの凍土の木を切りつくし、次は南洋材を伐採、大量に輸入した。どこかでこの流れを絶たなければならない。
 農業は特産物があるかどうかにとどまるが、林業政策は国土政策そのものだ。まだ、手の打ちようはある。

尾形 農業も林業も全国の中山間地の重要な問題。国はぐらついてビジョンがない。

根本 ぐらついているというより、林業政策の本質を捉えていない。林野庁長官の部屋に間伐材を使った子どもの勉強机が置いてあり、長官は自慢げに間伐材の利用を説くが、国土計画に全く目が行っていない。
 関東営林局(群馬県前橋市)に呼ばれて行ったことがある。営林局の幹部が、膨大な林野会計の赤字を処理するために、間伐だけでなく皆伐も必要だと言ったから、私は「森林は国民の財産だ、木が育つまで50年もかかる。皆伐などと言わないでくれ」と反論した。
 林野庁管轄の森林の木を切るということは、林野会計の赤字のためではなく職員のためだ。戦後復興で木材需要が出たときから、山林の伐採、搬出、植林に携わっていた山林労働者がいつのまにか公務員になってしまった。山林労働者の身分が公務員になった途端、仕事の効率が悪くなった。林野庁の政策は全く問題にならない。

尾形 小規模自治体が力を合わせてがんばろうと、「小さくとも輝く自治体」の大会がこれまで何度も開かれた。

根本 一昨年6月、岐阜県白川村で開かれた大会のとき、事例発表である首長が「代議士を使って国交省からカネを持ってきて道路を造った」とか、「農水省から予算をもらった」「この次選挙に立候補するのに優勢になった」とか言っていた。私は、そんな話を聞きにきたわけではないから退席した。やっぱり、旧態依然の補助金を欲しがる感じがある。

尾形 小規模自治体なりの苦労話、知恵比べの大会なのではないのですか。

根本 そうでなければならないのだが……。
 栄村長野県)の大会のときは、会場から職員の給料をカットするというが、首長の給料や退職金をどうするんだと質問が出た。私はそのとおりだ、「隗より始めよ」ですと応えたが、私の隣の首長は「私たちの仕事はカネで計算できない。何で、そんなことを聞くんだ」と怒っていた。


▽せっかくの行政サービスが後退した


尾形 矢祭町の行政改革に、窓口業務のフレックスタイムの導入や役場職員の自宅を「出張役場」として開放する制度を創設したり、幼稚園と保育所の一元化などがあります。

根本 今までは幼稚園と保育所は選択性だった。おばあちゃんがいて子どもの面倒が見られるところは幼稚園、共稼ぎの家庭は世話をする手がないので保育園に行っていたが、今は子どもが少ないから分ける必要がなくなった。
 ゼロ歳から3歳は保育園、幼稚園は4−5歳まで、働く母親が安心して働ける環境をつくった。小学校に上がるときに幼稚園だ、保育園だと差をつける必要はない。それが、「幼・保一元化」の発想の1つだ。スタートラインを同じにした。
 保育所も幼稚園も朝7時25分から夕方の6時45分まで子ども預かる、保育料は他所の3分の1だ、給食費も安くした、働くところもあるから子どもさんを生んでくださいと去年の8月まではやってきた。
 その後、(保育時間が)午後1時半になると、子どもは帰されるようになってしまった。私は4月で町長を辞めたが、役場に言っても返事がないと、私の家に夫婦で何人も相談に来た。せっかくの行政サービスが変わってしまった。

尾形 出張役場制度はどうですか。

根本 年中無休でやっているが、勢いがなくなった。実際に町民がそこに行って頼もうとする雰囲気になっていない。自分たちが考えて志を持ってやるならすばらしいことだ。

尾形 勤務手当てなどはどうなりますか。

根本 そんなものはない。カネをもらったからやる話では駄目だ。フレックスタイムは何の問題もない。
 ただ、これまでは職場に他の部署の仕事はやらないというルールのようなものがあった。各種証明書の交付は法務省の決まりで、専門的な仕事となっていたが、フレックスタイムで職員は何でもしなければならなくなった。
 役場の職員から仕事の慣れ不慣れで不満が出たが、ローテーションでいろんな仕事をやるのが役場の業務のあり方だ。それに、仕事はそんなに難しいことはない。

矢祭町は本来あるべき姿に戻す

尾形 行政の効率化は必要だが、改革ありきが格差拡大につながりました。コミュニティーを大切にし、地域の良さを生かす、全国一律でない地域づくりが求められています。

根本 矢祭町がやった役場の組織をどうしようかというのは改革ではない。本来あるべき姿に戻そうではないか、そして戻した姿が果たして有効なものかどうかというときに、改革という言葉が入ってくる。役場としての本来の使命をやろう、適正な規模に戻そうということ。

尾形 小泉改革も霞が関のあるべき姿を呼び戻そうとした。小泉さんは、それをストレートに改革と呼びました。聞きたいのは、そうした流れから軸足をずらして地域の生活文化を見直す時期にきているのではないかということです。

根本 それは合併についても言えるね。(矢祭町が)合併しなかったということは、合併の良い悪いは別にして、地域の伝統を大事にしたということだ。間違いないのは、合併は文化や伝統をシャーベットにしかねない。

尾形 今、地域は若者を呼び戻そう、コミュニティーの力をつけようと知恵を絞っている。

根本 中央に行った青年が戻って来るためには、カネ(給料)を取れるところがないと難しい。同時に、少子化の中で仕事の内容をとやかく言われたのでは、この矢祭では(就職は)難しい。役場に勤めることが昔のような「失業対策」ではなくなった。

尾形 自治体は規模の大小にかかわらず、手掛けている仕事は概ね同じです。規模に応じて仕事を他の自治体に分散、移したらどうですか。いわゆる、「西尾私案」の考えです。

根本 実際にやってみると、できないことは何もない。今までの事務を任せるから思うようにやれといっても、分権事務のカネを寄こすのかと福島県の集まりで発言したら、総務省から来た県の幹部は「地方分権の権限移譲以外のことは応えられません」と言った。仕事と経費は分けて考えられないのに。

尾形 コミュニティーはどうあるべきですか。

根本 町に住んでいる人のコミュニティーは、ボランティアと混然一体になっていることだと思う。
 今までは、町はカネもない大変だ、町は無理だから応援してくださいというのが当たり前だった。
 しかし、矢祭町はそれは言わないことにしている。できる、できないは別にしてどんどん言ってください。全力を挙げてやると町民に言ったら、それが報道され町民が「私たちも」と立ち上がり、(全国から寄贈を受けた)図書館の応援も、草刈り、道路の維持管理もかなりの人たちがやってくれた。それが、大きなコミュニティーにつながっている。
 行政として住民の立場に立った判断をしていくならば、必ずコミュニティーは復活する。役場の役割をきっちり果たすならば、住民は評価してくれる。
 矢祭町は当たり前の役場になった。それが、ニュースになるということは、当たり前でないところが多いということかな。

(2008年春季号)

矢祭町議会は御用納めの昨年12月28日、臨時議会を開き議員報酬を「日当制」とすることを決めた。日当は1日3万円、議員活動は定例会など年間約30日。08年3月23日の町議選で当選した議員から適用された。議員の年収は330万円から約90万円と大幅減)