A【三位一体改革】

■石原信雄・財団法人 地方自治研究機構理事長(元官房副長官)

「三位一体改革に対する誤解は、アメリカ流の自治論者が書いたものを日本流に読んだことだ」

                              聞き手 尾形宣夫「地域政策」編集長

略歴

いしはら・のぶお
1926年生まれ。78歳。群馬県出身。東京大学法学部卒。自治省(現在の総務省)税務局長、官房長、財政局長を経て同省事務次官(86年7月まで)。87年内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山各内閣)=95年2月まで。現在、(財)地方自治研究機構理事長、(財)日本法制学会会長などを務める。
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▽分権に偏した改革への期待

尾形 三位一体改革は間もなく2年目に入ろうとしていますが、改革に対する地方自治体の懸念が高まっています。

石原 三位一体改革は、今の地方財政の構造があまりにも国の財政に対する依存財源が大きすぎ、自主財源が少なすぎることが地方自治を形骸化し、自治体が地域の問題に責任を持とうとしないという問題意識からだ。自治体の主体性の欠如、財政支出に対する安易感という弊害をぶち破るため、国庫補助金制度を全面的に見直して地方財源に振り替え、併せて地方の国への依存度を高めている地方交付税もこの際切り下げ、財源保障の考えを見直そうということだ。
 三位一体改革に地方自治体は初め、みな賛成した。地方の政策選択の自由度を高めると期待したからだ。ところが、2002年度の「骨太の方針」は同時に財政の立て直しをうたい、地方分権と財政の立て直しという二つの問題が提起された。三位一体改革を正面から見ると地方分権の推進だが、裏から見ると財務省は、安易な歳出を抑制し財政健全化の突破口にすることに関心があった。ところが地方自治体もマスコミも改革は地方分権の推進のみととらえ、分権への期待が非常に大きかった。
 しかし今年度の予算編成で補助金は約1兆円削減され、地方税源への振り替えを想定したのは6500億円しかない。さらに、別の次元で財政バランス回復のため地方交付税を大幅に削減した。

尾形 地方交付税の大幅カットはあまり意識されていなかった。

石原そうです。本年度の地方交付税16兆円のうち、本来の法定率による地方交付税は11兆円ぐらい。5兆円は国の一般会計からの上積み。この上積み分が国の財政を圧迫している。そこで、地方交付税の計算の基になる地方財政計画上の地方歳出を徹底的に減らした。特に地方単独事業に充てる財源を9・5%も削った。その結果、地方交付税は昨年度に比べ6・5%減になった。
 地方交付税は平成13年度から毎年減っている。さらに、地方交付税の肩代わりの形で配付している財政特例債を大幅に減らし、この二つを合わせた実質的な地方の一般財源は、平成16年度は前の年度より12%減とドラスティックな削減になった。今までは、地方交付税を減らしても特例債を増やして、トータルとしてそれほど減ることはなかった。
 そうなると、地方の側からすると、三位一体改革って何だねとなった。改革は本来、地方自治をより充実するためと思っていたが、ふたを開けてみるとぎゅうぎゅう締め付けるだけじゃないか。しかも、補助金は1兆円削られたが、その見返りとなる一般財源は6500億円だ。つまり、三位一体改革で現実となったのは、地方交付税の大幅削減だけではないか、と不満が噴き出している。

▽落ちた経常単独費の是正

尾形 その結果、地方自治体は予算編成でも四苦八苦しました。総務省の対応に問題はなかったのですか。

石原 地方が実際やっている単独事業は、地方財政計画上カウントしている額の方が5兆円程多い。もっと単独事業をやってほしいという意味合いも込めて地財計画上組んでいる。そこに財務省が目を付けて単独事業を減らした。計画と実際の乖離は確かにあるが、地財計画上の地方の独自政策は投資的経費だけではない。ソフトの経費(経常経費)もある。その乖離は、実は地財計画より7兆円程上回っている。投資単独だけを直して、なぜ、経常単独の是正をやらないんだ、と総務省の財政担当者に注意した。
 1960年半ばから70年代初めにかけて革新自治体が隆盛だったころ、一部の自治体が福祉施策などで国の政策を先取りし、ものによってはバラマキ福祉的なものがあった。本来住民が負担すべきものを税金で肩代わりする単独施策で「逆乖離」があることを知りながら手を打たなかった。その代わり、社会資本の地域間格差が多かったから、投資的経費を実際より多く見積もって、格差是正へリードしようとした。しかし今は、ハードよりソフトだとなり、それで独自施策としての投資単独事業を見直すのであれば、福祉の単独事業を見直せば、トータルとして地方交付税は減ることにはならない。そうした面での対応が総務省に欠けていた。

▽財政調整の認識欠く

尾形 小泉純一郎首相の三位一体改革をどう見ますか。首相の指示が徹底していないという見方も多いようです。

石原 三位一体改革を書いたのは竹中平蔵さん(金融・経済財政政策担当相)だ。彼の思想は自立促進、アメリカ型の自治論者。アメリカの自治体は、必要な施策は固定資産税で賄っている。交付税制度はないし、補助金もほとんどない。よりシンプルで、自治の原点に忠実であり、競争原理も働く。竹中さんはそれを知っている。今の補助金、交付税制度をアメリカ型に変えるのが、地方自治のためという哲学の持ち主だ。その人が(骨太の方針の)原文を書いた。その読み方を我々がもっと正確に読めばよかった。アメリカ流の自治論者が書いたものを日本流に読んでいた。
 だが、小泉さんと竹中さんの意見はいいところを突いている。今までは地方自治といっても、財政面では地方に対する補助金や地方交付税が多く、国への依存財源が高い。言うならば、他人のふんどしで相撲を取っているような自治は本当の姿ではないというのは、そのとおりだ。その意味で補助金を減らし、代わって地方税財源を増やせというのは正論だ。ただし、あの人たちには、都市のことしか頭にない。税源の地域偏在は厳然たる事実。それを無視したんでは税制改正はできない。
 大事なことは、補助金廃止によって地域偏在がどの程度出るかを見極めて交付税制度で調整しないと、地方自治体は住民への説明ができない。財政調整制度が絶対必要だとの認識がいささか欠けているのではないか。
 小泉さんは補助金を減らせ、地方交付税も減らせと言っているが、補助金を減らして地方税に振り替えると、交付税を増やさないと税源偏在のギャップは埋まらない。要するにその調整財源を確保しておかないと、手取りで大幅に減る地方自治体がいっぱい出て、制度改革はできない。そこが、あまり念頭にないのではないか。(首相や竹中氏は)トータルで、建前で考え、実際の現場をあまり考えていない。現場はきれいごとでは済まない。

▽政策手段に使われた交付税制度

尾形 今日のような財政状況になった背景は何ですか。

石原日本の地方財政が歪められた最大の理由は、バブル経済の崩壊後歴代内閣が景気立て直しのため財政支出を際限なくやったことだ。そのとき地方も動員した。おカネがないのに減税と公共投資。どちらも赤字国債で財源を賄った。地方の場合は赤字地方債と交付税特別会計の借り入れ。これを武器に景気対策をした。
 私は、交付税制度は時の政権の政策手段に使うべきではないと前から言っていた。具体的に言うと、バブル崩壊後まず、所得税と法人税、住民税を減税した。この巨額の減税で、当然国税の一定割合の交付税が減る。地方の法人住民税、個人住民税も減税になった。さらに、地方の単独事業も含めて公共投資を大幅に増やした。その際に、交付税のメカニズムを使った。単なる地方債では地方はついてこない。そこで政府は交付税特別会計で借金をして交付税で地方に配った。
 地方にすれば、カネに色が付いているわけではないから、本来の交付税なのか借金の交付税なのか分からない。交付税特別会計借り入れの約3分の2は、地方の責任で返すことになっている。交付税として配られたが、実際は借金を強いられた。

尾形 財政圧迫に追い込まれたのは国の責任ですか。

石原 景気対策だから地方も賛成したではないかという言い分はあるが、基本的に交付税制度を国の経済政策の具に供したわけだ。これは交付税制度の運用上の問題。しかも、交付税特別会計の借り入れでやった。強制的な借金の割り当てのようなことを国はやった。

尾形 1996年1月に発足した橋本龍太郎内閣は、思いきった構造改革に乗り出しましたが景気下降で98年夏退陣、景気最優先の小渕恵三内閣が誕生しました。

石原 橋本構造改革は当時の大蔵省(現在の財務省、以下同じ)も含めて経済政策の誤りだ。景気は多少立ち直ったのは、消費税が4月(97年)に3%から5%に引き揚げられるため3月に駆け込み需要があったからで、それを本格的な景気回復と間違えた。大変な失敗だった。消費税引き上げに加えて問題だったのは、2兆円の特別減税をやめ、さらに老人医療費の自己負担の引き上げをやった。とたんに国内需要が落ち、そんな状況の中で所得税減税をするとかしないとか言葉が揺れ、国民の不信感を買った。
 あのころ、日本の財政はピンチだったからいずれ消費税を上げなければならないと思っていたが、何も、一遍にやることはなかった。代わった小渕さんが、今は景気回復が最優先だと言って大変な景気対策をやった。それが国の財政の範囲内だけでなく、地方財政も付き合わされ財政悪化の傷口を深くした。
 元をただせば、第一次石油危機時に日本は初めて国内総生産(GDP)がマイナスになり、そのときの景気対策で初の交付税特別会計の借り入れをした。これは不況で当初予算に計上していた予算に年度途中で大幅な穴が開き、配分が決まっていた地方交付税にも穴ができたからで、緊急避難として借り入れをしたのだ。しかし、借り入れは交付税制度の邪道だから、新規借り入れはやらないと当時の大蔵省と確認し合った。
 それが、その後もズルズルと借り入れをやったものだから、これでは交付税制度がおかしくなると考えて82年度に特別会計の借り入れをしないと再確認した。そうして、ともかく交付税制度を元の姿に戻したが、バブル経済崩壊後、交付税特別会計による借り入れが無制限に広がり、交付税制度を歪めてしまった。

▽制度改革の処方せん

尾形 その地方交付税が今、改革を迫られています。

石原 望ましい改革は、交付税制度を国の財政政策の具に供さないこと。そのためには、交付税特別会計の借り入れで、交付税を上積みするのは絶対やめなければならない。交付税会計の借り入れはもともと、緊急避難の措置として認められたものだ。それを年度初めから借り入れ金を予定することはやってはいけない。もちろん、今はやめているが。
 それから、国の一般会計から特別加算によって交付金が増額されているが、これもやめなくてはいけない。特例加算でなく、この際、税制改正をして本来の地方税と法定税率による交付税で必要な経費を賄えるような状態に一刻も早く直すべきだ。
 そして、交付税の算定内容は、その時々の国の経済政策とか景気対策など、テンポラリーな政策の手段として交付税を使わないようにすべきだ。
 交付税は国が恩恵的に地方に交付するものではない。本来、地方の取り分だ。地方の方が、よけい仕事をしている。しかし、税源配分は国の方が多い。それは税源の地域偏在があるからで、その地域偏在を調整するための交付税は自治制度を認める以上、将来とも要る。今は税務署が集めた税金を国税収納金整理資金に入れ、それをそっくり一般会計に組み入れている。
 それを一般会計に入れないで、国税収納金整理資金を仕分けるときに、国の取り分を一般会計に入れ、地方の取り分は一般会計に載せないで初めから交付税会計に入れたらいい。そうすれば、国の歳出が大きくなるとか小さくなるとか、交付税のせいだというような馬鹿な議論はなくなる。交付税が増えたから歳出が増えたなどとんでもない話だ。

尾形 しかし財政当局は、地方交付税が自動的に決まるのはけしからんと言っています。

石原 それは、所得税、法人税は国の税金だという前提で言っているからだ。地方の方がよけい仕事をしているわけだから、その議論をするのであれば、所得税だけでなく住民税を増やせばいい。ところが、それをやると税源が東京にばかり寄ってしまうから、国税として一応徴収するが、全地方の取り分なのだから、その取り分は初めから交付税会計に入れればいい。今でも譲与税は、そうやっている。
 例えば、地方道路税は国税として国税収納金整理資金に入るが、一般会計に入れず、初めから交付税会計に入れている。地方譲与税は、そういうものだ。地方交付税も地方譲与税と同じ経理をしたらいい。

尾形 財務省や国会は了承しますか。

石原 財務省は嫌がるでしょう。一般会計を通すことで財政のコントロールが効くわけだから。国会議員も同じだと思う。だが、地方分権は今や合言葉だ。本当に地方分権を強化するのであれば、地方の取り分について国の一般会計で予算を組まなければ配れないというのはおかしい。

▽ドッジラインとシャウプ勧告

尾形 現在の地方交付税制度は、戦前の地方配付税と戦後の平衡交付金制度に、その前身を見ます。歴史的にどんな変遷を経て今日の制度となったのですか。

石原 1949年に出されたドッジライン(注1)は、敗戦後の日本の激しいインフレを止めなければ日本経済の復興は考えられないとして、あらゆる歳出を削った。

 (注1)GHQ(連合国軍総司令部)の経済顧問として1949年来日したアメリカの銀行家ドッジ氏が、経済混乱を止めなければ日本の復興は考えられないとして経済安定と自立のため指示した財政・金融引き締め策。

 当時一番問題だったのが、インフレで激しい物価上昇を抑えるため国民生活に必要な特定な物資への価格差補給金だった。それでインフレ退治のためあらゆる歳出を見直した。その中に地方配付税が入っていた。地方配付税は40年にスタート、団体間のアンバランスを調整するため、個々の団体の財政力や財政需要に応じて配られた。49年当時の配付税率は33%だったが、これが半減され16%にされた。翌年、シャウプ勧告(注2)が出され配付税と似たような趣旨で地方平衡交付金に換わったが、交付額の算定基準は半減されたところから始まった。
 シャウプ博士は、特定国税の一定割合を地方にやることは、むしろ地方自治に百害あって一利なしだからやめよう。それより毎年度地方の歳出需要をカウント、一方で地方税収を見積もってその差額を平衡交付金で政府の責任で補填するのがいいと平衡交付金制度ができた。ところが、大蔵省は、それでは国の予算がもたないと徹底的な地方歳出削減の挙に出たため、当時の自治省(現在の総務省、以下同じ)と大論争になった。平衡交付金は理想的な制度だったが、現実は毎年血みどろの戦いだった。それで、これではいかんということで54年度に今の地方交付税制度ができあがった。幸い、インフレも収まり、交付税制度も機能するようになった。

 (注2)49年にGHQの要請で来日した米コロンビア大学のシャウプ教授を団長とする日本税制調査団の勧告。勧告は国税と地方税をどう組み立てるか。その前提として国と自治体の関係をどうするかだった。国税は直接税を基本とし、地方税は独立税とするなど第二次大戦後の日本税制の基礎となった。

尾形 地方交付税制度が始まって丸50年。交付税率が今の32%になった経緯は。

石原 地方交付税制度の初年度は20%だったが、同年度に警察制度が国家地方警察と市町村警察から都道府県警察に変わった。国家地方警察分は国費から地方費に替えるので、その分は2%が必要で、平年度は22%となった。しかし、それは大蔵省流の計算で、実際には足りない。それで当時の自治省幹部は辞表を懐にして地方財政計画がいくら足りないかを公表、大騒動になった。結果として自治省の捨て身の戦法が成功、国会修正で55年度に25%に変更された。
 55年度以降、所得税、法人税の減税が毎年度あったが、減税は地方が望んでやっているわけではない。減税で失われる交付税分は、税率に戻して補償すべきと言って毎年、財政当局と論争を続けた。それが何とか落着したのは66年だ。当時の福田赳夫蔵相が、戦後初めて国債を発行、交付税率が32%になった。

▽目から鱗のシャウプ勧告

尾形 終戦直後出されたシャウプ勧告から半世紀が過ぎましたが、勧告の精神は今でも新鮮に響きます。

石原 今でもシャウプ勧告を読むと、地方自治に関する部分は目から鱗(うろこ)が落ちる感じがする。非常に新鮮で、地方自治のあり方を的確に述べている。
 我が国の地方自治、分権が論じられるきっかけになったのが、そのシャウプ勧告だ。シャウプ使節団の来日の直接の目的は税制の全面的見直しだったが、その際に国税と地方税をどう組み立てるか。その前提として国と地方自治体の関係をどう考えるかだった。シャウプ博士の考えは、地方自治体を強くするために税制をどう組み立てるべきかというアプローチだった。
 シャウプ勧告を支えたのは、アメリカでも最もリベラルな人たちだった。アメリカで実施されていないが、日本でやってみようと、極めてリベラルな考え方が打ち出された。
 シャウプ勧告の基本的な思想は、住民に身近な行政は第一義的に市町村に与え、市町村の手に負えない広域的行政を都道府県がやる。それ以外の全国レベルの仕事は国がやるといったものだった。明快に責任分担を国、都道府県、市町村の3段階に分けた。ところが不幸なことに、地方自治はシャウプ勧告で非常に高い次元でスタートしながら、戦後の経済混乱の中で、自治論議はあまり進む余地がなく、その余裕もなかった。当時の日本は戦争には負けたが、体質は変わっていなかった。GHQの命令だから渋々受け入れたが、52年の独立で日本の風土に合わないものは見直そうとなり、ほとんどのものが元に戻ってしまった。
 その一つが、今問題になっている義務教育費の国庫負担だ。シャウプ勧告でやめたが、連合軍の占領が解けた翌年の53年に復活した。

▽制度改革論は待ったなし

尾形 全国知事会など地方6団体は、3兆円の税源移譲に対して3兆2000億円の補助金削減の改革案をまとめ小泉首相に提出しました。どう評価しますか。

石原 地方が補助金削減の案をまとめてくれと首相が言ったことに答えを出せなかったら、地方は大きいことは言えない。だが、補助金をどれくらい削減するかという金額の問題ではない。国と地方が行政執行にあたってそれぞれがどれくらいずつ負担するかの「負担原則」が根本にあって税制が組み立てられている。その筆頭が全国知事会で大激論になった義務教育費の国庫負担だ。その補助金をなくすことは、専ら地方の責任でやるということになり、そこで各知事の意見が分かれた。
 中学校だけの国庫負担金廃止は、義務教育の原則から見ると分かりにくい。その説明が出ていない。(政府の税源移譲額に合わせた)当面の方便ではないか。戦後一貫した義務教育費の負担のあり方の根っこを変える議論がなかった。国と地方の責任の持ち方をどう整理していくかだろう。

尾形 8月の知事会の議論は補助金廃止というカネ目の話で、そのための制度変革の議論がありませんでした。

石原 補助金問題は制度論と裏腹の関係だ。補助金をやめることは、制度の実体を変えること。補助金削減の金額が決まったら、今度は逆算で制度論にいく。金額に見合うだけ制度を改革しなければ補助金は減らせない。これは待ったなしだ。地方は改革案をまとめたのだから、これからは、それをフォローしなければならない。

尾形 それにしても、知事会の論議は熱を帯び、分権改革の意欲を感じさせました。

石原 これまでは、知事会は仲良しクラブできた。しかし、世の中が変わり、各地域の利害をどうするかという場に立たされた。これまでの分権論議では、義務教育とか社会保障問題は触れられなかった。これからは、そこをどうするかだろう。

尾形 地方分権論議の中に、それによってどんな国をつくるとか、国のありかたが欠けていませんか。

石原 住民生活に関わりが深い内政面の仕事は地方自治体が責任を負う。中央政府は外交、防衛、司法とか中央政府ならではの仕事に限定していくのが成熟した国家の姿だ。開発レベルの低い国家ほど、全ての権限を中央政府が持っている。

尾形 国会の地方分権に対する意識も明確でありません。

石原 国会議員は本質的に、いろんな問題を国政でコントロールするのがいいと思っている人が多い。地方に任せることに何となく不安があり、自分の出番もなくなる。これは、補助金制度で顕著に表れている。だから、今度の補助金整理(地方案の取りまとめ)も各省の意見ではなく、地方6団体が作ってくれと首相が求めたのは、それなんだ。

▽地方のリストラは当然

尾形 ところで、地方は三位一体改革でリストラを迫られています。

石原 当然だ。大きな流れとして補助金をやめて地方税を増やし、景気の状況について地方が責任を持つことは必要だ。本当の地方自治であるならば、政府が想定したレベル以上のサービスをするのであれば、そのコストは受益者である住民が皆で負担しなければならない。全国どこでも学級編成の議論は盛んだが、そのコストをどう負担するかの議論がない。
 人件費の削減では、地方公務員の給与を直すと言うが、国家公務員より上回っている分を国家公務員並みにするだけで、それより下げるということではない。 問題になっているのは、給与水準を是正するのは当たり前で、さらに、それぞれの地域の民間給与とのバランスを考えろとなっている。国の人事院勧告をおうむ返しにしているような地方の人事委員会なら要らない。

                                     (2004年 秋季号)