B【道州制】

■西尾 勝・国際基督教大学教授(「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)共同代表 元東京大学法学部長)

「市町村合併の進展は都道府県制の再編論議を呼ぶ。道州制の推進論者ではないが、早期に道州制の検討を始めなければならない」

                              聞き手 尾形宣夫「地域政策」編集長

略歴

にしお・まさる

1938年。66歳。東京都出身。東京大学法学部卒。同大教授を経て92年法学部学部長(―94年)。99年東京大学を定年退職、同年国際基督教大学教授、同大学院教授。9 5年発足の地方分権推進委員会委員として中間報告、首相への1次―5次勧告の中心人物。第27次地方制度調査会の副会長として小泉内閣の三位一体改革で税財源の地方への移譲を強く主張。また、政治改革のマニフェスト運動に力を注ぐ「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)の共同代表。日本自治学会会長、日本行政学会と自治体学会の顧問。

▽イメージが先行する道州制論議

尾形 市町村合併が大詰めを迎えています。市町村合併の次は道州制だと言われ続けていますが、道州制の論議は内容を置きざりにしたまま言葉だけが独り歩き、イメージだけが先行しています。

西尾 道州制という言葉は戦前からあった。戦後、いろんな人、団体からも出されたが、それぞれの構想の中身が大きく違った。だから道州制と言われてもどういう制度なのか誰にも分からない。分からないまま、(市町村合併の)次は道州制という議論になっている。
 私なりに整理すると、連邦制的なものを夢見ている人は連邦制国家を構成する単位としての「州」を考えている。それから、戦前からあるものとして都道府県の上にもっと広域的な、国のすぐ下に置かれる第一級の地方総合出先機関のようなものが二つ目だ。三番目が、国の総合出先機関であると同時に、これに広域自治体が加わったもので、戦前の県はそういうものだったが、それをもっと広い区域のものとしてつくり直したらどうかという構想。四番目は都道府県よりも広域のもう一つの広域的自治体の道州を置く発想。最後は、今の都道府県を廃止して、それに代わるものとして道州を置く―の五つのパターンに整理できる。
 現在でも論議は依然として混乱しているため、地方制度調査会(27次)は2003年暮れ、「都道府県に代わる広域自治体だと位置付けるべきだ」と中間報告を出した。しかし、野党第一党の民主党は連邦制的な道州制の色彩が濃いし、自民党の道州制議員連盟の議論は国の第一級地方総合出先機関プラス広域自治体みたいなものを念頭に置いているような気がする。だから、道州制について社会的合意が成り立つのか不安に思っている。

尾形 政党の考えの問題点は。

西尾 最善かどうかは別として、広域自治体だという位置付けになれば日本の地方分権推進にとって危険ではない。国の第一級総合出先機関プラス広域自治体だとなると分権改革としては後退ではないか。戦前の府県制みたいなものをまたつくるのかという話でもあるし、そうでなかったとしても、そういう仕組みをつくったら、第一次分権改革でやめさせた機関委任事務や地方事務官の制度が全部再現、分権改革の逆コースになる。

尾形 経済界のかつての道州論には経済状況が色濃く反映しました。しかし、関西経済連合会に見られるように最近の主張には具体的提言が示されるようになりました。

西尾 高度経済成長期の経済界にとって最大の問題は工業用水、河川管理だったと思う。県境で利害が対立し、都道府県間では話がつかない。コンビナート形成の上でも同じで、より広域的な行政区画にすべきだという発想から道州制が論じられた。 ところが今は、製造業の生産拠点が海外に流出、国内の空洞化が激しい。経済界の発想は全く逆になった。東京への一極集中が進み、大阪でさえ(東京に次ぐ)第二極として成り立たない状況だ。さらに経済のグローバル化だ。海外との経済交流を進め地域の活性化を図ろうとするときに、県単位ではできない。互いに結束しなければという、昔とは違う発想が経済界に表れている。自治体でも同じだ。

▽錯綜する地域の思惑

尾形 都道府県レベルでは、ブロック単位もしくは単独での道州制移行がを表明されているが、地域の思惑もあって構想もばらばらです。

西尾 都道府県関係者からすれば、自らの存立基盤を再編成される問題である。簡単に乗れる話ではない。国、経済界、市町村から「都道府県はやっていけるのか」と言われているが、そう簡単に決断できない。私の理解では、岩手、秋田県は差し当たり青森県と3県でやっていくが、いずれ東北全体として一つにまとまる以外にないのではないかとかんがえているようだ。青森県にはかつて、北海道と一緒になった方がいいという立場があったから、道州制では東北という単位を今のところ伏せて、当面は北東北3県の協力関係強化という構図で動いている。
 四国は「4つの国」の考えがあるが、4県で一つだという意識が生まれるなら認めるべきだと思うが、岡山県知事などは中国、四国は一本にすべきと言っている。道州になったときの中心をどこにするかで思惑が働いているという憶測もある。

尾形 道州制の前に現在の都道府県の再編があります。市町村合併が進み基礎的自治体が大きくなり、また要件緩和で静岡市に続いて全国的に政令指定都市の発足も予想されます。基礎的自治体の体力強化で都道府県の役割、存在意義も変わります。

西尾 昨年10月の静岡市に続いて二つ目の政令市が誕生する静岡県の石川嘉延知事は、3大都市圏は別に考えなければならないと言っているが、基本的には道州制論者だ。2政令市の誕生で静岡県が残っている意味が薄れ、将来的には道州制的なものを考えなければならないと言っている。
 神奈川県も横浜、川崎市に続いて相模原市も政令市になる可能性がある。県内に政令市が増え、また、そこまでいかない中核市が続々できると神奈川県という存在がなくなると松沢成文知事だけでなく、県庁の職員はみな強く意識している。松沢知事は将来展望を描きたいと思っているが、当選したばかりだから広域連合や広域連携を首都圏サミットでもしきりに提言、一緒にやろうと行動している。関西経済連合会もいきなり道州制をやるのではなく、広域連合のようなものを関西圏でつくれないかと提言している。

▽広域化の戦略組み立て必要

尾形 広域連合が健全な形で進み、道州制につながることが望ましい。

西尾 道州制は結局、府県域を広域化し広域自治体をもっと広い区域に替えること、それから、その機会に国の事務権限の移譲がセットになるものだと理解しているから、権限移譲で国と戦うと同時に、都道府県が今のような存在ではなくもっと広域化しようとする動きが出ないと成り立たない問題だ。
 そのときの戦略として、国が下ろす事務権限を明確にしてくれれば我々も一致団結するかしないかはっきりすると権限移譲の明示を迫るのか。それとも、我々がまず一緒になって新しい地方公共団体をつくって行財政能力を高めたのだから権限を下ろしてくれと言うのか。そのどちらからいくのかという問題がある。
 私は下から上がっていった方が健全と思うから、都道府県間の広域連携、例えば北東北3県がやっているようなことが、もっとよその地域でも県境を越えて行われたり、広域連合が形成されたり、どうせなら合併・統合までいこうというような動きがあちこちで出てこないと道州制にはなれない気がしている。

▽迷走する北海道州制特区

尾形 都道府県合併と違って北海道は、道州制特区として動きだし、政府にも懇談会ができましたが、北海道が求める権限移譲、新しい道州のあり方が不鮮明です。

西尾 問題は2つある。内閣は道州制特区というボールを投げたが、特区とは何を意味するのかで解釈に違いが出た。ほかの構造改革特区と同じように道州制を目指して様々な領域での規制緩和から始めるのが道州制特区だという理解と、そうではなくて、道州制を北海道が先行して目指せという意味での特区なのかということが判然としていなくてもめているのが一つだ。
 北海道はよその県との合併がないのだから、国からの事務権限の移譲さえあれば直ちに道州制へ移行できる。それなら、どういう道州になりたいのか構想を出しなさいと内閣に言われて、北海道は悩んでしまった。
 北海道の構想が明らかでないと言われているのは、最初に内閣に持っていった案は第一段階で国の出先機関を統合、次の5年間でその出先機関と道庁の統合、そのときに初めて道州制が実現すると言った。出先機関の統合が先ということに、国は乗れなかった。
 道州制になるときに、何よりも北海道開発局(の取り扱い)が問題だった。開発局の仕事の全部なのか、大半なのかを論議し、仕事もよこせ職員ももらって北海道の地方公務員だけでやろう。そんな話を国に持っていったら、内閣から経済産業省の出先機関ももらったらどうかと言われて考え込んでしまった。国の言い分を聞いて高橋はるみ知事は迷ったと思うが、北海道が何より危ぐしているのは今まで北海道の特例として行われてきた財政上の特例が、この機会に廃止されたり縮小されてしまうのではないか。そうすると、財政的に見て、道州制になることは得なのかどうか、あまり得ではないかもしれないというのが一番引っかかっている。

尾形 それで一歩退いてしまった。事務権限の移譲は、単に国の権限を何でも取り付けるのではなく、どういう事務権限移譲が自治体にとって大切なのか整理した上で求めるべきなのでは。

西尾 それが一番大事だ。自民党議連の考えでいくと、思い切って国の出先機関を全部道州に譲ってしまえば国の大きな行革ができる。国の機関を減らし、国家公務員も大幅に減らすことができるという気持ちが強い。
 ただそうなると、どう考えても国の事務だと思う仕事を背負った広域自治体は、どういう地方公共団体になってしまうのだろう。国の下請けをしている団体ならば、純粋な自治体ではない。従来の機関委任事務と同じことになる。そして国の方は、国の事務という観念を持ち続けているから、地方に対するコントロール権を放棄するはずがない。譲っておいても、指揮・命令ができる仕組みをつくろうと必ず考える。だから、そういう種類の事務権限はもらうべきではない。選り分けて移譲を受けなければならない。

▽無理もない沖縄の逡巡

尾形 沖縄も北海道同様、単独の開発庁が置かれ、国の一元的な開発・振興策が続いてきた。沖縄の地理的事情から道州制問題では、北海道とともに単独の道州がいわれます。一方で沖縄への特例措置、財政支援が沖縄の国への依存を強めさせ、県としても単独の道州制を主張していません。

西尾 沖縄県民がどちらを選ぶかだ。都道府県という単位で、小さくても沖縄県として独立した形でいたいというのが多くの意思であるなら尊重すべきだ。県民自身が、九州と一体となった経済圏の中に入らないと自立していけないという考えなら九州と一体となるべきだろう。
 道州制に移行する場合に問題になる道州の区域をどうするか、都道府県の合併がどうなるかといった問題がないのは北海道と沖縄県だけで、そのかぎりで道州制というゴールに向かっては一番近い距離にある。国から事務権限の移譲があれば、新しい道州に生まれ変われるわけだ。しかし、道州制に向けて最短距離にありながら沖縄が逡巡するのは北海道と同じだ。沖縄も様々な財政上の特例を受けている。これがなくなることによる打撃は北海道以上に大きいため、容易に道州制を言い出せないのは十分理解できる。だから、意外に、北海道、沖縄からではないところから道州制の第一号が出るかもしれない。

▽憲法と地方自治法の問題点

尾形 道州制を考える場合、都道府県と市町村の位置付けを憲法や地方自治法から精査する必要があると思います。地方自治に関する憲法第八章第95条(注1)と都道府県制度に関する地方自治法第6条1項(注2)は、都道府県の統廃合に関わる条文です。憲法と都道府県の関係に関する政府見解(注3)を見ると、戦後このかた、都道府県の性格があいまいな感じがします。

  (注1)憲法第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することはできない。
  (注2)地方自治法第6条 都道府県の廃置分合又は境界変更をしようとするときは、法律でこれを定める。
  (注3)・佐藤達夫内閣法制局長官の「府県知事公選制度の改正と憲法との関連」に関する参院予算委員会での答弁(1953年2月10日)
     ・鈴木俊一自治庁次長の第4次地方制度調査会第6回特別委員会での説明(57年6月18日)
・林修三内閣法制局長官の衆院予算委員会での答弁(62年2月28日)
     ・長野士郎自治省行政局長の参院地方行政委員会での答弁(69年6月10日)
     ・林忠雄自治省行政局長の衆院地方行政委員会での答弁(74年5月16日)

西尾 憲法については政府答弁があって、都道府県を廃止したとしても憲法違反にはならない。あるいは廃止しても、それに代えて新たに広域自治体として道州を置くなら、ますます憲法違反にならない―が政府がとってきた見解だ。ただ、道州制論議が本格的になってくれば、違憲と主張する人が出てくると思う。そのときの政府答弁は過去の主張を通すだろうが、憲法第八章は地方公共団体という言葉しか使っていない。国とは別に地方公共団体を設けなければならないというのが憲法が要請していることだから、これを設けないと言うことは憲法違反だ。
 しかし、府県とか市町村という名前は出てこない。だから、いかなる地方公共団体を設けるべきか憲法は定めていない。ましてや、「一層」「二層」などとは何も言っていない。それ故、都道府県を廃止することが直ちに憲法違反だとか言う議論は、私はするつもりはない。憲法はあまりガチガチに解釈するべきではなく、憲法が明確に言っていない限り、立法上の政策判断は可能と思った方がいい。
 基礎的自治体をなくすのは憲法問題になると政府は考えてきたから東京都区制度改正(1952年)のときは、一貫して東京は広域自治体であると同時に基礎的自治体だと説明してきた。だから特別区は基礎的自治体ではない、東京の内部団体でしかないとやり合った。それが最近の都区制度改革で23区を初めて基礎的自治体と認めた。

▽戦前の法令趣旨を残した地自法6条

尾形 地方自治法の第6条についてはどう考えますか。

西尾 かなり大きな問題だ。市町村合併と都道府県の廃置分合の手続きが違うことについて、旧自治省系の伝統的な説明は、都道府県は国のすぐ下に置かれる団体で、それがどんな形になるかは国のかたちに影響する。だから立法機関の判断を仰いでいる。法律で決めるとは、そういう趣旨だと説明してきた。
 だが、私はそうじゃないと思う。戦前の府県制という法令の中に同じことが書いてあった。それを戦後地方自治法に統一するときに、この条文をほとんどそのまま引き継いでしまった。戦前の府県は、便宜的に自治体という性格を持たせていたが、国の区画であり、機関だったから法令で国が自由に決められるようにしていた。戦後、都道府県を完全自治体に変えたのだから、そのときに6条の条文は再検討され、市町村と同じ手続きに変えなければならなかったと私は考える。
 その上、第一次分権改革で国の機関委任事務を廃止し、名実共に完全自治体としたのだから、その自治体を国の意思で一方的に簡単に廃止させていいのか。そういう立法政策が許されるのか。

尾形 同法6条1項が戦前のまま残ったことで、国は法律で都道府県の廃置分合、境界変更何でもできる。全国一律に都道府県をなくすことも可能です。

西尾 一つや二つの府県を廃止、そして新しい道州を置くというなら、憲法95条でいう地方自治特別法の問題になると思う。だが、もし、そういう事態が現実に起こったとき、政府は「これは特別法(の対象)ではない」と言うかもしれない。いろんな理屈の立て方があると思うが、条文に「一の地方公共団体」にのみ適用される特別法とあるが、憲法95条に言う地方公共団体には都道府県は入っていないと言われれば、それで終わりだ。だから、いざとなったときに政府・与党からそういう解釈が出てくることもあり得るので、条文が定める住民投票ができるか、確たる保障はない。

尾形 市町村合併に対する都道府県の指導・勧告は、道州制問題での国と都道府県の関係に置き換えて見ることもできるようです。

西尾 市町村合併で都道府県ができるのは合併のパターンを示したり、助言あるいは合併勧告だが、強制はできない。もし国会が特定の市町村の合併を強制する法律をつくれば、憲法95条でいう住民投票になる。都道府県合併の場合も同じだ。国は口を出すことがあるかもしれないが、自治体に強制すべき問題ではない。

▽最大の難問は東京大都市圏の区割り

尾形 道州制がどのような区域で形成されるのか。言われるようなブロックが単位になるのか。あるいは別に区割りが必要になるのでしょうか。区割りの問題をどう見ますか。

西尾 道州制にするのは何のために、という議論に関わる。行財政能力に大きな格差がある現在の都道府県を、もっとブロック単位で固まって格差を是正し、東京都や東京圏にある程度対抗できる地方団体にしようという発想になると、沖縄が一つの道州になるのは理想に遠いし、四国が一つになっても力を持った団体にはならない。道州制になっても巨大な格差が是正されない、縮小しないのでは意味がないという議論が必ず出る。
 都道府県合併の区画や道州の区画割りは関係都道府県の協議と合意に委ねなければならないが、一方でその機運の盛り上がりを待っていられない状況が表れるかもしれない。北海道や東北、中国、九州のブロックを一つの区画に再編成することには異論が比較的少ないが、掘り下げると論争は多い。
 難しいのは、関東地方から近畿地方に至る本州の中央部分の区画割りだ。東京、名古屋、京阪神の大都市圏をどうするか。その中でも最大の問題は東京大都市圏の取り扱いだと思う。関東地方を一つの区画にすると人口は4000万人を超え、東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県をまとめると人口は3300万人だ。日本の総人口の3分の1から4分の1を占める巨大な道州の出現は強大な政治的存在になりかねない。

尾形 地域経済の視点から見ると、道州制の導入は地域経済にとってプラスなのでしょうか。地方ブロックでも中核都市への集中が加速しており、地域の不安が高まっている。地域振興が担保された道州制ができるのか重要になってくるのではないでしょうか。

西尾 確かにそうだ。現在、東京への集中が進んでいるが地方の大規模中核都市への集中もある。その現実を踏まえて、その大きな拠点と周辺の地域を一体に管理する広域自治体をつくろうとする発想が道州制なのだと思う。ただ、そうすると中心都市への集中が一層加速することになるかもしれないという問題はある。

尾形 第28次地方制度調査会で道州制論議はどこまで進むと予想されますか。

西尾 2年の任期でどこまで詰めた論議がなされるか分からないが、道州制は「こんな姿ではないか」ということで、道州制に移りましょうという答申にはならないのではないかと思う。しかし、道州制について国民的合意ができる状況ではないが、政治的な流れから言うと、先の総選挙で与野党を超えて政権公約やマニフェストに道州制が掲げられた事実は無視できない。我々のような地方自治に関わってきた者からすれば大変心配な話なので、それならば「こういう線でいってほしい」という論理を用意しておかないといけないと、地方制度調査会は考えているのではないか。

                                    (2005年 新年号)