川上の嘆


    
川上之嘆 --川上の嘆--

「子、川の上に在りて曰く、逝くものはかくのごときか、昼夜をおかず」孔子、論語第九子罕篇十七。

人生は川の水の流れのように無常だと詠嘆を言ったのだという説と、新しいものが生まれ、次々に伝承されていく希望を言ったのだという説がある。さて、どちらだろう? 孔子は論語の中で嘆く箇所はわずかに限られている。

孟子は、「水源のある水は、こんこんとして夜昼となく休みなく流れて海に辿りつく。このように本(もと)のあるものは、すべてこのように尽きることがない。」と言っている。(孟子、第八巻第十八章)

第29回水桜会出品(2012年9月15−18日、水戸)
(727 mm x 606 mm, 2012)
"漢詩「川上之嘆」 江上耽々魯孔丘
発山到海水悠々
無常希望無人識
論語伝承昼夜流

 【七言絶句、韻:下平声十一尤】
杜正


書き下し文:
江上にて耽々(たんたん)とするは魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)
山を発し海に到る 水 悠々(ゆうゆう)
無常か希望か 人(ひと)識(し)る無し
論語の伝承 昼夜 流る

語句の説明
江上=川のほとり
耽々=深くもの想いに耽っている様子
孔丘=孔子(紀元前551年‐紀元前479年)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。 氏名は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。 魯国に生まれた。
無常希望=人生は無常か希望か
無人識=私はわからない

意味:
川のほとりに深くもの想いにふけっている孔子がいる。
水は山を発し海に到るまで悠々と流れている。
孔子は無常を言ったのか希望を言ったのか私はわからない。
しかし、論語は2500年間昼夜別なく流れて伝わってきたではないか。


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