薩摩のこころ
薩摩義士伝
合 掌

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  いま主に古武道関係の資料収集、調査に熱中。 

 平田靭負の血筋(DNA)の子孫で、現在も平田氏(戸籍名)を名乗っている子孫は、二家(谷山平田家、川辺平田家)ほど確認されている。 また、ある事情で、宮崎県に移住された川辺町の平田氏(靭負の息子)の家系で、野尻町の平田氏と都城市の平田氏が存在している、らしい。

 靭負には「昼行灯」という渾名があったそうであるが、窮地での判断力は類まれな、特に優れていたようである。 靭負の血脈(DNA)を継承する子孫には医業に従事する方が多いようである(私見)。 

 昔、当地において顕彰館を造ろうということで、宮田さんが中心になり、30年ほど前に顕彰会を組織された。 
 私も南洲神社の社務所2階で先輩方と、宮田さんの話を伺いながら思案、知恵を出し合った。 
多額の予算超過工事は、その後において藩民を苦しめました。 靭負などの評判が今でも高くなくて、さらに資料も少ない。 寄付金・浄財が集まらない。 困った。

 一方、西郷南洲翁御逝去100年事業の際に顕彰会が組織された。 君は若いから後日の証人だよと謂われ、同様顔触れの中で建議書の作成や文書発送などの御手伝いをした。 予定額を超えて倍ほどの浄財が簡単にしかも早く集まった。 心境は複雑である。

   合掌