薩摩琵琶は、元来、盲僧琵琶にその起源を発するもののようである。 盲僧琵琶は嶋津家の初代 嶋津忠久に従って、祈祷僧として薩摩に下向した宝山検校が、鹿児島県日置郡伊作田島に常楽院(じょうらくいん)を建てた。

盲僧は薩摩國の国内の諸方を行脚弾吟し、今日に謂う諜報活動をしていたとも聞く。 「いろは歌」の嶋津日新斎忠良公の三州統一の過程で、常楽院の第31代 淵脇壽長院が功績を認められて、鹿児島城下に移され、代々の家督は武士出身の盲僧が継ぐことになっていたらしい。

嶋津忠良と淵脇壽長院が改良した琵琶は、6本の柱を4本に減らして、撥(ばち)を大きくし、「底力と、ふくらみと余情」に趣をおいたという。 また、改良された琵琶にあわせて歌詞も、新たにつくられ、弾法も盲僧のものとは違っていった。 

 私は20歳代のとき、薩摩琵琶正統派の萩原秋彦龍洋先生の龍洋会の、川野先生の門をたたき、入門したがなかなか上達せず、入り口に留まったままの状態で 約20年以上が経過した。                     薩摩琵琶の世界への道は険しく、ほど遠い。  

薩摩琵琶の紹介

鹿児島県無形文化財 昭和37年10月24日指定

源 頼朝公墓所再興報恩塔 ・・・鹿児島市磯 鶴嶺神社