実はここの部分は訳するときに、非常に時間がかかったところである。
どういうことかと言うと、「道」「天」「地」「将」「法」を前にある定義通りに取るかどうかで非常に迷ったのある。
まず私は、この七計の文中には、道天地将法の全ての文字が使われているので、
どれかひとつを前文の定義通りに解すのならば、他のものもそう解すべきであると考えた。
もちろんこれは、私の一種の完璧主義的思考であり、別に特に根拠のあることではないが、
このような文章の意味をとる時には、様々な解釈が現れるのは当然である。
こう考えた方が自然であるのは確かである。
ここに書いてあるのは私の解釈であるということを、特に付記しておく。
さて、話を戻すが、そう考えたときに「将」と「天地」が、前文の定義では訳しにくいことがわかる。
「将」はここでは、"総司令官"の意味であり、"道天地将法"が"能有る"というのは、意味をなさない。
また「天地を得る」を定義どおりに解したとき、
明暗や天気、物事の変化などを、開戦前にどちらが適合しているか判断することになる。
これは厳しいであろう。
そういうわけで、私は全てを前文の定義通りに解さないことにした。
すると、なぜこの定義の文(道者令民〜官道主用也)は必要だったのかという疑問が生じる。
これは非常に微妙なところだが、敢えて考えるとすれば、
後世に誰かが注訳したものが、間違えて本文に混入した、ということであろう
そう考えると非常にすっきりとする。
★将聴吾計、用之、必勝。留之。将不聴吾計、用之、必敗。去之。
しょうわがけいをききて、これをもちゐれば、かならずかたん。これをとどむ。
しょうわがけいをきかずして、これをもちゐれば、かならずやぶれん。これをさらしむ。
「聴」とは「聴(ゆる)す」ということであり、"従う"ということである。
「将」はここでも総司令官を表す。
この文章は、孫武が呉王闔廬に仕官を求める文と考えることもできるが、ここではとらない。
いかに闔廬が軍も率いていたからといって、孫武が君主たる闔廬を「将」と呼ぶとは思えない。
また、急にここに、こんな文章が入ってくることは考えにくい。
★計利以聴、乃為之勢、以佐其外。勢者、因利而制権也。
りをはかりてもってきかるれば、すなはちこれがせいをなし、もってそのそとをたすく。
せいとは、りによりてけんをせいするなり。
「乃」は"そのときはじめて"のような意。
「之」は「計」をうける。
「因」は"利用する"。
「権」は"はかりざお"で、物に応じて適切に重さをはかることから、
「制権」とは"臨機応変に対処する"ということである。
★兵者、詭道也。
へいとは、きどうなり。
「詭道」のとは、「詭」という「道」を通っていくもの、ということ。
すなわち、"欺く"ことによって"目的を達する"ものということ。
★故能而示之不能、用而示之不用、近而示之遠、遠而示之近、
ゆゑにのうなるにこれにふのうをしめし、ようにしてこれにふようをしめし、ちかくしてこれにとほきをしめし、とほくしてこれにちかきをしめし、
ここの部分では、二句ずつが対句のようになっている。
★利而誘之、乱而取之、実而備之、強而避之、
りしてこれをいざなひ、みだしてこれをとり、じつにしてこれにそなへ、つよくしてこれをさけ、
「利」とは"利を与える"。
「乱而取之」の「之」とは、敵の物資である。
「実而備之」は"充実した状態で敵に備える"が直訳であるが、そのまま読むと詭道とは思えない。
"充実した状態で、充実して内容に見せかけ、敵に備える"
というように解する説もある。
しかし、あまりに無理矢理で簡単に肯んずることができない。
彼の感覚では、充実した状態では敵を攻めるのが常識だったのかもしれない。
わからないので、直訳を訳とした。
★怒而撓之、卑而驕之、佚而労之、親而離之、攻其無備、出其不意。
いからしめてこれをみだし、ひくくしてこれをおごらせ、いつにしてこれをろうし、しんにしてこれをはなし、そのむびをせめ、そのふいにいづ。
「撓」は"かきまぜる・邪魔する・妨害する"。
「怒而撓之」は、(いかりてこれをみだし)と読んで、
"わざと怒りを示して敵を攪乱する"と解する説もあるが、
怒りを示して敵を攪乱するというのは無理がある気がする。
これら詭道の具体例は、二句ずつが対句になっている。
★此兵家之勝、不可先傳也。
これはへいかのかちなれど、さきにつたふべからざるなり。
「兵家之勝」とは「兵家の勝の法」ということ。
「傳」は「伝」ということ。
★夫未戦而廟筭、勝者得筭多也。未戦而廟筭、不勝者得筭少也。
それいまだたたかはずしてびょうさんするに、かつものはさんをうることおほし。
いまだたたかはずしてびょうさんするに、かたざるものはさんをうることすくなし。
「夫(それ)」は"そもそも"。
「筭」は「算」。
「廟筭」について、
国家の重大事を決めるときは、君主や卿などの上流貴族は、先祖を祭った祖廟に集まって話し合う。
当然、軍旅を起こすときは祖廟の前に集まる。
これが廟筭である。
★況於無筭乎。
いわんやさんなきにおけるをや。
「況〜乎(いはんや〜をや)」は、抑揚と呼ばれ、"まして〜はいうまでもない""まして〜はなおさらだ"の意。
★吾以此観之、勝負見矣。
われこれをもってこれをみれば、しょうぶあらはる。
「此」は廟筭である。
「之」の方は、指しているものが漠然としているが、"今まさに始めようとしている戦争"のことだろう。
「見」は、ここでは「現」に近い。