胡蝶の夢
-斉物論より-
I think; therefore I am!


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本文(白文・書き下し文)
昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。
昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。
参考文献:古典I漢文編 稲賀敬二 森野繁夫編 第一学習社

現代語訳/日本語訳

昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらとして胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。
にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。
しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
こういうのを、「物化」というのである。


解説

昔者、荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。
むかし、そうしうゆめにこてふとなる。くくぜんとしてこてふなり。みづからたのしみこころざしにかなへるかな。

「胡蝶」は"蝶"と同じことである。
「栩栩然」は"ひらひらと飛ぶさま"。
「喩」は「愉」に通じる。
「適志」は"気持ちがのびのびとする"。
「与」は詠嘆。


不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。
しうなるをしらざるなり。がぜんとしてさむれば、すなはちきよきよとしてしうなり。

「俄然」は、"突然"。
「遽遽然」は"驚くさま"。


不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
しらずしうのゆめにこてふとなれるか、こてふのゆめにしうとなれるか。しうとこてふとは、すなはちかならずぶんあらん。これをこれぶつくわといふ。

「与」は疑問の意。
「分」は"区別"。
「之」は動詞と目的語を倒置したときに動詞とその目的語の間に入れる。
元の文章は「謂此物化」である。




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