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子謂子貢曰、 「女与回也、孰愈。」 対曰、 「賜也、何敢望回。 回也、聞一以知十。 賜也、聞一以知二。」 子曰、 「弗如也。 吾与女、弗如也。」 |
子子貢に謂ひて曰はく、 「女と回とは、孰れか愈れる。」と。 対へて曰はく、 「賜や、何ぞ敢へて回を望まん。 回や、一を聞きて以て十を知る。 賜や、一を聞きて以て二を知る。」と。 子曰はく、 「如かざるなり。 吾と女と、如かざるなり。」と。 |
現代語訳/日本語訳
先生が子貢におっしゃった、
「おまえと顔回とでは、どちらが優れているだろうか。」
子貢はこうお答えした、
「私がどうして顔回より優れていると思いましょうか、いや思いません。
顔回は、一を聞けばそこから十のことまで知ります。
私は、一を聞いてせいぜい二を知るくらいです。」
先生はおっしゃった、
「顔回には到底及ばないさ。
私もおまえも顔回には到底及ばない。」
解説
★子謂子貢曰、「女与回也、孰愈。」
ししこうにいひていはく、「なんぢとくわいとは、いづれかまされる。」と。
子貢は、端木賜[字は子貢]のこと。
弁舌に優れており、政治外交の才に富んだ人物であった。
孔子の名前が天下に広まったのは、子貢が孔子に従っていたからであった。
史記によると、斉が魯を攻めようとしたとき、孔子は子貢に諸国を遊説させ、
斉と呉が戦争するように仕向け、魯が攻め滅ぼされたのを防いだと言う記事がある。
(この話については異論も少なくない)
また、子貢は商売をして大金を稼いだと言う記事もある。
このことに関しては、孔子も述べている。
回は、顔回[字は子淵]のこと。
孔子が最も高く評価した人物だったが、33歳で夭折した。
「女(なんぢ)」は「汝」や「爾」なんかと同じ意味。
「愈」は"優れている"。
「A与B、孰[形容詞]」で"AとBでは、どちらがより[形容詞]だろうか"の意。
★対曰、「賜也、何敢望回。回也、聞一以知十。賜也、聞一以知二。」
こたへていはく、「しや、なんぞあへてくわいをのぞまん。くわいや、いちをききてもつてじふをしる。しや、いちをききてもつてにをしる。」と。
「対」は目上の人にお答えするということ。
「敢」は"進んで・大胆に・積極的に"等の意味と、反語のニュアンスを持っている。
★子曰、「弗如也。吾与女、弗如也。」
しいはく、「しかざるなり。われとなんぢと、しかざるなり。」と。
「弗」は強い否定の語。
「弗如」は"及ばない"。
晏子評
本文(白文・書き下し文)
子曰、 「晏平仲善与人交、久而人敬之。」 |
子曰はく、 「晏平仲は善く人と交はり、久しくして人之を敬ふ。」と。 |
現代語訳/日本語訳
先生はおっしゃった、
「晏平仲は上手に人と付き合い、付き合いが長くなると人は彼を尊敬するようになった。」
解説
★子曰、「晏平仲善与人交、久而人敬之。」
しいはく、「あんへいちゆうはよくひととまじはり、ひさしくしてひとこれをうやまふ。」と。
「善」は"上手に"。
晏平仲とは、斉の名宰相、晏子(晏嬰)のこと。
孔子が斉の景公に仕えるのに反対したが、考え方は孔子と似た所があった。