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子曰、 「従我於陳蔡者、皆不及門也。 徳行、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、 言語、宰我・子貢、 政事、冉有・季路、 文学、子游・子夏。」 |
子曰はく、 「我に陳蔡に従ひし者は、皆門に及ばざるなり。 徳行には、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、 言語には、宰我・子貢、 政事には、冉有・季路、 文学には、子游・子夏。」と。 |
現代語訳/日本語訳
先生はおっしゃった、
「陳や蔡で私に従い苦しみをともにした弟子たちは、今はもう門下にいない。
徳行に関しては、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓が、
弁舌に関しては、宰我・子貢が、
行政に関しては、冉有・季路が、
文学に関しては、子游・子夏が優れていたな。」
解説
★子曰、「従我於陳蔡者、皆不及門也。
しいはく、「われにちんさいにしたがひしものは、みなもんにおよばざるなり。
「及門」は"門下にながらえる"。
★徳行、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語、宰我・子貢、政事、冉有・季路、文学、子游・子夏。」
とつこうには、がんゑん・びんしけん・ぜんはくぎゆう・ちゆうきゆう、げんごには、さいが・しこう、せいじには、ぜんゆう・きろ、ぶんがくには、しゆう・しか。」
多いので説明は省略。
過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし
本文(白文・書き下し文)
子貢問、 「師与商也、孰賢。」 子曰、 「師也過。 商也不及。」 曰、 「然則師愈与。」 子曰、 「過猶不及。」 |
子貢問ふ、 「師と商とは、孰れか賢れる。」と。 子曰はく、 「師や過ぎたり。 商や及ばず。」 曰はく、 「然らば則ち師は愈れるか。」と。 子曰はく、 「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし。」と。 |
現代語訳/日本語訳
子貢が尋ねた、
「師と商とでは、どちらのほうが優れているでしょうか。」
先生はおっしゃった、
「師は何事につけても度を過ぎている。
商は、物足りない。」
「それならば師のほうが優れているのでしょうか。」
先生はおっしゃった、
「度が過ぎているのも、物足りないのと同じことだ。」
(いずれも不完全である)
解説
★子貢問、「師与商也、孰賢。」子曰、「師也過。商也不及。」
しこうとふ、「しとしようとは、いづれかすぐれる。」と。しいはく、「しやすぎたり。しようやおよばず。」
「A与B、孰[形容詞]」で"AとBでは、どちらがより[形容詞]だろうか"の意。
師とは、顓孫師(せんそんし))[字は子張]。
商とは、卜商(ぼくしょう)[字は子夏]。
★曰、「然則師愈与。」子曰、「過猶不及。」
いはく、「しからばすなはちしはまされるか。」と。しいはく、「すぎたるはなほおよばざるがごとし。」と。
「然」は"そうであること"。
「猶(なほ〜ノごとシ)」は再読文字で、"ちょうど〜のようだ"。
中庸という概念は、儒学の中でも非常に重要な概念であり、
ギリシアのアリストテレス Aristotelesも同じようなことを言っている。