親父の思い出

怖い半面、少しシャイでやさしい人だった。

私が育ったのは北海道の千歳です。

あれは小学校2年の時だったと思う。

近所でまだ自転車を持っている子が少なかったころ、親父から「ヒロシ、
鯉つりに行くか?」と誘われた。お袋は怒った「何考えているの!ヒロシは
自転車乗るのうまくなったと言っても、あんたが一度漕ぐうちヒロシは
四・五回も漕がなきゃならないんだよ!

「かーさん大丈夫だよ無理しないから・・」
「ヒロシがいいって言ってんだからお前が口出すことない」「ヒロシ、
お前は小さいんだから父とうさんと一緒の事しようとしてもダメなんだよ」

くどくど言うお袋の小言を背中にショイながら喜び勇んで出かけた私でした。

朝八時に出て二時間位かけてやっと舞鶴橋についた時には、体中汗で
びっしょりでした。
鯉つりとは言ったが釣れるのはウグイ(ハヤ)やフナのみ、
そのうち私の浮きがピコ、ピコ、ユラリ・・としたあと一気に消しこんだ。

「あっ」と声を上げた私はあわてて竿を腹に抱きかかえた。親父がスグに
飛んできて「ドラ貸せ!」と叫んだ。
「大丈夫だ自分であげる」「おまえにゃ無理だ」

そういうと私から竿を取り上げ真剣にやりとりを始めた。

親父は車竿に太鼓リールで釣っていたが、私は手竿の為無理と判断したのだろう。
五分ほどのやり取りの後、親父が「ヒロシお前上げろ、慎重にな」とタモを用意した。

静かに引いてくると、大きな口がバクッバクッといった途端、また沖に走り出した。
「ヒロシ!竿を立てろ、寝かすなよ!よしよしそのちょうし・・」「ヨッシャー」の
掛け声と共に親父の持っているタモにそいつはついに入ったのだ。

私は一言も口を利けなかった。ただどういうわけか泣いていたのを思い出す。
「よしよし良くやった、これはお前が釣った尺物1号だ、ただ残念ながらこれは
偉くない。判るか?ひげがないんだつまり鯉じゃなくフナって事だ、しかしこれは
父さん今まで見た中じゃ一番大きいぞ、すごいのを釣ったな!」と涙を拭いてくれた。

帰りはついに自転車を漕ぐ事がつらくなり、親父に自転車を手で引いて貰い
やっとの思いで帰った。
その日から三日間熱を出し寝込んでしまい、お袋にしこたま
怒られた親父だが「又行こうな」と嬉しそうな顔をしていた。

その時から腋臭と肩こりに悩まさられる人生を歩むことになる。