私がカルビーに入社したのは、197325歳の814日であった。

初めての仕事は、広島本社に社長が帰るので千歳空港まで送っていく事であった。
「桑原君今皆、手が離せないので行ってくれるね」と言われれば、断る理由もなく
「ハイ分かりました」と元気よく車に乗って発車、会社を出てすぐの信号で赤になり、
私はなるべくゆっくり車を止めた。その時社長が大きな声で怒鳴りだした。

「君!君は何をしよるん!ハヨ行きんさい!!」私は「は?今信号が赤になりました
ので・・」「わしゃあ、忙しんじゃ!車は来とりゃせん!!」びっくりしたの
なんのって?俺大丈夫かな、この会社に勤まるんだろうか?が入社時の感想でした。

 当時は営業所長と工場長が一緒でした。Hさんは「わしゃあなー、社長からあんた
チョット千歳工場に行ってきんさいと言われて、千歳に来たらそのままになってしまった。
無茶苦茶な会社だ」と言われ、さもありなん!と思いました。

Hさんから朝
6時前に電話が来て「クワ!お前言ってたろ!寒冷地使用じゃない
車のバッテリーが上がったら、お湯を掛ければ一回は大丈夫だと!、かからんぞ、
すぐ来てくれ」と言われ自宅に伺うとボンネットの上からお湯を掛けていた。
すぐバッテリーに直接かけたら一発でかかった。Hさんは大変喜び、これを契機に
この人には大変可愛がられた。

 ある時私は町で飲んだ後、明日早く出張するので社用車を運転して自宅へ帰る途中、
タクシー会社の裏にあるS君の家にちょっと、寄るつもりで運転を誤り豆腐屋の壁に
ぶつけてしまった。ものすごい音がして、タクシー会社の人が飛び出して来た。

豆腐屋の人が出てきて、私はそこの息子が同級生。弁償もきちんとしますので、
警察だけは勘弁してほしいとお願いした。友達と連絡が取れ了解したと返事をもらい、
H工場長に連絡を取るとすぐ飛んできてくれた。

H工場長は「私の責任において会社ですべて保障します、このたびは大変申し訳あり
ません、二度と桑原に不祥事を起こさないよう、指導いたしますのでご容赦下さい」と
深々と頭を下げていました。只、工場長はサンダルにパジャマ姿で、酒臭い息だった事は、
昔の良き時代であったから許された事でしょうね、今なら間違いなく即首!新聞に載った
ことでしょう。

結局嘱託、契約社員迄41年7ケ月、66歳の誕生日3月末迄、会社にお世話になりました。

心から感謝しております。