私が、小学校4年生の時だったと思う。

夏の暑い日、その日私が学校から帰ると、年配の男の人が一人玄関の前に立っていた。

「ああ帰ってきた、お母さんに連絡が取れるかい?」「ウン、母さんは千歳デパートで働いているけど」「それがどうしても連絡が付かないんだよ」そういうその人は何か、必死な顔をしているように見え聞いてみた。

「何かあったんですか?」「実はお父さんが、勇払の現場で屋上から落ちて、病院に運ばれたんだ」

そのとき、私は先週親父が「来週から勇払中学校を作るから、しばらくはちょくちょく家に帰ってこられるぞ」と、言っていた事を思い出した。

「それで、とーさんは大丈夫ですか?」「それがまだ意識が戻っていないんだ、お母さんに下着を用意してくれるように伝えて、1時間したら迎えに来るから」そう言って帰っていった。弟二人はオイオイ声を上げて泣き出すし、どうしたらいいか途方にくれた。

その時昨日、消防の望楼から「千歳の皆さんへお願いです」というマイクを通して放送があった事を思い出しました。私はすぐに近くのクリーニング屋さんから、119番へ電話をして、お母さんと連絡が取れない事、スグに病院へ行かなければなない事を説明しました。

子供の言う事とはいえ、緊急を理解したのでしょうスグに望楼から「桑原キミエさん至急自宅へお戻りください」と放送して貰えました。その間私は親父の下着を用意しました。

その頃、何処の家もそうだったと思いますが、親父の下着はボロボロで
黄色くなっていて、子供心に恥ずかしいと思った事をよく覚えています。
風呂敷に用意し終わって、しばらくして母が帰って来ました。

「ひろし、ありがとう頑張ったね」それを聞いて、それまで泣くのを忘れていたように、急に大声で泣き出しました。

そして「父さんのパンツ汚いから・・・・」「大丈夫だよ、こんな時の為にチャンと下着は新しいのを用意してあるから」と言われ、すごく嬉しかった。

後から母は、おデブという店に自分の店を持つ為に、勉強に行っていた事を知りました。
お袋曰く「それにしても消防の望楼から、自分の名前を呼ばれるとは思わなかった。すごく驚いた」と言われ近所の人からも、良く機転が効いたねと褒められました。

三人兄弟の長男である事、らしくあるべき事を自覚した時でもあります。

今の時代じゃ考えられない事ですね!