私が千歳の朝日町に引っ越したころ、小学校3年生の頃だったと思う。

そのころはどこの家も貧しく薪ストーブで、薪は秋に買って親父が近所から
大きな電動のこぎりを借りて30センチほどに切り、マサカリで割って家の横に
積み重ねていた。冬を迎えるまでの大事な行事でした。

薪にする木は椎(ドングルの木)や白樺等雑木が多かった。ブナなどは材木と
しての活用も多く、火が着きづらいが、長い間よく燃えるため薪としても非常に
高かった為家では使ったことはなかった。

薪を燃やす時、新聞紙を少なく使うため、そして早く焚き木に火を着けるために、
杉の小枝を用意するのが、お袋と、俺たち子供の仕事であった。
私の家内はその頃、苫小牧に住んでいて、線路伝いに歩いて石炭を拾っていたらしいが
苫小牧ならではの石炭ストーブだったのだろう。

杉の小枝はスグなくなるため、
冬になるとそりを引いて私と弟はそりの上で、一番下の弟はお袋に背負われて、
畑迄拾いに行ったものだ。そのころの寒さは今では考えられない位寒かった。

ウサギの耳当てをして帽子の上からタオルでしばって防寒をしたが、息を吸うと
鼻の穴が湿気でこおり、ピタッと塞がってしまうほどだった。

雪も当時はたくさん降っていて、学校に行く時は、竹スキーで馬そりにつかまったり
していた。
おかげで春先は馬糞が風にあおられて、道路に舞い上がっていたことを思い出す。