私が小学校5年の時でした。ようやっと、街に雪が消えてポカポカ天気になった頃、私は近所でドラム缶をタガネを使ってフタを切り平らに伸ばすアルバイトをしていた。
確か
140円ほどだったと思う。手に豆が出来てそのアルバイトも出来なくなってしまい、何かないかなと思っていた時だった。

ふと見ると街角の花屋の店先に、福寿草が売られている。
3本の花が開いていて、お日様の光を浴びたその花は、まるで小さな太陽のように見えた。
価格は
50円、その頃ラーメンが一杯80円の時代であった。
私はすぐに「ヨシ!これだ!」と思ったのです。

 
翌朝弟や近所の友達
5人に声をかけ、みんなてんでにマサカリやスコップを持ち、魚箱4個をリヤカーに並べ山に福寿草を取りに向かった。線路わきの道路を汗をかきながら、リヤカーを引いて一時間ほど歩き、小さな小川を見つけたとき私の胸は高鳴った。
 
南向きの斜面を角スコップで丁寧に雪を取り除き、土が出てくると「あった!」みんなから歓声が沸き上がった。「やったー!あったぞー!!」それはまだ芽を少し出した福寿草の芽だった。
 
Kが言った。「桑原お前すごいな、よくここに、まして雪の下に福寿草があるなんてよく覚えてるなー!」「おう、まあな」鷹揚に答えた自分は鼻高々だったのは言うまでもない。

しかしそれからが大変だった。土は凍っている為、マサカリで土を割って掘り出すのだがマサカリの入り具合で花が取れたり、ひげ根を切ったりしてしまう。
それも小一時間で魚箱に、ほぼ満杯になった為家路を急いだ。


昼ご飯を食べて一時に我が家に集合し、母の勤めている市場にみんなで向かった。その頃子供はみんな何らかのアルバイトをしたいた。
新聞配達や牛乳配達、納豆や豆腐売り、空き缶や屑鉄拾い赤線
(銅線⦆等は高かった、だから街角で物を売るのに何のテライもなかったのだ。

しかしその時ハタと困ってしまった。
お客さんに福寿草を渡す時、何に入れてやるかを考えていなかった事に気が付いた。その時母のお店にの人が切った新聞紙と輪ゴムを持ってきてくれたのだ。

後から聞いたのだが、母が他のお店の人から「お宅の息子玄関で福寿草を売るみたいだけど、新聞紙も何もなくてどうやってお客さんに渡すんだろうね」と言われ、お店の人にもっていくよう頼んだとの事、自分は顔を出さず子供を尊重して、見守る母の姿に感謝したのを覚えている。

「さあ、さあお客さん、山から取って来たばかりの福寿草だよ、お宅の家で春を迎えませんか?花芽は一芽10円だよ、いかがですか?」と新聞紙を丸めて、リヤカーの荷台をたたきながらみんなで
声をからして、一生懸命売りました。

「あらかわいい売り子さんね」と言う声を聞きながら、二時間ほどで売り切ってしまいました。
確か
3000円くらいになったと記憶している。しかし母が帰ってきたら怒られた。ちゃんと相談してからでないと困ったことになる場合もある。

それは場所を借りるには、お金をお店に払わなければならない事、子供だけで商売は出来ないこと等・・
母がすべて根回しをして子供のやることだから、今回だけ大目にみてほしいと組合長さんにお願いしたそうです。

商売に興味を持ち、店頭で声を出し、お客様に喜んでもらえる経験は、後々の人生に大変役に立ったのは言うまでもない。