カルビーに入社して、初めての駐在が函館でした。
その頃時代は「営業は出来る限り現場近くへ!」の理由から駐在所、出張所を出した。
函館も例にもれず、私が家族と共に赴任です。
カミさんが一万円の手当で、電話番を課せられました・・・

仕事以外に函館卸問屋組合会長「カネマル」の社長から、函館の郷土史をテレビで作るので
参加してもらいたいと要請があり、私が土方歳三の役をすることになった。
土方歳三の、名前が入った隊服と言われる陣場織を着た姿は、結構かっこよく見えた
函館立待岬で合戦ロケが行われる。(箱舘戦争碧血碑)
鉄砲と大砲の音がする中、亀田製菓の人が私の前を走っていて、鉄砲に打たれて倒れる。
私がその背中を踏んで飛び上がり、刀を振りかぶって大声を上げる!
いいアップが撮れたと、自分では大変満足!(写真があったはずだが・・・)
テレビでの放映があり、カネマルの社長から「スゴイ迫力だった」と、誉められました。

昔日本にも、ハローウインと同じような風習があった。
それを函館で私が言い出しっぺで、復活させましたが内容は子供たちが七夕祭りの時、
提灯をもって「ローソクだーせ、だーせよ、出さないとカッチャクぞ、おまけ―に引っかきぞ!」と、
はやし立てながら各家を回るのです。
その時、あまり知らない子供には飴玉一個、よく知っている子は小袋エビせん!と、子供に上げるのです。
お祭りに特売をして、売り上げを上げる企画を、スーパーに提案し、タイアップ!良く売りました!!
あっという間に広がりましたが、3年後「学校から家を回るのは禁止」の、通達があり中止になった。
昔の日本の行事が、こんな事からなくなってしまう・・寂しいものですね
扇雀飴やカンロのセールスと、悔しがった思い出があります。
当時はこんな事を考え企画する、バイタリティーが私にはありました。

あの頃のよき時代を、今は楽しく思いだします

その頃の子供の友達3家族は、今でもお付き合いが続いています
写真はそのころの家族です