1 島田
その娘を見たとき、島田は以前もこの近くで見かけた気がした。
多分新入生なのだろう。
経済学部の前でうろうろしているその娘は、ピンクのティーシャツに黒革のライダーズジャケット、
スリムのジーンズがよく似合っていた。
「新入生? 道に迷ったかい?」
よく晴れた空を見上げるその娘に、島田は後ろから声をかけた。
その娘は振り向くと、ちょっと首を傾げて言った。
「新入生ってどうして分かる?」
声は、ちょっとボーイッシュな感じだ。
「自慢じゃないが、俺はかわいい女の子の顔は一度見たら忘れないんだ。君の顔は今初めて見た。
だから、この春から入学してきた新入生だと思われる。証明終わり」
以前見かけたのは、多分大学の下見に来てるときだったのだと考えた。
その娘はふっと薄く笑い、学生食堂の方に向かって歩き始めた。
「それがナンパの手口なんですか? 確かに新入生だって言うのは当たったけど……」
「けど何?」
ゆっくり歩く彼女についていく。
「後の方は外れ。女じゃなくて男だから」
言葉とは裏腹に、その娘の笑顔は美少女としか言いようのないキュートな笑顔だった。
いや、何だって? この娘が男?
我が目を疑うとはこのことだ。
いや、それはありえんだろう。ナンパ外しに嘘を言ってるに違いない。
「初めてあった男を警戒してるのは分かるけど、俺ってそれ程悪どい人間じゃないぞ。右も左も分から
ない新入生相手に酷いことはしないって」
「別に、嘘言ってないから。男だって言ってるだけ」
「分かった分かった。じゃあそうしておくよ。これからどうするんだい?」
ちょうど昼飯時だ。いま学食に行ってもしばらく待たされるだろう。
島田がそれを言うと、彼女は立ち止まってちょっと困った顔をした。
「よかったら、近くの安くてうまい食堂に案内するよ」
彼女は少し迷った後、意外とすんなり、じゃあお願いと言った。
身長は160センチくらいかな、くびれた腰つきがなかなかそそる。
並んで歩く彼女をそれとなく観察してみる。
胸は、あんまりなさそう。肩までの髪は軽くウェーブしている。パーマしてる風じゃないから天然だ
ろうか。
指が長いな。爪には流行りのネイルアートなど何もない。ピンク色した健康的な艶やかな爪だ。
大学裏手の雑木林の道を二人で歩いていると、すれ違う男たちがみんな彼女をジロジロ見ているのが
分かった。
そんな視線には慣れているのだろう。彼女はまっすぐ前を向いて歩いている。
すましてる感じではない。嫌味っぽくもないし、何かと思えば、実に自然体なのだと分かった。
「ほら、あそこの食堂。案外知られてないってのか、いつ行ってもだいたいすぐ食べられるんだよ」
「美味しくないから客が来ないんでしょ。美味しいのに客がいないなんて信じられないけど」
「それは理屈って奴だな。でも、世の中理屈で割りきれんのだよ」
半信半疑ながらも彼女は着いてきてくれた。
いまどき、自動ではない入り口の引き戸を開いて中に入る。
「ここはうどん定食がうまいんだ。出汁がいいのかな、いつも汁は全部飲んでしまう。定食は稲荷がつ
くぞ」
軋む椅子に座りながら、狭い木製のテーブルの向かいに彼女を座らせた。
「ところで、いい加減、名前を聞いてもいいかな」
キョロキョロと、狭い店内のすすけた壁に貼られたメニューの貼紙を眺めていた彼女が、小さなお尻を
椅子の上に下ろす。
「佐川耕平」
彼女はまだ壁の張り紙、『チャーハン大盛380円』を見たままでひと言答えた。
まだ島田のことを信用できないのか、男の名前を言った。
「耕平ってのは弟の名前かな。まあいい。佐川さんって呼ぶから。俺はうどん定食大盛りにするけど、
君は普通でいいよな」
「俺も大盛でいい」
自分のことを僕という、『僕女』はたまに見かけるが、『俺女』と言うのはさすがに珍しい。
たいがい、そういう女は、周囲と少し違う自分というのを印象つけたい、自己顕示欲の強い鼻につく
性格の女が多いんだが、この子にはそんな雰囲気が見られない。
実に自然な感じだった。
ひょっとして本当に男かもしれない、という考えが島田の脳裏を春先のツバメのようによぎった。
ありえないことが何も起こらない人生より、たまにそういうこともある人生の方が数段おもしろいか
らだ。
しかしそのツバメの影は速やかに消え去る。
確かに最近、女の子みたいにかわいい男の娘という人種が見かけられるが、ほとんどは顔の造作だけ
の場合だ。
体型まで見れば、男か女かは見間違えようがない。
中学生くらいから女性ホルモンでも飲んでいれば違うのだろうが、普通にしていれば高校生くらいか
ら上半身と下半身のバランスが男女ではまったく違ってくる。
だからいくら顔がかわいくても、女装した男は、悲しいかな奇妙に見えてしまうのだ。
大盛のうどん定食が二人前、狭いテーブルから今にもはみださんばかりに並べられた。
この細っこい身体で全部食べられるわけがない。
でも、そんな強がりをして見せる意味を島田は思いつかない。
食い気の強い所を見せつけて好意を持たれるのを阻止しようとでも言うんだろうか。
嬉しそうに割り箸を割る彼女は、一瞬こっちを見て笑った。いただきますと呟くように言って食べ始める。
長い髪がかぶらないように左手で抑えながら、右手の箸でうどんを掴み、するするっと口で吸い込んだ。
両手でお椀を持つと、汁をすする。
「本当、安いし美味しいね。着いてきてよかったかも」
子供のような笑顔を向けられて、この子に対して思っていたいろいろな事が吹き飛んでしまった。
そうだろう、と答えて島田も食べ始めた。
結論を言えば、島田でも満腹になるうどん定食大盛を、この華奢な女の子はすっかり食べてしまった。
ご馳走さまといって財布を出す彼女を島田は制する。
「いや、ここは俺が誘ったんだからおごるよ」
「いいの? 悪いけど、じゃあお言葉に甘えて」
レザージャケットの内ポケットに財布をしまう彼女は、軋む椅子から立ち上がった。
店を出ると、風が吹いて彼女の髪をかきあげた。
一回首を振って髪を整えた彼女が聞いてきた。
「そうだ。先輩は、名前なんて言うんですか? まだ聞いてなかったですよね」
口調が丁寧になったのはうどんが美味しかったからか。
「俺は、島田優作。工学部の三年だよ。よろしくな」
「ところで、ここから行くと南門ってどっちになります?」
「あっちだけど……」
俺が右手を指すと、彼女はそっちに向かって歩き出した。
「用事?」
「二時に待ち合わせしてるんです。高校の後輩と。自分もここを受けたいから見学したいって」
二時までならまだ三十分くらいある。
俺も何となく彼女の後から着いていく。ここであっさりサヨナラするのもつまらない。
もう少し、この娘を見ていたかった。 少し肌寒い風が暗い木立を揺らしている。
木漏れ日降り注ぐ細い道を、モデルといってもおかしくない彼女が、伸びをしながら歩いてゆく。
ふと振り返った彼女が言った。
「島田先輩、今、暇なんですか?」
「まあね。午後は五時にバンド練習があるくらいかな」
「じゃあ、付き合ってくれますか? 後輩を案内するには、まだ俺もよくわかんないから」
口調は丁寧になったが、一人称は俺のままか。
「喜んでお引き受けしましょう」
そう言う島田の目に南門の横で立っている高校生くらいの小柄な少年が見えてきた。
彼女に気づいたその少年が、子犬のように走り寄ってくる。
「耕平さん、今日は無理言ってすいませんでした」
高校生が彼女にペコリとお辞儀した。
「いいよ、山木も頑張ってここに受かってくれれば、俺も嬉しいし」
彼女は高校生の肩をいかにも親しげに抱いた。
耕平?
この娘の名前は本当に佐川耕平だったのだろうか。
では、本当に男なのか?
漫画やアニメではよくある設定だけど、現実に女にしか見えない男と言うのは、島田はこの時初めて
実在する事を知ったのだった。
まったく人生っておもしろい。
2 島田
佐川耕平の噂は、ほどなく島田の周囲にも流れてきた。
あれから三日後のバンド練習のときに、メンバーの田頭が話しだしたのだ。
楽器店の貸しスタジオには、メンバー四人が集まっていた。
「今年の新入生で一番かわいいのが、男だっていうのはちょっとしたニュースだよな」
文学部の田頭は、同じく文学部に今年入ってきた佐川耕平のことを、既に何度か見かけているようだ。
「見た見た。俺も昨日学食で見かけたけどさ、あの子本当に女にしか見えないな。あれ、化粧してない
よな。すっぴんであれじゃ化粧したらどうなるんだよまったく」
ベースのチューニングをしていた安岡が、後半怒ったような口調で付け加えた。
「俺はまだ見てないんだよな。話は色々聞いたけどな。高校の時は男子寮にいたんだろ」
ギター担当の白池が、銀ブチ眼鏡をふきながら新しい情報を追加した。
男子寮にいたのか。
しかし、性欲あふれる高校男子の中にあんなのが紛れ込んでいたら、事件が起こりかねないだろうな。
そう思うのは島田だけではなかったようだ。
すぐに白池の言葉を安岡が引き継いで言った。
「男子寮で色々あっただろうな。その辺知ってる奴いないのか?」
「俺の聞いた所では、寮内でもモテてたってくらいかな。具体的は話は知らないけど」
同じ学部の田頭もさすがにまだ詳細な情報は入手していない模様だった。
島田が先日の話をしてやると、三人は一気に食いついてきた。
「なんだよ。島田もうデートしたわけ。手の早さは天下一品だからねえ」
ベースの音をうるさく鳴らしながら安岡が言った。
「面と向かって男と思えないなんて、よっぽど美人なんだな。これは楽しみだね。新歓コンパがさ」
まだ見ぬ姫君に恋心を抱く白池はエレキの高音を高らかにならした。
今日は指の動きもいいようだ。
島田は、ドラムを連打して、私語の中止させる。おしゃべりするために有料の貸しスタジオを借りて
るわけじゃない。
リズムを打って、最初の曲に入る合図を出した。
島田のドラムに会わせた安岡のベースが響き出す。
白池のエレキギターが、イントロのソロを始める。
田頭のキーボードがメロディラインを演奏し始める。
四人の息が合うと、それぞれのパーツが合わさって、一つの曲が出来上がる。
心を揺さぶるような振動とメロディ。
次第に、身体を動かしているのか、心が叫び声をあげているのかわからなくなっていく。
陶酔感に覆われて自分が楽器の一部になる。
音符の一つに溶け込んでいく。
空調の聞いた貸しスタジオでも、一曲真面目に演奏すると汗をかいてしまう。
首にかけたタオルで顔を拭った。
その時、スタジオの入り口が半開きなのがわかった。
誰かが覗いている。
他のメンバーも気づいたようだった。
「今、使ってるんだけど」
安岡は別のバンドの人間が部屋を間違えたのだと思ったようだ。
恐る恐るという感じで入ってきた女の顔は、先日じっくりと鑑賞させてもらった、彼女の顔だった。
「すいません。バンドのメンバー募集の張り紙見たんですけど。『碧い空と白い雲』、ですよね」
佐川耕平はバンド名を言いながらドアの影から全身を晒した。
目が合うと嬉しそうに手を振った。
「島田さん、本当にバンドやってたんですね」
女のような声をあげて耕平が走り寄ってくる。
「ええ? 佐川耕平くん? 噂をすれば何とやらだ」
田頭がキーボードの後ろから出てきた。
「バンドに入りたいのかい?」
確かにボーカルがいないのがちょっと寂しいと思って、募集中だったのだ。
島田が聞くと、耕平はこくりと頷いた。
「ボーカルできる? それとも楽器何かできるか?」
「楽器は何もやったことないんですよ。ギターやってみたいとは思ってるんですけど。ボーカル、少し
ならできるかな」
いきなりな展開に島田の頭も回らないが、他のメンバーも唖然としてしまってうまく言葉がでない様
子だ。
「いいね。君がボーカルやってくれたら、バンドの人気もうなぎ上りだぞきっと」
田頭が手を握らんばかりに詰め寄る。
「おっと、喜ぶのは早いぜ田頭。その前に入部テストをしなきゃな」
安岡はわざとなのか、ブルドックみたいな顔をさらにブスッとさせてそう言った。
男には二種類いる。
かわいい子を前にして笑顔を振りまくタイプとぶすっとするタイプ。安岡は後者だったようだ。
「テストがあるんですか」
不安そうな顔は初めて見るな。
ずっと飄々としたイメージだったのに。
「一曲歌ってみてくれればいいさ。うちのバンドにあったボーカルかそうでないか、こっちで判断する
から」
安岡の言葉に、耕平は難しい顔で首を傾げた。
歌える適当な曲を探してるふうだ。
「スタンドバイミーできますか?」
耕平に聞かれて、安岡が一つ頷いた。
そのままベースでイントロをやりだす。
島田はマイクのスイッチを入れて、耕平に手渡すと、ドラムの前に座った。
すぐに他のメンバーも音をいれ始める。
歌いだしの合図をシンバルでいれてやると、英語の歌を耕平が歌い始めた。
再び先ほどの全員で一曲をやる陶酔が始まったが、雰囲気は先ほどとは大きく違っている。
佐川耕平のボーカルは、それほどうまいわけではなかったが、言ってみれば味があった。
耳に馴染んでくるにしたがって、じんわりよさがわかってくる。そんなボーカルだ。
もちろんビジュアルは最高。
他のメンバーも、この子の入部を大歓迎なのは、皆の演奏のノリのよさでバレバレだ。
ブスッとしていた安岡も、チラリとこっちを見たときに口元が緩んでいるのがわかった。
最高のメンバーが加わってくれた。
皆の思いは島田の思いその物だった。
3 島田
毎年、新歓コンパでは色々起こる。
だいたい、こないだまで高校生だった連中に酒を飲ませるのだから、生まれて初めて酔っ払うガキが
騒ぎを起こさない方がおかしいだろう。
去年は農学部の新入生の女が飲み屋で脱いで胸ポロリというのがあったらしい。
伝聞だから真実は知らないが、それでその店にはうちの大学生は出入り禁止になったのだ。
たかが胸ポロリ程度で出入り禁止は大げさだから、事実はもっとまずいことだったのだろう。
四月二十四日の土曜日が今年の新歓コンパの日だった。
教授達から、あまり新入生に飲ませるなという注意はくるが、毎年その忠告を守る奴はいないのだ。
急性アルコール中毒にだけ気をつけていれば、後はなんとかなるものだ。
「島田、こっちこっち」
貸しきりの居酒屋の奥から田頭が手を振っていた。
既に満員状態だ。
文学部の新歓コンパだが、田頭に口をきいてもらって、島田も混ぜてもらったのだった。
田頭の座る座卓の横には佐川耕平があぐらをかいていた。
あぐらがこれほど似合わない男キャラもいないだろうな。
耕平には田頭と逆側の男のほうから次々に質問が寄せられていて、島田と言葉を交わす余裕もなさそ
うだ。
「あんまり飲ませるなよ」
耕平を顎でさしてから、田頭に言う。
「俺が飲ませなくても、他のやつらがほっとかないだろうな。今夜は佐川ベロベロに酔わされっぞ」
それもそうか。
やっとこっちを向いた耕平が島田に会釈した。
次々にビールが運ばれてくる。
唐揚げや、刺身といった料理の皿も回ってきた。
そんなうまそうな匂いに混じってタバコの煙が流れてきた。
耕平の横の男がジッポーでマイルドセブンに火をつけた所だった。
咳き込んで嫌な顔をする耕平に、その男は、何だ、タバコは吸えないのかというように煙を吹きかける。
田頭に目で合図をすると、田頭はその男に小声で注意した。
しかし男は田頭を無視して耕平に言い寄っているようだ。
耕平が正真正銘の女なら、その男もそんな行為はしないだろう。
いくら綺麗でも男だからそういう嫌がらせを受けるのだ。
綺麗な男というのは、案外損な役回りなのかもしれない。
「耕平、こっちに来いよ。ボーカルがタバコの煙で喉やられちゃかなわんからな」
島田の言葉に嬉しそうに微笑んで、耕平は立ち上がった。
その耕平の尻に男が指を入れる。
あん、という色っぽい声が、ざわめく居酒屋のなかに響き、周囲は一瞬静まり返った。
乾杯の音頭がはいると、次々にグラスの合わさる音が響き、居酒屋の中はいっそう喧騒が高まる。
最初の一杯を一気に飲み干して耕平を見ると、彼も空のグラスをテーブルにおいたところだった。
そのグラスにはすぐに向かいの男からビールが注ぎ込まれる。
「かわいい顔していい飲みっぷりだね。おれ、三年の坂上だ。よろしく」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
その耕平のグラスから泡がこぼれる。
慌ててグラスの縁に口をつける耕平。
「うちの新入部員をあんまり酔わせるなよ」
言っても無駄だとは思うが言わずにはおれない。
「島田先輩心配してくれてるんですね。でも、大丈夫ですよ。このくらいじゃ酔いませんよ」
注がれたビールをまた一気飲みした後で、耕平は島田に囁いた。
高校のころからビールくらいは飲んでいたってことだろうか。
しかし、うちの大学は超一流とは言わないが関東でもそこそこにいい国立大学なのだ。
酒飲んだり遊んだりしていて受かる程度の大学じゃない。
次々と注がれるビール。
受験など、高校時代のいろんな事から開放された耕平はその細っこい身体が嘘のようによく飲みよく
食べた。
「耕平くん、男子寮にいたんだって、男ばっかりの中でキミみたいな美人がいたらモテただろうね」
見たことのない文学部の男が、耕平にビールを注ぎながら露骨な聞き方をした。
「そんなことないですよ。ぜんぜん……」
かなり酔ってきたみたいだ、語尾がそう感じさせた。
「いろいろ噂聞いたぞ。一年の時は三年に抱かれたことあるってさ」
本当にそんな噂があるのか、単なるカマ掛けか。
「もう忘れちゃいましたよ。どっちでもいいでしょ、そんな事」
「そうはいかないさ。文学部の学生としては、綺麗な男の子の同性愛的体験談は非常に興味がある。詳
しいこと教えてくれたら俺が小説にしてやるよ」
「へえ、小説にするっていうのは少しおもしろいかな。どんな話になるんだろう」
答えながら耕平の上半身がゆらりと島田の方に倒れてきた。
島田の肩を枕代わりにふっと脱力した。
「おい、しっかりしろよ。もう酔いつぶれたのか」
揺する島田を見上げる耕平の口元がくいっと持ち上がる。
「ビールって大したことないって思ってたけど、結構酔うもんですね。なんか、世界がフワフワしてる」
これはもう引き時だ。
これ以上飲ませたら絶対吐くだろう。
田頭と相談して、島田が耕平を送っていくことにした。
もともと文学部の飲み会だから、お前はここにいろと言われた田頭は、絶望的な悔しさを、その細面に
にじませた。
4 島田
幸い耕平は背負わずとも歩けた。
ふらつく足で満員の席をかき分けながら出口に歩く。
「案外酒は弱いんだな、うどん定食大盛を食べるくらいだから胃腸は強いかと思ったけど」
通りへ出てガードレールに寄りかかる耕平は、酔ってはいるがさっきまでとは違っていた。
車のライトが端正な耕平の横顔を浮かび上がらせる。
「胃腸の強さと肝臓の強さは別でしょ。それに、酔ってはいるけど、それほどでもないですよ、さっき
はちょっとうるさいのがいたから……」
後ろを向いて通り過ぎる車を眺める。
尋問されるのがウザくて酔ったふりをしたというのだろう。
嘔吐する後輩を世話する心配がなくなった。
黙ったまま駅の方に二人で歩いた。
まだ夜も早い大通りには、行き交う人も多い。
車のライトに照らされて大勢の人間がそれぞれの場所へ向かっている。
男子寮での事、いろいろあったのかもしれない。
聞かれるのが嫌になるようなことがたくさん。
「うーん、何だか気分悪くなってきたかも」
後ろを歩く耕平を振り向くと、彼は突然そう言ってしゃがみ込んだ。
やはりそうなるのか?
「大丈夫か? 駅のトイレで吐けばいいよ。もう少しだ。それまで我慢しろよ」
島田がしゃがんだ耕平の背中をさすると、
「駅まで我慢できないかもしれない。あそこで休みませんか?」
耕平が左手を指差した。
ホテル板野坂というネオンが、ご休憩3500円と表示していた。
結局タクシーをつかまえて二人で乗り込んだ。
「島田先輩は、そういう趣味はないんですね」
吐き気は収まったのか、それとも嘘だったのか知らないが、島田に寄りかかる耕平の言葉は、がっかり
したような気持ちを含んでいる。
「お前は確かに美人だけどな。俺は男には興味ないの。でも、どういうつもりだったんだ? 俺を試した
のか?」
合格だったのか、不合格だったのか、この態度では判断できない。
「男性不信なのかな。寮でいろいろあったから。みんな自分を狙ってるみたいな、自意識過剰になって
たかもしれません」
素直に言う耕平はかわいかった。
男には興味ないと言った島田の言葉は本心だったが、それは耕平に出会うまでの話だ。
実際、さっきはもう少しでホテルに入るところだった。
ふと振り向いたときに、自分たちを変な目で見ている女と目が合わなかったら、多分入っていただろう。
「なんだか頭が揺れると、本当に気分悪くなりそう」
「大丈夫か? こんな所で勘弁しろよ」
島田たちの様子を見て運転手も焦ったようだ。
「お客さん、気分悪いときは頭は低くしといたらいいよ。揺れが少なくなるから、でも本当にヤバく
なったら早めに言ってよね、すぐ止めるからさ。以前もやられて大変だったんだから。匂いが抜けなくてさ」
ルームミラー越しにチラリとこっちを見た。
島田の腰に抱きつく感じで身体を倒した耕平は、ふうと大きく息を吐いた。
「たしかにこうしてると楽です。先輩すいませんね」
「いいよ。でも、本当に吐き気がしたら言えよな」
やわらかな髪が島田の腕にかかる。
肩も女みたいに細いんだな。肩幅も狭いし。
島田は密着した相手を何となく観察した。
先日と同じ茶色の革のライダージャケット。その下は、今日は水色のティーシャツ一枚だ。
先日のスリムのジーンズと違って、今日はカーキ色の緩めのカーゴパンツを履いている。
ベルトはしていない。そのカーゴパンツはサイドの紐を絞ってウエストを調整するタイプだったが、
ウエストが緩くなったのか、少しずり下がっていた。
隙間から水色のブリーフが覗いてるのが見えた。
紐パンのようだ。色っぽい下着着けてるんだな。
耕平の裸を想像した島田の股間は、思ってもいない状態になろうとしていた。
まさか、男の裸を想像して勃起するとはありえない。
これまで二十年生きてきて、自分が同性愛者だと思ったことは一度たりともなかったのだ。
しかもこの態勢は、まるで耕平にフェラされてるみたいじゃないか。
そう思った島田の股間は、もはや理性には支配されない暴君になっていた。
車が揺れる度に耕平の首も揺れて、密着した頬が島田の股間を刺激する。
耕平に気づかれるとまずいと思った。
ホモっ気はないと言ったのは嘘だったと責められるかと思ったからだ。
しかし、耕平の手が島田のジーンズのチャックを下げているのを見て、別の意味でまずかったと思った。
島田のものが、開いたチャックの間からゾロリと引き出される。
止めさせるには既に遅かった。
下手に動いたら運転手に気づかれてしまう。
運転手の後ろの席だから、ジッとしていればバレることはないはずだった。
しかし、何のつもりだこいつ。
心の動揺が、さらに硬直を強める島田のものを、そのまま耕平は口に含んだ。
ねっとり絡まる耕平の舌が、酔った島田の理性を吹き飛ばした。
夢でも見てるんじゃないだろうか。
後輩の男にフェラされて快感に溺れていくなんて。
夢? 悪夢なのか? これは。
5 安岡
小雨の中、大学の中庭を抜ける安岡は、軒下で雨宿りしている佐川耕平を見つけた。
向こうは気づいてないようだと思い、そのまま通りすぎようとした安岡の背中に耕平の声が追いかけて
きた。
「安岡先輩。おはようございます」
振り向く安岡の傘の中に、耕平が飛び込んできた。
「ああ、おはよう。授業はもう終わったのか?」
素っ気なく返事する安岡の目を見上げる耕平が首を振った。
「何言ってるんですか、まだ9時ですよ。哲学の講義が休講だったんです。掲示板見てなかったから知
らなかった。先輩は今から授業ですか?」
「いや、学食で朝飯食いにいく所だ。俺の部屋この近くだから、何も買ってないときは学食にいくんだ。
安いしな」
「この近くなんですか。いいですね」
「お前は、自宅からだっけ? 地元なんだよな」
「地元ってわけじゃないですよ。高校の時も寮だったし。田舎は隣の県です。そこからこっちの進学校
にきて、そのままこの大学受けたんです」
「何で部屋、近くに借りなかったんだよ。この辺安いワンルーム多いぞ」
「確かに大学の近くが通学には便利だけど、住むのはもう少し駅の近くがいいかなって思って」
「遊ぶことばっかり考えてたんだろ、サボってるとすぐついていけなくなるぞ」
「わかってますよ。だから講義は真面目に受けてます」
朝の学食は、安岡と同じように朝食を取りにきた生徒で半分ほど席は埋まっている。
「お前、朝は食べてきたんだろ」
安岡は耕平と早くわかれたいと思った。
自分は耕平を苦手に思っているのだと、その時気づいた。
「朝は抜いてるんですよ。コーヒー一杯飲むだけで。あんまり食欲もないし、でも、今になってお腹
減ってきたかな。一緒にいいですか?」
島田だったらこういう時、ラッキーと思うのだろうか。
安岡はできるだけ笑顔を作って、いいよ、と答えた。
しかし、自分はどうして耕平が苦手なのだろうか。
セルフサービスの朝食セットをトレイに取りながら考えた。
同性愛に嫌悪感を持っているわけじゃない。
安岡のいた高校のラグビー部には、男同士のカップルも二組いたし、男子クラスではそういう噂を立
てられる男たちもよく見かけたものだ。
しかし、安岡の考える同性愛は、あくまで外見が男のカップルのことだった。
耕平のように見た目が女のような男は、普通のゲイとはいえない。
ここまでくると、ニューハーフという人種に近くなる。
そうか、俺は見た目が男か女かわからない、という不安定な状態が苦手なのかもしれない。
実際は男とわかっていても、頼りなく美しい耕平を見ていると、女に対するように、かばったり守った
りしてやりたくなってくるのだ。
向かいに座る耕平がコーヒーをすすり上げるのを見ながら、安岡はやっと納得のいく答えを見つける
ことができた。
よく見ると耕平は自分とは正反対だというのも思った。
丸顔でがっちりした鼻、顎が太い安岡の正反対だ。
腕が太くて筋肉質な安岡のまったく逆だ。
「ところで、お前の高校は男女共学だったんだよな。彼女はいたのか?」
ふと思ったことを考えもなく安岡は口にした。
「いませんよ。勉強で忙しかったし」
トーストをかじった後、コーヒーを一口飲んで耕平が答えた。
「そこそこイケメンの奴なら、その言葉信用しないけどな。お前くらい美形なら案外そうかもって思え
るな」
「そうですか?」
「ああ。お前ならその辺の女と付き合うより、鏡見てる方が楽しいだろう」
「何か刺ありますよ、その言い方」
安岡は耕平を見つめていた目を逸らした。
苦手な割には、結構楽しげに話していた自分に妙な不信感が浮かぶ。
「いや、お前見てると、神様は不公平だって思えてならないんだ」
「そんなこと、ないですよ」
「俺なんかとは真逆だしな」
ため息をつく安岡の真似をするように、耕平も深くため息をついた。
「安岡先輩こそ、がっしりした肩幅に盛り上がった背筋が素敵じゃないですか。モテるんでしょ。彼女、
当然いますよね」
耕平はもしかしたら、女みたいな自分の外見を嫌いなのかもしれない。
安岡は、今まで思っていもなかった自己嫌悪する耕平を想像してみた。
「そりゃまあ。女の一人くらいいるさ」
「やっぱり、もてそうだもんな」
諦めたような口ぶりは、安岡に変な気を起こさせる。
「お前って、やっぱり男が好きなのか?」
初めて見たときは絶対そうだろうと思っていた。
「やっぱりって何ですか? そりゃ、自分が客観的にどう見えるかくらいわかってますけど……」
結局、安岡の質問には答えない。
「じゃあ、女が好きか? 裸の女を想像しながらベッドでマスかいたりしたか?」
ここだけ小声にするくらいのデリカシーは安岡にもあった。
「露骨だなあ。その質問にはノーコメントです。別にホモって思われるのには慣れてるし」
耕平が裸でベッドの上に寝そべり、右手で勃起したものを擦る所を想像した。
自分の股間が固く反応しないことに、安岡は満足感を感じた。
「そういえばこないだかなり酔ってたらしいけど、大丈夫だったか? 二日酔いひどかっただろ」
安岡はその歓迎会には出ていないが、田頭からその時の様子を聞いていた。
「翌日は少し頭が痛かったかな。生まれて初めてでしたからね、あんなに飲んだの。ああ、二日酔いって
こんな感じなのかって思いましたよ」
「最後は島田に持ってかれたって、田頭、悔しがってたけどな。電車で帰ったのか?」
酔ってふらつく、か弱い耕平に島田がうれしそうに肩を貸す光景が見える様だ。
「どうだったかな。実はよく憶えてないんです。電車で帰ったんだと思うけど」
「実は島田に貞操を奪われていたりしてな。はは、それはないか」
想像して、その淫靡なイメージの美しさに若干戸惑ってしまう。
男同士の愛とはちょっと違う、男女の絡みに似た、しかしそれよりもっと怪しい映像だった。
ちょっと小首を傾げた耕平は笑みを消した。
「それならそれでもいいんですけど……」
語尾を濁す耕平は何が言いたいんだろう。島田の事が好きなんだろうか。
しかし、さっき会った時の耕平の態度は、むしろ自分に好意を持っている様に思えた。
久しぶりに会った飼い主に駆け寄るチワワみたいだと感じた。
こいつに好かれるのはちょっと困る、という気持ちがあった。
それなのに、なぜか、自分以外の男に好意を持つ耕平というのを否定したい気持ちが、安岡の中に沸
いている。
俺は男には興味ない。女が好きだ。
そう思う安岡の女好きな性質にも、目の前にいる佐川耕平という人間は不思議と染み込んでくる。
違和感なく、異性愛者の自分の心を開いて無理やり入ってくるようだと思った。
6 島田
今日のバンド練習で会える。
島田は先日のタクシーでの事が頭から離れなかった。
それまで、美しいものを愛でる気持ちで接していたが、あれからすっかり気持ちを持っていかれてし
まった。
あれから三日過ぎた。
寝ても覚めても自分の股間にうずくまる耕平の横顔が頭の隅からはなれない。
妙に赤い唇で、痛いほどに勃起した島田のものを愛撫する耕平は、初めてだとはとても思えなかった。
やはり、高校の時の寮内で、様々な体験を経ているのだろう。
自分の性体験と比べて、はるかに進んでるのかもしれない。
島田は現在付き合っている沢田純子のことを考えた。
付き合って四ヶ月になる。
抱き合ったことは有るが、定期的なデートをしているわけではない。
これまで四回ほどセックスをしたが、会う度にするということはなかった。
あんまりガツガツした所を見せたくないと思っていたが、実はそれほど彼女のことを愛してるわけで
はないからなのかもしれない。
なぜなら、今現在は純子よりも耕平に会いたいと思っているからだ。
いつも頭のどこかを占領しているのは、今では純子ではなくて耕平なのだ。
いつもの楽器屋に着くと、耕平は既に来ていた。並んでいるギターを眺めている。
そばに安岡も居た。
「よお。早いな」
島田が二人に声をかける。振り向く耕平と目を合わせるのが恥ずかしくも嬉しかった。
「島田先輩。先日は迷惑かけてすいませんでした」
ペロッと舌を出す耕平は、あの時の淫靡な怪しさは皆無だ。
少しくらい気まずそうな顔するかと思ったが、肩透かしを喰らった気分だ。ちょっと違和感を持った。
「いや、どうってことないよ。あの後、大丈夫だったか?」
「あの後?」
「タクシーから降りたあとだよ。すぐそこだからって一人で行ってしまっただろ」
タクシーから降りた後、耕平のマンションまでは階段が続いていたのだ。
ここで大丈夫だからと、一緒に降りようとする島田を押しとどめて、耕平は一人で手すりにつかまり
ながら登って行った。
「あ、タクシーだったんですか。じゃあ大分かかったでしょう。タクシー代半分出しますから」
その言葉は島田にとってショックだった。
あの夜の記憶が耕平にはないということなのだ。
あんな素敵な夜を憶えていないなんて。二人だけの卑猥な夜を。
「いや、タクシー代のことはいいから」
島田はがっかりした気持ちと、安堵した気持ちを両方感じた。
いままで通り耕平に接していればいいのだ。それは、一歩後退かも知れないけど、進む余地がなく
なったわけではない。
「これなんかいいんじゃないかな」
横から安岡が言った。
レスポールタイプのエレキギターを耕平に指し示していた。
「ギター買うのか?」
島田が聞くと、耕平がうれしそうに答えた。
「ボーカルっていっても、何か弾けるようになりたいじゃないですか」
白いエレキに見入っている耕平に、安岡が簡単な説明をはじめた。
安岡からギターを習うということで話がついてるんだろうか。
島田の胸の中で黒いモヤモヤが広がる気がした。胃もたれでもしているみたいだ。
「エレキがいいのか? エレキは白池がいるから、どうせならアコースティックにしたら?」
島田の言葉で、耕平が振り向いた。
「アコースティック、ですか。フォークギターかな」
「ああ。こんなのどうだ?」
右横の方にかかっていたヤマハのエレクトリックアコースティックギターを、島田は取り上げた。
軽く音を出してみる。調弦はされていないからちゃんとしたメロディーにはならない。
「でも、耕平はエレキがやりたいんだろ。白池みたいなリードが格好いいって言ってたし」
安岡は白いエレキを取り上げて構えて見せた。
なんだか二人で耕平を取り合っているみたいな気がしてきた。
滑稽だが引く気にはならない。
安岡も同じ気持ちなんだろうか、苦笑いをしている。
どうする? と促されて、耕平がひとつうなずいて言った。
「パートを作ってもらえるなら、アコギにします。エレキもやってみたいけど、アコギの方がいろいろ
できそうだし。弾き語りって言うのもやってみたいって思ってたんです」
勝負がついた所で、残りのメンバーが入ってきた。
全員揃った所で、この楽器店の地下のスタジオに移動する。
スタジオに入って、安岡がいないと思ったら、遅れて入ってきた。
手に、ナイロン弦のアコースティックギターを一本持っている。
「ほら、練習用の借りてきた」
安岡が耕平にそのギターを手渡した。
「え、いいんですか。ありがとうございます」
耕平はたどたどしい手つきで、ストラップを肩に回して構える。
「いきなり無理だろ」
島田が言うが、
「弾かないでも、恰好の慣れってもんだよ」
安岡の言葉の方が耕平に受け入れられる。
耕平の安岡に向ける笑顔が苦く感じられた。
「ほら、これがEm、一番簡単なコードだ」
後ろから抱くような格好で安岡が耕平にギターの押え方を教えている。
数曲バンドの曲をやったあとだ。
オリジナルには歌詞をつけていなかったから、これまでは耕平は見学みたいなものだった。
「え? 中指と薬指ですよね、こうかな? あれ、難しいな」
左手でコードを押さえて、右手でストロークするが、押さえた指が他の弦に触って濁った音になる。
「なんだよ。本当に全然触ったことないのか。これは先が長いな」
言いたくないのに嫌味な言い方を島田はしてしまった。
「ゆっくりでいいさ。毎日練習すれば三カ月で簡単な曲なら弾き語りできるようになるから」
安岡の言葉に耕平が笑顔を向ける。
島田は、ますます胃もたれするような気分になった。
後ろから抱くようにしている安岡と、それに身体を預ける耕平の姿は妙な色気を感じさせる。
「ほら、ここを押さえて、こうだよ」
身体の大きな安岡が、華奢な耕平をいいように弄んでる風に見える。
「おいおい、あんまり見せつけんなよ。仲いいのわかったからさ。何か目の毒なんだよな」
田頭がキーボードを鳴らしながらふざけた声をあげる。
そうだそうだと白池も同意の声をあげるところをみると、自分だけじゃないんだと島田は少しほっと
した。客観的にみて、怪しい光景なのだ。
「バカかよ。男同士なんだからさ。変な想像してんなって」
安岡の顔が赤らんでるのが意識している証拠だ。
「男同士でその絵柄だってのがヤバいんだよな。なんか絵になりすぎるというか、ホモ雑誌の表紙っぽ
いというか」
さすが文学部の田頭だ、表現がぴったり来る。
咳払いをして安岡が離れた。
「今度ゆっくり教えてください」
変に見られることに慣れているんだろうか、耕平は平然と安岡にそう言った。
客観的にみて、耕平は安岡に好意を持っていると思える。
島田は、先日のタクシー内での事を思い出して混乱する。
自分の事が好きだからあんなことをしたのだろう?
そうではなかったのか?
あれは一体なんだったんだろう。
「新入りも入ったことだし。新入り歓迎コンパやろうぜ。今日都合の悪い奴いるか?」
田頭が音頭をとって、このまま歓迎コンパということになった。
そうだ。あの夜は耕平はかなり酔っていたのだった。
また酔わせれば、何か起こるかもしれない。
しかし、その何かが自分の方を向くとは限らないということを、島田は何となく予想していた。
7 島田
スタジオを借りた楽器店を出て、駅の方に歩く。楽器類は店に預かってもらうことにした。
六時を過ぎて、ネオンが灯りはじめている。時折強い風が吹いて砂埃が舞う。
五人組は、何となく島田たち三人が先を歩いて、安岡と耕平が並んで後をついてくる形になった。
耕平は完全に自分から安岡に乗り換えたように見える。
いや、元々俺の事なんて何とも思ってなかったのかもしれない。
あれは酔った気まぐれだったのか。
行きつけの焼き鳥専門居酒屋に着いた。
自動ドアが開くと、香ばしい炭火焼の匂いが身体を包んだ。
顔なじみの店員に挨拶して、奥の座敷に通してもらう。
六畳間の座敷にはテーブルが二つあるが、客は誰もいない。
奥のテーブルに腰を下ろして、メニューが来るのを待つ。
これまでは四人だったから長方形の座卓の長辺に二人ずつ座っていたが、今日は島田が一人溢れて通
路側に座った。
ここでもやはり、一番奥の席に耕平、その横に安岡が座ることになった。
「耕平、焼き鳥何が良い?」
メニューを広げて、安岡が聞く。
「僕はとり皮と砂ずりが好きなんですよね。どちらも塩で。後は適当でいいです」
島田から見る耕平の横顔に、白い歯がポロリと見えた。
ほんの1メートルしか離れていないのに、ずいぶん遠くにいるような気になってしまう。
「おお、今日は紅一点いるんですね。新入生かな。かわいいねえ」
店長の中年男がビールとコップを持ってきた。
「うちのバンドの新入りなんですよ。かわいいでしょ。でも残念。男ですから」
田頭がビール大瓶を三本受け取りながら言うと、店長が大げさに驚いた声をあげた。
「冗談でしょう。まさかね。顔だけじゃないもん。男と女の違いってさ、顔もあるけど体つきが大きん
だから」
全然信じようとしない。
騙そうったってそうはいかないんだから、と呟きながら戻って言った。
焼き鳥が焼けてきて狭いテーブルの上は賑やかになってきた。
ビールが注がれ、部長の島田が乾杯の音頭をとった。
耕平がおいしそうにビールを飲んでいる。
耕平の喉が動くが、そういえば喉仏もほとんど目立たないなと、島田は思った。
「しかし、耕平のその女っぽさというのは、やっぱり言っちゃなんだけど異常だよな。別に女装や化粧
してるわけでもないのにその美しさは、異常だ。何か病気とかないよな?」
ビールを数回おかわりして、やっと口に出せた田頭が、恐る恐る耕平の反応を見る。
耕平に、ショックを受けたとか怒ったような反応は見られない。
言われ慣れてる事柄なのだろう。
「別に病気はないんですけど……子供のころ鉄棒で遊んでいて股間を強く打ったようなことはあったら
しいです」
「それだ。その時きっとタマタマが消えちゃったんだ」
田頭が冗談でいうが、正しくそれなら納得できると島田は感じた。
「一応ありますよ。触れるもん」
どれどれとテーブルの下側から田頭が手を伸ばすが、横の安岡が制した。
「なんだよ。すっかり彼氏気取りだな」
田頭の言葉には刺がついていた。
「止めろよ。せっかくの新入りなんだから嫌がることはしないようにしましょう」
島田が一瞬険悪になった二人の中に割ってはいる。
耕平が振り向き、軽く笑いかけてくれた。
久しぶりに得点を入れられたエースストライカーのような気持ちになった。
「でもさ、普通ヒゲくらいあるよな。18になってるんだろ。脱毛してるわけじゃないよな」
これまで黙っていた白池が言った。
この話題を長引かせるのはまずいと思ったが、島田も気になる事ではあった。
耕平をみると、それほど嫌そうでもない。
少しは酔いが回ってきたのかもしれない。
「脱毛なんかしてませんよ。確かにヒゲは生えないんですよね。なんでだろう」
「下の毛は生えたか?」
白池は毛にこだわりがあるようだ。
「下は、普通にありますよ。すね毛はあんまりないけど」
「やはり耕平は男性ホルモンが極端に少ないんだよきっと。睾丸機能低下症なんじゃないか?」
田頭が言う。
「まあいいじゃないか。俺は今の耕平がいいと思うよ。別にヒゲなくても男じゃなくなるわけじゃない
さ」島田の言葉で、何となくこの話題は終わりになった。
しかし、本当に睾丸の機能低下だったとしたら、いやそうとしか思えないのだが、ひょっとしたら子
供は持てないかもしれないじゃないか。
不妊症。
もしそうなら、早めに病院でみてもらう方が耕平のためにはいいのかもしれない。
安岡が席を立った。トイレに向かうようだ。
少しして、耕平も同じようにトイレに立つ。
テーブルの横のビールの空き瓶は六本になっていた。
8 安岡
居酒屋のトイレは男性用と女性用にわかれていた。
男性用のトイレには、小便器と個室が背中合わせで一つずつ作られている。
入り口すぐに手洗いの流しがあって、中は割と広かった。
誰もいないトイレで、安岡が小便をしていると、入り口が開いた。
一瞬女が間違って入ってきたかと焦ったが、よく見ると耕平だった。
「なんだよ。女が間違ったかと思った」
プルプルッと勢いよく振って飛沫を払うと、中にしまってチャックをあげる。
「ここ、いいぞ」
安岡が場所を開けると、どうも、と言って耕平が入れ替わりに小便器の前に立った。
すごく興味深いシーンだと横目で見ながら、安岡は手を洗った。
あれ? あれ? と耕平はゴソゴソしている。
「なんだよ、酔っ払ってしまったのか? 探すの手伝おうか?」
「いや、大丈夫なんですけど、このジーンズ股上浅いから出しにくいんですよね、どこだ?」
チャックを開けたジーンズの中を右手で探っている。
傾げた艶やかな首筋に細い髪の毛の筋が幾筋かかかる。
どれどれと、安岡は後ろに立って耕平の股間に手を伸ばす。
てっきり嫌がって逃げると思ったのに。
冗談さと言って笑うつもりだったのに、耕平は逃げなかった。
うん、と首を反らして後ろの安岡を見上げる。
切れ長の目が見つめる。まつげが長い。化粧もしていないのに、色白の頬と赤いふっくらした唇は、
これまで抱いてきた女に感じた色気、欲望を凌駕している。
耕平の股間に入れていた右手に感触があった。
ふにゃりとした感触。つまんで引っ張って、スルリとズボンから出してやる。
耕平が男だという証拠を、確かにつかんだ。
湿った先端を軽く刺激してやると、耕平の唇が、あっと言って開いた。
ぷっくりした赤いその唇に、思わず自分の唇を重ねた。吸い付けられた。
すぐに耕平の舌が安岡を受け入れるように伸びてくる。
理性がなくなりそうだ。自分が自分でなくなりそうだ。まずい。
誰か入ってきたら、困る。
強い引力を振り切って軌道修正する様に、安岡は顔を離した。
「大丈夫、鍵は締めてますから」
耕平に言われて扉を見ると、扉のロックは横向きになっていた。
軌道修正するロケットの燃料は、その時カラになった。
9 安岡
公園には街灯がいくつか灯っていたが、数は少なくそこここに暗がりがあった。
あちらこちらのベンチにはアベックが座って、話をしたりキスしたりしている。
桜の樹もすっかり葉が茂り始めて、さらに暗がりを増やしていた。
「ちょっとここに座ってろよ。ハンカチ塗らしてくるから」
目を押さえてうずくまっていた耕平を近くのベンチに座らせると、安岡は耕平から受け取ったハンカ
チを持って公衆便所の方に歩いた。
居酒屋のトイレでの事が頭から離れない。
自分はおかしくなってるんだろうか? いくら美形だと言っても耕平は男なのだ。
その耕平に自分はキスしてしまった。
あの時の舌に感じる快感が脳髄を浸してしまってる。
甘美という一言では表せない、まるで麻薬でもうたれたような気持ちだった。
トイレから戻って以降の飲み会は、心ここにあらずだった。
ひょっとしたら島田は何か感じたかもしれない。不審そうにこっちを何度か見ていた。
腕に巻いた時計を見ると、蛍光の針は10時を少し回っている。
結構長くあの居酒屋にいんだな。
ビールばかりじゃ酒代が高くつくと、あの後みんな焼酎に変えていった。
耕平は無理かと思ったが、よりによって芋焼酎のお湯割を飲むといい出した。
芋焼酎は匂いがきついから飲み慣れない人間は止めておけという島田の言葉に反発したのか、飲むと
言って聞かなかった。
お湯割三杯飲んだ所までは安岡も見ていたが、その後はよく見てなかった。
自分も結構酔ってしまったからな。安岡もいつになく飲んだのは、トイレでの事があったかもしれな
かった。あのショックを和らげたかったのだろう。
これまで正常だと思っていた自分の性感覚が、必ずしもそうではないと気づかされたのだ。
皆もかなり飲んでいた。
白池があんなにへべれけになってるのは始めてみた。田頭の足取りもフラフラだったし。
島田はまだしっかりしていた。
店を出て五人で駅に向かった。
その後、方向が同じ安岡と耕平が同じ電車に乗ったのだった。
そして最寄りの駅で降りて耕平のマンションに向かう途中だ。
肩を抱くようにして歩く安岡たちを、何人ものすれ違う男たちが振り返って見るのがおかしかった。
ひょっとしてこのまま耕平のマンションに自分も泊まることになるかもしれない。
そこで、裸で抱き合うようなことにもなるかもしれないと、期待感なのか恐怖感なのかわからない気
持ちを感じていた。
そんな時、強い風に吹かれて耕平の目に土埃が飛び込んできたのだ。
後々思うと、何とも恨めしい風だった。
濡れたハンカチを持ってベンチに戻ってみたが、耕平の姿はなかった。
「耕平、どこだ?」
暗い公園に自分の声が虚しく響く。気分悪くなって暗がりで吐いてるんだろうか。
しかし、変だ。
さっきまでいたアベックなんかもいなくなっている。
異様な胸騒ぎを感じながら、安岡は右の暗がりの方に進んでみた。
異常無し。
そのとき、左の茂みの方で人の声が聞こえた。
口を抑えられた人間が必死で出す時の声の様だった。
「耕平か?」
そちらに進むと、男が一人出てきた。
「おっと、こっち取り込んでるから、向こう行ってくれよ」
崩れた恰好をしている若い男だ。首を傾げて立つ姿に、喧嘩馴れしている雰囲気があった。
耳につけたピアスが街灯で光った。
「安岡先輩、ここです」
その男の後ろから耕平の声がした。
状況が理解できた。
一人でベンチに座っていた耕平がこいつらに襲われたのだろう。
まわりのアベックたちは巻きこまれるのがいやで速やかに去って行ったと思われる。
「俺の後輩を返してくれるか?」
喧嘩には自信があった。高校時代ラグビーで鍛えた体力はまだそれほど衰えていない。
腕力もその辺の不良には負けない。
この程度の相手なら、三人くらいは何とかできるだろう。
「やるのかこら」
変な発音で言いながら、男の後ろから、もう一人の不良が出てきた。
こいつは身体がでかい。坊主刈りにしているそいつは純粋な日本人とは思えなかった。
そのぶ厚い唇を見ると、黒人の血が混ざってる様に見える。こいつは強敵に見えた。
全部で三人組のようだ。もう一人が後ろで耕平を押さえているのが垣間見えた。
「気を、つけて……」
口を押さえられながらも、懸命に耕平はもがいている。
こういう場合は先手必勝だ。
つかみかかられる前に、少なくとも一人は戦闘不能にしたい。
安岡はやる気なさそうに顔を反らした後、一瞬力を抜いたあと、瞬発力でピアスの男の股間を蹴り上げ
た。
このやろう、ぶっ殺せと、怒号が周囲に響く。
蹴りは残念ながらうまくはいらなかった。
相手の膝にあたった。
これまで溜め込んでいた運動不足のフラストレーションを吹き飛ばすように、安岡は動いた。
相手のパンチが顎を何度かかすめたが、ダメージは受けなかった。
タックルしてきた坊主の男に肘を落とす。
そいつは膝をついたが抱きついた腕の力は落ちない。
そのまま安岡も後ろに転ばされた。
ピアス男の蹴りが襲ってくる。
頭をかばう安岡の脇腹に鈍い痛みが起こった。
何度目かの蹴りで、男の足首をつかんだ。
素早くそのすねに噛みつく。
ギャアという悲鳴。
タックル男の顎にきつい一発をお見舞いしてやると、やっとそいつから逃れられた。
立ち上がる。
「おっと動くな」
耕平を捕まえている男が、きらりと光るものを街灯にかざすようにして見せ、それを耕平の喉元に持って
いった。ナイフだ。
それから後はお定まりのコースだ。
人質をとられてヒーローは打つ手なしで悪漢に袋叩きにあうのだろう。
10 安岡
「わかってるのか? その子は男だぞ」
言いたくなかったが、最後の手段だ。背に腹は替えられない。
驚くかと思ったが、三人とも意外そうな表情は見せなかった。
「わかってるさ。こりゃ上物の男の娘だ。おとこのむすめ! こんな上物見たことないぜ」
眉のない男はニヤリと笑って、耕平の頬を舌でベロリと舐めあげた。
かわいけりゃ男でも女でもいいということだろうか。
いや、むしろかわいい男の方がその辺の女よりムラムラくると言わんばかりのニュアンスがある。
「よくも暴れてくれたな。そこにひざまづけ」
坊主男が口から唾を吐いて地面を指差した。
ちょっとそれ貸せと、ピアス男が足を引きずりながら下がり、耕平を捕まえていた男からナイフを受
け取った。
それを持ってひざまずく安岡に近寄る。
「ふざけやがって。鼻を削いでやる。動くなよ。あんな娘すぐに首の骨折ってやれるんだからな」
安岡の顔にナイフが近づけられる。
ヒヤリと冷たい感触が鼻の下に感じた。
背中からどっと汗が吹き出す。
本気なのかと疑う余裕もなかった。
「やめて。お願い。それだけは止めてください」
耕平の声だ。
「何でも言うこと聞きますから」
耕平のその言葉で、鼻の下のナイフが少し離れた。大きく息が漏れる。
「そうだな。今度はこいつが人質だ。カイジ、ベルト外してこいつの腕縛れ」
カイジと呼ばれたピアス男は、ズボンのベルトを外して安岡の後ろに回った。
どうしていいかわからなかった。
目の前にナイフがある以上暴れるわけにも行かない。
しかしこのまま縛られていいのか?
「安岡先輩。今は暴れないで。僕なら平気ですから」
迷う安岡を耕平が止める。
耕平を守れなかった。
耕平にかばってもらうなんて、逆じゃないか。
自己嫌悪の念もあったが、目の前のナイフに鼻を削がれるのは怖かった。
「こっちこい」
耕平を捕まえている男が、さらに奥の暗がりに下がっていく。
通りの方からはまったく死角になっている。誰かが助けにきてくれることはまず望めなかった。
絶望の淵、奈落の底、そんな言葉が浮かんでくる。
茂みの裏、街灯の光が微かに浮き上がらせるベンチに眉なし男は耕平を抱えたまま座り込んだ。
安岡は、後ろ手に縛られたままその横にひざまずかされた。
ナイフを持ったピアス男が後ろにしゃがみ込む。
「ほら。お前が言うことを聞かないと、先輩の鼻は無くなるからな。わかったなら裸になれ」
眉なし男の言葉で、安岡は背中がカッと熱くなった。
しかし動けない。このまま耕平が目の前で弄ばれるのを見ているしかないのだろうか。
耕平は立ち上がると無言で服を脱ぎ始めた。
ジャンパーを脱いでティーシャツを脱ぐ。一瞬躊躇した後、ジーンズと下着を一緒にずりおろした。
うっすらと全裸の耕平が闇に浮かび上がっていた。
狭い肩幅、くびれた腰つきにややふっくらした尻まわり。
スレンダーな女性の体型に近い。気のせいか少し胸が膨らんで見えた。
「いいねえ、いいねえ。しかし暗いな。仕方ないか。ほらこっち来てしゃぶれ」
眉なし男は腰ばきの太めのジーンズのチャックを開いてペニスを取り出した。
耕平は一息吐いてその男の股間にしゃがんだ。膝をついて男の股間に顔を近づける。
そのまま噛みきってやればいいのにと思ったが、それをされると、眉なし男はペニスが無くなるが、
自分は鼻が無くなる。
男の股間に顔をつける耕平の尻が持ち上がり、裸の尻が薄暗い中うごめくのが見えた。
こんな状況だというのに、興奮で自分のペニスが固くなるのが信じられない。
「上手じゃないか。こりゃ素人じゃないな。たっぷり鍛えられてるよ」
安岡から見る耕平の後頭部が、男の股間でゆっくり上下している。
ペニスを咥えて舌を絡めているのだ。頭の芯が熱くなる。
耕平にあんなことをさせている自分が情けなかった。
「このくらい去年まで毎日やってたんだから。男のこれ大好きなんだから」
耕平の声だ。
頭に来た安岡が無謀な事をしないように言ってるのだろうか。
しかし、その手慣れた様子は、確かに初めてには思えなかった。
「おお、いきそうだぜ。全部飲めよ」
眉なし男の腰が突っ張るように動いた。今、耕平の口の中に、発射された。
咳き込む耕平の顎を眉なし男が引き上げた。
横を向く耕平の喉がゆっくり上下した。
「いい娘だ。じゃあ交代だ。カイジ、やるか?」
眉なし男がチャックを締めながら立ち上がる。
「俺は尻をいただくよ。ケツあげろ」
ピアス男のカイジは耕平の後ろに回った。
上体を下げて、尻をカイジに向けて持ち上げる耕平の表情は見えない。
そういうこともよくやっていたのだろうか。
勃起した先端部が、耕平の尻に差し込まれるのが見えた。
う、ううという耕平のうめき声が艶かしい。
「いいねえ、いいねえ。ネットに投稿してやりたいぜ」
眉なし男は携帯電話を取り出して、いいアングルを探すように左右に動く。
「いいアングルなんだけどな。肝心のかわいい顔が暗くて見えないぜ。もっと明るい場所にいこう」
眉なし男は右手の方に移動する。
安岡もはうようにして移動させられた。
一番奥の街灯の光で照らされたベンチだ。
「そのベンチに立って、ポーズをとれ」
携帯電話を構えた眉なし男に命令されて、耕平は全裸のままベンチに立った。
斜め上からの光で、耕平の胸の隆起がはっきり浮かび上がる。
やはり、乳房が発達しているように見える。
女子中学生くらいな感じに見える。
ポーズをとれと言われて耕平が戸惑っていた。
「ほら、右手をあげて、こんな風にだよ」
眉なし男が下から指示したポーズをとる。
ピアス男は半勃起したものをぶら下げて手持ち無沙汰の様子だ。
何とも滑稽な場面になっている。鼻を削がれる緊張感がふっと解けていく。
「おい、もういいだろ。早いとこやらせろよ」
ピアス男の言葉で、やっと眉なし男が耕平を下ろした。
その時、太い声が聞こえた。
そこで何してる、と叫ぶ声だった。
すぐにピリピリと周囲の静寂を引きちぎるような笛の音が聞こえた。
警察だ。
「ヤバい。逃げるぞ」
眉なし男は真っ先に駆け出した。
残りの二人もそれを追うように逃げ出す。
安岡の中に残っていた緊張感と恐怖が一期に消え去り、力が抜けてへたばってしまった。
11 安岡
近所の交番で事情聴取されているうちに時間が過ぎて、耕平のマンションに帰ってきた時は12時を過
ぎていた。
安岡は、すぐに帰るつもりだったが、電車も終わってるから泊まっていけという耕平の言葉に甘える
ことにした。
歩いても一時間くらいだが、酔って暴れたりで今夜はさすがに疲れた。
「その辺に座っていてください、コーヒーでも入れますから」
ワンルームマンションのキッチンで耕平がやかんを火にかける。
耕平の後ろ姿を見上げていると、ベンチに立たされた裸の耕平が浮かんでくる。
街灯のオレンジの光に照らされた耕平は無闇やたらに美しかった。
「すっかり酔いが覚めちゃいましたね」
マグカップを二つ、耕平が安岡の前の小さな座卓にのせた。
黄色いマグカップのコーヒーを一口すする。
ちょっと苦味のあるコーヒーが美味しかった。
「すまんな。守ってやれなくて」
出口を探してうろついていた言葉をやっと出してやれた。
「いいんですよ。でも、安岡先輩が無事でよかった」
耕平も一口飲んで、はあーとため息をつく。緊張感の抜けた緩い笑顔を向ける。
癒し系だ。耕平といると、気持ちが癒される。何だかとても心地よい。
そういえばこの子とキスしたのだった。
あの事がすごく以前のことみたいに思えるが、実際はほんの四時間前のことなのだった。
「尻、大丈夫だったか?」
つい、好きだと言いそうになって、まずいと思った安岡は、わざと変な事を聞いてしまった。
耕平はふふっと笑って、
「大丈夫ですよ、いきなりお尻の心配ですか」
さらにおかしくなったのか声を出して笑い始めた。
「いや、やばいだろ、あんなでかいのがねじ込まれたら、割けるぞふつう」
自分でもおかしかったが、つい話を進めてしまう。
「ふつう割けるのかな。じゃあ僕は普通じゃないかもしれないですね。まあ、そうかな」
うんうんと頷く耕平は寮でのことを思い出してるのだろうか。
「ちょっとシャワー浴びてきます。何か気持ち悪いし。先輩はテレビでも見ててください」
耕平がリモコンを操作してテレビをつけた。
そうだった。あんなやつらにベタベタ触られたあとなのだ。
立ち上がり、ジャンパーを脱いだあと、安岡を見下ろしてふふっと笑った。
そのままティーシャツを脱いだ。
「脱衣所がないもので……」
言った後すぐにジーンズを脱ぎ始める。
「あ、すまん」
安岡は後ろを向いた。
明るい室内に浮かぶ上半身裸の耕平の映像が頭の中に残ってしまって、なかなか消えない。
「こっちを見てください」
耕平の声は訴えかける様だった。
ゆっくり振り向くと、全裸の耕平が立っていた。
「どんな風に見えるかと思って」
目を反らしうつむく耕平。
「どう見えると言われても」
なんと答えていいかわからない。
素直に綺麗だといえば満足するのだろうか。
「変じゃないですか? 男として。やっぱり男性機能低下症みたいですか?」
そういう意味か。
「いや、変かと言われれば、変というより、すごく美しいと思う。男らしさはあんまりないけど、そん
なこと気にしてもしょうがないだろ。一般的な男なんて言うのはいないんであって、人間はみんなそれ
ぞれ個性的にできてるんだから」
やや支離滅裂になりながらも、思ったことを言えた。
「そうだよ、耕平は耕平らしくていいんじゃないかな」
何とか結論めいた所に持っていく。
「そうですか。異常じゃなければいいんですけど、温泉なんか行くといろんなおじさんがジロジロ見に
くるから、変なのかと思った」
「変じゃないさ。美しい花をみんな見たいだけだ。気にするな」
「ありがとうございます。気にしないようにします」
ペコリとお辞儀をすると、耕平はユニットバスの扉を開いた。
確かに男だったな。
耕平の全裸を明るい場所で間近に見た安岡は、息苦しさを感じて大きく深呼吸した。
つい、息をするのも忘れていたみたいだ。
陰毛は確かに少ないがあった。
ペニスは小さめ、睾丸も小さめだったが、ちゃんと二つあった。
耕平の身体は、普通の男みたいなゴツゴツした感じがなかった。
かと言って、女の様に皮下脂肪が厚くついている様子もない。
女にしか見えない美人顔と、すごくバランスがとれているのだ。
テレビに顔を向けているが、内容は全然頭に入ってこない。
ずっと、さっきの耕平の裸を思い出していた。
シャワーの音が止んで、しばらくすると、また裸の耕平が出てきた。
髪をバスタオルでふきながら彼はベッドに腰かける。
「ふう、気持ちよかった。先輩もどうぞ」
乱れた髪の間から耕平の目が安岡を見つめる。
「いや、俺はいいよ」
「ダメですよ、暴れて汗かいたでしょう。それとも僕の裸だけ見て自分は見せたくないって言うんです
か?」
「別にそういうわけじゃないけど、わかった。確かに汗かいたから、シャワー借りるわ」
なんだか耕平に押されてる気がする。
性経験豊富な小悪魔に心を乱されている様だ。
安岡は立ち上がり、乱暴に服を脱ぎ始める。
下着も脱ぎさり、ポイッと放り投げた。
そんな強がりを見せる安岡を耕平はジッと見ている。
「ラガーマンの筋肉美ですね。素敵です」
「大したことないって」
後ろを向いた安岡の背中に、耕平がすいっとよってきた。
耕平の両手が後ろから回され、安岡を抱きしめる。
タオルが落ちて、耕平の裸の胸を背中に感じた。
「ほんと、背筋が固いや」
もう我慢できない。
安岡は振り向いて微笑む耕平の唇に自分の唇を重ねた。
すぐに舌が絡まってくる。
鼻を削がれる恐怖の後は、極上の快楽か。
股間のものが充血してぐんぐん太くなる。
すっかり上を向いたものが、耕平の腹と自分の腹に挟まれる。
それをいきなり握られた。
耕平が手で愛撫し始めたのだ。
自分が男同士でこんなことをすることになるなんて、今日まで思ったこともなかった。
止めるべきだとか、非倫理的だとか、変態的だとか、心をよぎる思いはあったが、目の前の耕平には
どれもかなわない。
安岡は流れに任せることにした。
むしろ耕平に誘われるようにして、奥のベッドに倒れこんだ。
見上げる耕平の目はうっとりしている。
しかし、この後どうしていいのかわからないのも事実だった。
男同士のセックスってどうすればいいのだ?
12 安岡
「いいですよ、お尻の中、きれいにしてますから」
耕平が眼を閉じたまま言った。
そうだった。男同士の場合、一般的、なのかどうか知らないが女役の男の尻に男役の男が挿入するも
のなのだ。
先ほどの公園でも、ピアス男のものが耕平の肛門を蹂躙してるのを見せつけられたばかりだ。
「大丈夫なのか?」
つい聞いてしまう。
耕平は黙ったまま頷いた。
ふと思いついて、耕平の胸を触ってみた。
ふんわりしたふくらみがあった。
脂肪じゃない、小さいながらもちゃんとした乳房の感触だ。
乳首は、女性ほど大きくはない。普通の男のそれより少し大きめという感じだった。
それをつまんで、くいっと刺激してやると、耕平の眉根がよった。
く、とこらえきれない呻きが漏れた。
「痛かったか? すまん」
とんちんかんな事を言ってしまった。耕平の声が苦痛からくるものじゃないのは、すぐに気づいた。
安岡は夢中で耕平の乳首を吸った。
舌で転がすようにした。
耕平の呻き声が女の声の様に小さく、しかし確実に漏れ始める。
「来てください」
耕平が膝を曲げて腰を浮かすようにした。
入れてほしいというのだ。
頭の中を熱湯が流れている様だ。初めて女を抱いた時のことを思い出す。
しかし、今の方がずっと興奮度は高い。
背徳感がそうさせるのか、それとも、耕平の魅力なのか、それはどちらとも言えなかった。
向き合ったまま入れるのは難しかった。
女性器と違って、肛門は奥の方にあるから、そのままでは無理なのだ。
耕平の両足を担ぐような格好で、やっと先端が入り口に当たった。
夢中で、そのまま腰を入れる。
女性器と違って、反発が強い。弾力のある入り口は容易に侵入を許さない。
その入り口が、不意に門を開いた。
招かれるようにして先端が入っていく。
耕平が力を抜いたのだ。
それでも中は女性器と比べて窮屈だった。
常に締め付け感がある。油断すると、つるんと押し出されそうなくらいだった。
肉ひだをかき分けるように奥まで入れると、奥の方はさほど窮屈ではなかった。
入り口が締まるから、ペニスの根元を縛られて、余計に亀頭が膨れ上がる感じだ。
顎をあげて背中を反らせる耕平の細い首筋を見ながら、安岡は夢中で腰を突き上げた。
自分自身も快感を感じるが、この娘を喜ばせていることに大きな満足感を感じた。
「中に来て、思いっきり」
つぶやくような耕平の声に、安岡の快楽は頂点を極める。
やがて上り詰める。
その頂きは、これまでにないほど高いものだった。
中篇に続く
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