恐怖!学園

○10年程前、初めて入った地方都市の小料理屋さんでの出来事です。そのお店
は、入り口を入ったところが少し広いスペースで、右に行くとカウンター、左
に行くと座敷席というレイアウトで、私は現地の取引先の社長さんとカウンタ
ーに座って、オーナーである板前さんと話しながら飲んでいました。カウンタ
ーから左後ろを振り返ると入り口が見えるというわけです。いつからともなく、
私はその入り口を入ったところに一人の少女が立っているのに気が付きました。
別に気にも留めていなかったのですが、しばらくして何気なく振り返るともう
その子はいませんでした。オーナー兼板前のオヤジさんに
「さっきあそこにいた女の子何なの?」
と聞いたとたんオヤジさんの顔から血の気が引いたようになりました。
「やっぱり見えたかい?」
「見えたかい、って?」
「イヤイヤ、見える人と見えない人がいるんだわ」
「・・・」
「父親がノンベでさ、いつも娘が迎えに来てたんだけど、一昨年ここに来る途
中クルマにはねられて死んじゃったんですよ。イヤー、まだ迎えに来てるんだ
ねエ・・・」
父親は?と聞いたら、その後プッツリ来なくなったそうです。『だからかな、
毎日迎えに来るのは』とそのとき話をした記憶があります。(cj407)


○もう10年以上前大学の仲間と夏、泊まりで海へ遊びに行った時。
夜、ひとつの部屋に集まって酒盛りをしてると突然ひとりが
「窓からだれか覗いてる!!」
と言い出した。鬱陶しいなと思いながらも、窓まで行ってカーテンを開けると
誰も居ない…。そこは3階で、ベランダもなく窓の外はすぐ崖になっていてそ
の向こうは海…。
「気のせいじゃない?」
と言いながらもう一度酒盛りを始めた。
「そう言えば昔よく旅館なんかで、部屋の掛け軸の裏や、絵の裏にお札が貼っ
てあるなんて話しがあったよね?」
なんて言いながら額に入った絵をめくって見ると、そこには“お札”が…。
その夜だれもその部屋で寝なかったのは、言うまでもない。(窓の外には誰が
居たんだろう…?)


○これは、母親から聞いた話です。
私がまだ3歳になるかならないかくらいの頃です。
当時はアパートに住んでいたのですが、お隣さんと仲が良く、私もそこのお姉
さんによく遊んでもらっていたそうです。
ある日、そのお姉さんから人形をもらいました。かわいらしい人形で、私も気
に入って遊んでいたそうです。
が、それからしばらくたってからのことです。
それまで大人しく遊んでいた私が、突然人形を放り投げ、火がついたように泣
き出したのだそうです。
その豹変ぶりに驚いた母が、
「どうしたの!?」
と聞くと、私は泣きながら
「お人形さんが“帰りたい、帰りたい”って言ってる」
と言ったそうです。
元の持ち主であるお姉さんは、その人形を大切にしていたとの事。人形も、そ
のことを分かっていたのでしょう。もちろん、お姉さんに人形を返しました。
その後引っ越してしまったため、人形がどうなったのかは分かりません…。


○霊感など全くない私が唯一体験した話です。
高校生のとき、夜中に、次の日が提出期限だった数学の問題をといていました。
はじめは自力で解いていましたが、午前3時をまわり、このままではもう間に
合わないと思い、答えを写すことにしました。
そして、1、2問写したところで、当時持っていたポケベルにメッセージが入
りました。その内容は
「ズルしてないで、早く寝て」
その後はもちろん速攻で寝ました。しかも、ベルのメッセージって最後に自分
の名前を入れますよね。ヒロコっていう名前だったら165とか。
そのメッセージの名前は「U0」。
みんな笑いますが、私は「ゆうれい」からのメッセージだったと思っています。


○高校1年の時、家を建て替えるため、1年程、近くのアパートに家族で住ん
でいた事があります。その部屋はほとんど日が入らず、雰囲気の暗い所でした。
越して間もなく、別に霊感が強い訳では無い私が、日常的に金縛りにあうよう
になりました。
そしてそれは、いつもの様に金縛りにうなされ、夜中3時頃に目覚めた後に起
こったんです。
目覚めてからも妙に怖い感じが残っていたので、電気を付けたまま再びベッド
に入りました。
ウトウトし出した時、右を向いて寝ていた私の喉元(ちょっとへこんでいると
ころです)を「トン」と押される感触がありました。はじめは親が来て、私の
喉を触っているのかと思いました。ですが、しばらく経っても、ずっと感触が
あるのです。
恐る恐る目を開けてみると、ベッドの下から手がぬっと出ていて、私の喉に指
をあてていたのでした!体は金縛り状態で全く動きません。
あごのすぐ下に手があったので、皺や色までよく分かりました。明らかに、か
なり年配の男性の浅黒い手でした。
しばらくして金縛りがとけると同時に、手は消えましたが、本当に気持ちの悪
い経験でした。


○僕が小学4年生の時に経験した話です。それは夏の7月頃でした。
僕と友達数人は、学校で肝試しをしようという話になって、真っ暗な学校の校
庭を一人ずつ歩いていく計画を立てていました。
計画実行の日、僕達は夜の8時、学校に到着しました。校門は閉まっていまし
たが下手に開けると警備会社さんが来てしまうので慎重に上っていきました。
そしてとうとう、校庭を歩くことになりました。
1人目、2人目、3人目までは何もなく、とうとう僕の番が来ました・・・。
始めは何もありませんでしたが、次第に光るものがあることに気づきました。
そ〜っと近づくと、そこには、顔がない人がいました。
僕は恐かったのですが、もう少し近づいてみると、ヘルメットのところに「安
全第一」と書いてあるのが確認できました。僕は
(工事会社の人かな?)
と、思いながら不安になりながらも声をかけてみました。
「こ・・・こんばんは」
すると工事会社の人(?)はス〜ッと消えてしまったのです!僕はさっきより
も恐くなって、急いで友達のところに逃げましたが、友達にこのことを話して
も誰も信じてくれませんでした。
後日、おばあさんから聞いたのですが、僕がいた小学校は建てられているとき
に誤って人が死んでしまったそうなのです・・・。


○これは私が昔、オートバイで事故をして入院していたときのことです。
私は重傷を負って、ある大学病院の救急病棟に入院しました。医者からは「命
は助かるでしょう。でも傷ついた右足は諦めてください」と言われるほどの状
態でした。重症者が入る病室なので見舞いの人も少なく、病棟自体もまるで人
の気配がないような、とても静かなところでした。
入院して2、3日後、気になっていたことがあって、見舞いに来た両親に聞い
てみました。「子供達の遊んでいる声が部屋まで聞こえて、うるさくて眠れな
いよ」と。
両親は、「目の前がこの大学付属の幼稚園だから、仕方ないね」と言いました。
私は起き上がる事ができない体だったので、手鏡を使って外の景色を見ました。
確かに駐車場をはさんで、敷地の外に建物が見えます。「ああ、これなら確か
に仕方ないね」と納得はしたのですが、それにしてもこの賑やかさ!何人かで
鬼ごっこでもしているのかな?と思っていました。結局、この賑やかな笑い声
には、一般病棟に移るまでの1週間付き合わされることになりました。
その2ヶ月後には松葉杖で外も歩けるようになり、幸運なことに、傷だらけで
も右足も残り、あとはリハビリに専念するだけとなりました。
私はいつものように、夕食前の散歩として、病院の正面玄関から外に出ました。
事故をしたあの秋の日はあんなに暑かったのに、いつの間にか季節はもう冬。
白い息を吐きながら、私は何気なく、以前いた救急病棟を見やりました。救急
車が来る時以外は、人影もなく、以前と変わらずとても静かです。
ふと、私の中に矛盾する思いが。
「静かって、毎日あんなに騒がしかったのに?」
そう言えば、あの子供達の声は、幼稚園からというよりも、窓のすぐ下からだ
った。そしてそこは大病院の中の、しかも救急車が停まるところ。そんなとこ
ろで子供が遊ぶだろうか?しかも毎晩、真夜中一時過ぎに…。
私はとても切なくなりました。冬の早い夕暮れの中、私はずっとその建物を見
てました。あれから10何年もの時が経ちましたが、今でもあの子供達は、自
分の存在が無くなったことにも気付かず、どうしたらいいのかもわからずにさ
まよっているのでしょうか。


○中学生くらいのことで、もう20年以上前の話になります。
私の実家は山間部にあり電波状況が悪かったため、FMもAMもよく受信でき
ず、どの放送局のチャンネルにあわせても雑音まじりでした。でもいつしか、
放送局以外の周波数帯でも「ポーン、ポーン」とか「ピ、ピ、ピ」というふう
に、ある一定の「音」がつづいて出る帯域があるのに気付き、番組を聞いてい
ても雑音まじりでは面白くないので「音」を探してときどき楽しんでいました。
そんなある晩のことです。適当な「音」にラジオの周波数を合わせ聞いている
うちに少しうとうとしかけたころ、急に「音」が雑音にかわりました。
アレ?と思ってダイヤルを回そうと手を伸ばしたその時、ラジオから男の不気
味な声がして
「タ〜カ〜シ〜」
と私の名前を読んだのです。地獄から涌き出るような声でした。雑音まじりで
したが、はっきりと私の名前を呼びました。
私はびっくりして、ラジオを切り、布団を頭からかぶり、震えるしかありませ
んでした。いったい、あの声はなんだったのか、不思議です。

○お正月、実家に帰ったときに私も15年以上前に幽霊を見ていたことが判明
しました。この日までてっきり人間だと思っていたのに・・・。
叔母の職場近くに、なぜだか、何もないのに事故が多発する道路があるといい
ます。その数メートル先にはトンネルがあり、その上はお墓になっています。
いわゆるそこは心霊スポットとして有名なんだそうです。
私も15年以上前の夜、塾の帰りに自転車で薄暗いその道を通った際、白い着
物を着たおばあさんが道路脇に立っていて、突然視界に入ってきたのでびっく
りしてこけそうになった経験がありました。その時私は、
「脅かしやがって!でもきっと前方から来る私の自転車を見て道路の脇によっ
てくれたのだろう」
と思いました。
いや、確かに今にして思えば、あんなへんぴなところを白い着物を着たおばあ
さんがあの時間に一人歩いていること自体おかしいんです。
その話を叔母にすると、それまで普通に話していた叔母の顔がこわばり、そこ
に出るのは白い着物を着たおばあさんなのだというのです・・・冗談を言うよ
うな人ではありません。
この心霊スポットは家の近所だけに話を聞いていた弟も知っていて、確かに白
い着物を着た白髪のおばあさんが出ると言うのです。
実は今でもそのおばあさんの表情、髪型など鮮明に覚えているのですが、これ
は覚えさせられたのかもと思ってしまいます。15年以上、気にもとめなかっ
た出来事・・・。
暗いとはいえ、幽霊と人間、見分けがつかないって本当ですね。皆さんも実は
どこかで幽霊を見て人間だと思っているのかも?

○学生時代にイタリアに旅行にいったときのことです。石畳の街を連日観光し、
すっかり足が筋肉痛になっていた私は、薬局で湿布を買おうと、持っていた旅
行者用のイタリア語ハンドブックに載っていた『湿布』の単語を覚えて薬局に
行きました。薬局で覚えた単語を連呼すると、店員さんは快く、箱に大量に入っ
た『ガーゼ』を売ってくれました。
 次の日、めげずに今度は、肩がこった→四角いものを肩に貼る→肩が楽になっ
た、というゼスチャーを繰り返しました。すると店員さんは『オー!サロンパ
ス!!』と言って湿布を持ってきてくれました。イタリアで『湿布』は『サロ
ンパス』なのかよっ!

○職場で聞いた話です。
 同僚の叔母さんの家の庭にはいつもいろんな種類の野鳥がたくさん来ていて、
その叔母さんはエサを与えてかわいがっていたそうです。叔母さんは病気で入
院し、かわりに家族が野鳥にエサをやっていたそうですが、叔母さんはまもな
く他界してしまいました。
 ところが叔母さんが病院で息を引きとった頃、たくさんいた庭の野鳥がいっ
せいに飛び立って一匹もいなくなったんだそうです。
 ほぼ同時刻、何百キロも離れた他県に住む叔母さんの妹の家に、異常なくら
いたくさんの山鳥がやってきて、いっせいに窓ガラスをつついたんだそうです。
 叔母さんの死を知らない妹さんは腰を抜かすほどびっくりしたそうですが、
後になってその時刻が叔母さんの亡くなった時刻だと知ったそうです。
 つい最近の話だそうですが、それ以来、叔母さんの家には野鳥が来ないそう
です。


○私は今、福島県某中学校の三年生なのですが、これは去年、私が実際体験し
たことです。
私は当時吹奏楽部に入っていました。その日はちょうど吹奏楽部のコンクール
でした。楽器をかたずけ、すっかり遅くなってしまったので、先生に送っても
らうことになったんです。
先生が車の鍵を取ってくると言って校舎に入って行ったときのことです。職員
室の電気がついたと思ったら、3階の器楽室まで電気がついたので、変だなぁ
と思いずっと見ていました。ふっと器楽室の電気がきえたので職員室を見まし
た。そしたら先生が出てきたので、
「先生。まだ一人器楽室に残ってましたよ?」
「えっ!そんなはずないわよ!だって、先生は職員室にあるドアから入ったん
だもの…。出るとしたら職員室に入ってこないかぎり出られるわけないのよ?」
と言い、確かめに先生がまた職員室のドアから入っていきました。5分後。先
生が出てきて、「誰もいなかった」と言いました。確かに私もずっとドアを見
てたし出てきたなら気づくはず…。
じゃあ、あれは一体だれ?


○よく交通事故現場には供養のための花などがお供えしてありますが、今回は
それについての投稿です。
 10年位前の話なんですが、当時は貧乏学生で、いつも月末の仕送りとバイ
トの給料日前は金欠状態でした。当時の友人Kもまったく同じで、食べるため
には一週間くらい強制禁煙しないといけないこともあり、二人でお金を出して
たばこを分けることはもはや月末恒例の儀式となっていました。
 そんなある時、めずらしくKが一箱たばこをくれると言うので、月末に珍し
いじゃないか、と聞いてみたところ「いや、道ばたのお供え物から頂戴してき
た。我慢できなくてよ、ハハハ」と言うのです。そんなもん吸えるかと思い、
Kにすぐ返してこいと言ったのですが、「いらないならいいけど俺は頂くぜ」
とおもむろに吸いはじめました。こいつバカだなと思う半面、羨ましくも思い
ました。今思えばあの時吸わなくて良かったなと思います。
 それからしばらくして、Kは原因不明の頭痛に悩まされ始めた。病院でも悪
い所はこれといって見当たらないと言われ、処方された薬を飲んでも一向によ
くならず、命に別状はなかったものの一ヶ月以上苦しむことになりました。
 僕はこういうことは信じる方ではないのですが、あのたばこが原因では?と
Kに言ったところ、本人もうすうす思っていたらしく、たばこをお供えしたい
と言うので一緒について行きました。律儀にもKは1カートン買い、声に出し
て「済みませんでした、勘弁してください」と何度も謝罪して、その場を離れ
ました。
 二日後、頭痛から開放されたらしく、いつものKに戻っていましたが、冗談
で祟りとかだったんじゃないのか、とKに言ったところ、実は頭痛に悩まされ
ていた間、ずっと首を絞められるような感覚と息苦しさがあって、たばこをお
供えした後から、その感覚はなくなって頭痛もひいていったと言いました。
 卒業してから全く会うこともなく連絡先もわからないKですが、道ばたのお
供えを見るたびに思い出します。


○今年の夏頃、うちのアパートの2階に住んでいた奥さん(20代前半のヤン
ママっぽい)は、育児ノイローゼ気味のようだった。下の子(乳児)が泣いて
いてもほったらかし。上の女の子(2才くらい)が泣いていると、「うるさい
から、泣くなら向こう行って!!」と怒鳴りつける声がよく聞こえていた。
3ヶ月程して、下の子の泣き声がしなくなったので、「夜泣きが終わったんだ
な」と思ったのだが、どうもおかしい。全然声がしなくなった上に、2階の家
族とアパートの前ですれ違う時も、上の女の子しか連れていない。
その頃から私は変な夢を見出した。夢の中で私は、誰かを殺し、そのことがば
れはしないかと、毎日おびえながら暮らしているのだ。殺している場面は出て
こないが、人を殺した罪悪感を持って生活していて、時にはそれがばれて、何
者かに追いかけられて、必死に逃げている。朝起きると、「私は忘れてしまっ
ているだけで、本当に誰かを殺したのでは?」と悩むほどに、リアルな夢。
そんな夢を1週間ほど、毎日見続け、どこかに相談しようかと思い出した頃、
2階の家族がどこかに引っ越して、それっきり怖い夢は見なくなった。
いまだにあの家族のことを、不動産屋さんに聞いてみようかどうしようか、悩
んでいる。

○友人の運転する車の助手席に乗り某鍾乳洞へとでかけた時の事です。
鍾乳洞の入り口にある駐車場のところまで来ると、崖崩れがあったという内容
の説明書きとともに閉鎖中という看板が掲げられ、ロープで仕切られた先には、
まだ たくさんの石が転がっていました。
駐車場でUターンをし、受け付けとなっていた小さな小屋に背を向けて車を停
めていると、助手席側のサイドミラーに男性の姿が映りました。黄色のヘルメ
ットをかぶり、ベージュの作業服を着た男性は、私たちの乗った車の方へと歩
いて来ました。
「ねぇ?こっちに来るよ?何か言われるんじゃない?」
と言う私の言葉と同時に後ろを振り返った私たちは、誰もいない風景を目にし
ました。再びサイドミラーを見ると、やはり作業服姿の男性がこちらに向かっ
て歩いて来ます。深く被ったヘルメットで顔を見せない男性が…。
慌てふためきながらも、すぐにその場から走り去りました。猛スピードで走る
車の後を追い駆けて来ていたら…と思うと怖くて後ろを振り返ることができま
せんでした。
あれから15年、未だに忘れられず、鍾乳洞は訪れていません。


○家で友人と飲んだ時の話。みんなヘベレケだったので、男の子が、うつ伏せ
になっている私を踏んづけ、私も何も言わなかった。しかし当時付き合ってい
た彼は違ったらしい。みんなの前で私におしぼりを投げつけ帰っていった。翌
日電話で「モノを投げつけるとは何事?!」と怒ると「もしあなたがアメリカ
の大統領だったら、民衆から卵を投げつけられるのと、踏みつけられるのとで
はどちらが屈辱的ですかっ?!」と詰問された。なんとかなだめて仲直りし、
ほっとして電話口でタバコに火をつけると、それがまた彼の癇に障り「アメリ
カの大統領だったら、ホワイトハウスで大事な会見中にタバコを吸いますか?!」
と電話を切られた。何故彼がそんなに私を大統領にしたかったのかは、別れた
今も疑問です。


○おととしくらいの話です。
以前、一緒に仕事をしていた人が入院したと聞きました。噂では長くないと…。
主人は特に寝起きを一緒にしたこともある人だったので、お見舞いに行くよう
言ってました。
ところがある時、主人は図書館でその人を見かけたというのです。スーツを着
て腕組みをし、下を向くようにして目を閉じていたそうです。主人はなぜか声
はかけなかったそう。
その3日後に、その人の訃報が届きました。図書館の人は見間違いではなかっ
たのか、と聞きましたが、絶対に本人だったと主人は言います。最後のあいさ
つだったのでしょうか…。
そして数ヶ月たったある日。私はそのひとからの手紙を受け取る夢を見たので
す。
色んな職種についたことがあり、社長もやったことがあるその人は野心家でし
た。どうやらあの世でも会社を設立したらしく、その案内でした。
夢と言ってしまえばそれまでですが、なんとなく不思議な気がします。


○私はまだ独身だったころ愛知県の岡崎市に住んでいたのですが、郊外に香嵐
渓という観光地があり、四季折々の楽しみがありました。冬はスケート場が開
いていて、その日も、男の遊び仲間数人と現地で落ち合う約束をして各々バラ
バラに自分達の車で出発しました。
豊田市の近辺に差し掛かった時、偶然仲間の車二台が追いついて来たと思った
ら、やたら後ろからパッシングかましたり、車間をつめてきたりとウルサイ事。
バックミラーを見るとこぶしを振り上げて何やら怒っている様子…。
やっとスケート場の駐車場に着いたと思ったら、すぐ続いて横に止まった仲間
が「何でお前さんだけ女の子を連れてくるんだ!」とおかんむり。
「ん?俺、一人で運転して来たんだけど…」
「いや、確かにあんたの横に髪の毛の長い女の子が乗ってたぞ」
「リヤウインド越しに見えてたぞ」
「俺も見たぞ!ずっとあんたの方を見てたぞ」
「まさか!どこにそんな子がいるんだ?」
一同、沈黙…。
そういえば車のヒーターが強にしても、ちっともきかなくて寒かったよナ。助
手席に置いてたマフラーをまいた時、氷のようにつめたかったっけ…。
…俺ってどこの誰とドライブしたんだろ?

○私が小学生の頃の話です。夏休みに学校で、宿泊学習がありました。夜には
校舎を使った肝試しがあり、先生と父兄の方がお化け役でした。
 肝試しが終わり、皆で『怖かったね〜』などと話をしていた時、どの先生が
どの教室にいたという話になり、私の直前に出発した子が、『A先生は図書室
にいたよね』と言うので、私はドキっとしました。前の子が図書室へ着いたで
あろう時間帯に、私はA先生と職員室の前で話をしたのです。
 図書室と職員室の距離を考えると、前の子と私が、どちらもA先生を見る事
は、物理的に不可能です。「別の先生じゃないの?」と聞きましたが、前の子
は、話はしなかったが、しっかりA先生の顔を見たと言います。
 怖くなって他のクラスメートにも確かめました。すると職員室と言う子と、
図書室と言う子と、一切見なかったと言う子が約同数でした。図書室で見たと
言う子は皆、誰一人としてA先生とは喋ってはおらず、見ただけだそうです。
しかし皆顔はハッキリ見たそうです。
 先生に確認すると、A先生本人は「放送室(入り口が職員室の中)で効果音
の担当をしていた」とのこと。
 また他のどの先生、父兄に聞いても、「図書室には誰もいなかった」と言い
ます。私も含めて、職員室の前でA先生に会った子は図書室では何も見なかっ
たそうです。
 A先生は臨時教員であった為、間もなく学校を去りました。A先生のその後
は誰も知りません。今もどこかで、何事も無く、お元気でいらっしゃる事を願
っています。


○もう10年以上前になりますが、独身時代、女友達3人連れでイタリア旅行に
出かけました。
たしかローマ市内だったと思うのですが、別名「骸骨寺」と呼ばれる寺院のよ
うなところを観光しました。
そこはその名の通り、建物の一部に多くの人骨を使って建ててある薄気味の悪
いところでした。
一通り見物を終えて建物を出ようとした時、出口付近にいた係りの人(黒い修
道士のような服を着た男性)に、なぜか私だけ呼び止められました。
他の二人はまるで無視していろいろ話してくるのですが、言葉がわからず
「??」
と首を捻っていると、何か紙を手渡されました。
見ると、日本語で詩のようなものが書いてあり、その内容は「生まれて来れな
かった赤ちゃん(水子)の魂の叫び」のようなものであり、ちょっとゾッとし
ました。
実は他の二人にも言ってませんが、私は中絶した事があったんです。あの男の
人はそれを見抜いていたのでしょうか?
そこは日本語のガイドブックにも載っている所なので、他にも沢山の日本人観
光客が訪れているはずです。
他にどなたかそんなものをもらったという方いませんか…?


○昨年の暮れに88歳の我が家のおじいさんが急逝しました。何週間か過ぎ二
階の廊下で洗濯物を干していると、一階から杖をつく足音が聞こえました。長
年聞きなれた音ですので、その時は「おじいさんか、おばあさんのどちらかが
トイレにでも行くのだろう」と気にもとめませんでした。ずっと二人とも家の
中でも杖をついて歩いていましたので。
 でも一瞬の間を置いてすぐに気がつきました。おじいさんはもう亡くなって
いたし、おばあさんは入院中だったことに気がついたのです。「うっそー」と
思って一階にかけ下りてみましたが、もちろん誰もいません。
 そんなことがあって、今年の5月に古く、汚くなっていた先祖代々のお墓を
新しくしました。
 新しい墓石の前でご住職に開眼のお経をあげていただいた後、おじいさんの
納骨をすませ、ご住職にお布施も渡さなければならないので、その後庫裏で休
ませていただいてました。ご住職の奥様がお茶を持って部屋に入ってこられた、
その時です。
 建具という建具の全て、襖から障子戸、茶たんすのガラスの戸までがガタガ
タと順番に音をたてたのです。その建具の揺れる大きな音はすさまじい速さで
(10秒から15秒間で)お寺中をかけまわったという感じでした。
 お寺から帰り、「すごい地震があったね」と周りの人に聞いてもそんな時間
に地震は無かったと言われました。そういえば私も揺れは感じなかったのです。
 4月1日にお医者様に「あと2〜3日の命」と言われたおばあさんは4ヶ月
以上経った今でも、まだ入院中です。
 家での足音ははおばあさんの生霊で、お寺での建具の音はご先祖やおじいさ
んが新しいお墓を喜んでくれたあかしだったのでしょうか?
 ちなみに、おばあさんはその後、頭だけが先にあの世に行ったようで、今は
自分の家族も理解できていない寝たきり状態です。(まさ)


○あれは、私がまだ小学校低学年のころでした。徒歩20分の距離を歩いてお
けいこに通っていた時の出来事です。
 寒い冬は、日没も早く5時を過ぎるとあたりはうす暗く、人通りもまばらで、
毎週一人で通うのは正直とても心細かったのを覚えています。その日も、おけ
いこを終えて一人で家までうす暗い道を歩いていました。
 すると前から長い髪の女の人が、赤ちゃんを抱っこして歩いてくるのが見え
ました。寒い日だったので赤ちゃんは足付きのカバーオールを着て手袋をして
帽子をかぶっていました。私は赤ちゃんの顔が見たくて、すれ違う時にそっと
赤ちゃんの顔を覗き込みました。
 しかし、赤ちゃんの首から上が全くなかったんです。ただ帽子があるだけで、
抜け殻のようになっているんです。
 何がなんだか分からず驚いた私は、その赤ちゃんを抱っこしている女の人の
顔を見ました。そしたら、その女の人がとても恐ろしい顔で私を睨んでいたん
です。
これを読んで皆さんはどう思われますか?あの時はタダ、顔がなかったことの
驚きと、女の人の恐ろしい顔が忘れられなくて、おけいこの帰りその道を通る
たび「また会ったらどうしよう」という思いでいっぱいでしたが、大人になり
子供も産んだ今、何かの不幸で子供を失ったかわいそうな女の人だったのかも
と、私は思うのですが…。


○もう10年ちかく前になるんですが、高校生だったころの話です。
 当時は毎日のように部活で、音楽室に入り浸りの生活だったんです。4階に
あった音楽室は板張りの階段教室で人があるくとぎしぎしと床がきしんだもの
でした。(校舎はちゃんとした鉄筋コンクリート造りです、念のため)
 ある日練習もひと息ついて椅子に座っていると、だれかがぎしぎし歩いてい
る音がします。でも。見渡してもだれも立ってないんです。足音は教室を何周
かまわって、いつのまにか消えましたが、はっきりどの辺を歩いてるかわかる
くらい明確な足音でした。その場に居合わせた全員が聞いてたんで間違いはな
いんですが・・・。
 後日。入学する4年くらい前に学校で自殺した生徒がいて、その方が飛び降
りたのが音楽室前の廊下付近じゃないかっていわれてることを聞きました。死
体は音楽室下の裏庭で発見されたそうで、当時はマスコミが押しかけてきてか
なり大騒ぎだったとか・・・。
 そういえば、音楽室前の廊下って夏でもほかの廊下より涼しくて快適だった
な・・・。音楽室のクーラーのせいだとおもってたけど、朝一番で音楽室にだ
れもいないときから涼しいのはへんだよなぁ、って気づいたのはその時でした。

○先日、親戚のおじさんが亡くなり葬儀がありました。
父と母が行きましたが、私は行きませんでした。
寝泊まりは離れの私が朝食を食べに家に行くと母は、
「一昨日、小父さんが来たよ。」
と、一言。
天井を指しながら、
「うるさかったのも、ネズミじゃなかったんだね」
と、母の言葉。
亡くなった日と葬儀の夜と天井裏が騒がしかったらしい。
母の実家は隣が寺で裏手が墓地。
寝泊まりしていた部屋が仏間では、盆などには、仏壇のお金がじゃらじゃら鳴
るだの、備えてある果物が落ちるだのあってなれているらしい。
そんな母の言葉に、何の疑問も持たずに納得した私。
「親父は怖がるから言っていないけどね。」
その一言に笑ってしまいましたが、私なら良かったのでございましょうか?お
かーさま・・・。(雪白)

○霊感の強い友人と、霊感スポットにドライブに行ったときのこと。友人が、
「何だか胸騒ぎがする」と言い始めたので、車を止めよく見ると、前方にお地
蔵さんがあった。友人はいきなり「お地蔵さんにあいさつしてくる…」と、車
を降りて行った。帰ってきた彼女は、何だかすっきりしたような笑顔。お地蔵
さんが「気をつけていきなさいよ」と言ってくれたらしい。
霧が出始めた暗闇をしばらく走っていると、友人が急に、「止めてーっ!!」
と叫んだ。あまりの悲鳴に驚き、半分スピンして止まった。お地蔵さんの時と
同じ、胸騒ぎがしたらしい。そして、次の瞬間、背筋がゾッとした。よく見る
と前方は、ガードレールのない断崖絶壁だったのだ。このまま走っていたら転
落していたかと思うと恐くなり、引き返すことにした。
帰り道、友人が例のお地蔵さんにお礼を言ってくるというので、車を止めて、
一緒に降りた。お地蔵さんに手を合わせた帰り道、友人はかすかに震えていた。
「お地蔵さん、助けてくれてありがとうって言ったらね、お地蔵さんがこう言
ったの…」
『死ねばよかったのに』

○日曜日も部活の顧問で登校していた友人に会うために、彼の勤める高校に行
ったときのことです。
 少し早めに着いた私に、友人が「待つ間、校内を見学してれば?」と勧める
ので、休日とあって人けのない校舎内を歩き回ったのです。
 1階を見終り2階に上がると、職員室のある廊下を過ぎて角を曲がったとこ
ろからが1年の教室でした。1組2組と見て回り、3組の引き戸を開けたとき
でした。奥の窓際に、3人の人影があったのです。その高校の制服を着たショ
ートカットの女の子、白いスーツを着た中年女性、グレーのスーツ姿の中年男
性でした。三人は親子のように見えました。
 なんで日曜日に教室に親子が?
 怪訝に思って見ている私の目の前で、三人は一瞬のうちにかき消えたのです。
そこでようやく、幽霊だと気付きました。
 もともと霊を見る体質の私ですが、生きている人間と霊の区別というのは意
外とつきにくく、消えるとか、影がないとか、向こう側が透けて見えるとかい
うことに気付くまで、それと判らないことが多いのです。
 あとで友人に聞いたところでは、何年か前に、その高校の入学式に車で向か
っていた親子三人が、その途中で事故死したことがあったそうで(女の子のは
いる予定だったクラスが3組だったのかまでは判らないけれど)私が見たのは
その親子ではないか、ということでした。
 希望に満ちた高校生活の初日に亡くなった女の子やご両親の無念を思うと、
怖いというより、かわいそうでならない霊たちでした。

○今日まで友達と2人で京都旅行に出かけていました。夕べ、京都市内のとあ
るシティホテルに宿泊し、ツインのベッドに寝そべって2人でおしゃべりして
いたところ、突然バスルームの中から、トトントントトンと何かを叩く明瞭な
音が・・・。友達の「あれ何?」という言葉に、「地震で揺れて何か当たった
のよ」と答えて速報ニュースが入らないかとテレビのスイッチをつけた私。後
から友達に「あんまり自信満々に言うから、納得してしまったよ」と笑われま
した。まったく揺れは感じなかったし、バスルームの中に音が鳴りそうなもの
もなかったのに・・・。その後は何事も起こりませんでした。霊だったとして
も、あまりの鈍さに、これはダメだとどこかに行ってしまったものと思われま
す。(激ニブ)


○5年半ほど住んでいるアパートで、妙な体験をしました。2年ほど前、和室
で寝ていると部屋の隅(頭の左側)に5才くらいの女の子が座っている気配が
するのです。体は金縛りのようになっていて動けないのですが、着物を着てお
かっぱ頭だと言う事も“見える”のです。別に恐くはなかったので、その時は
座敷わらしかなと思いました。最近では自分には霊感がないので夢かもと思っ
ていたのです。先日、友人が5人、ウチに泊りに来たときにちょっと怪談話っ
ぽくこの話をしたら、Mちゃんがじっと私を見て、
「だからさっきから頭を触られてる感じがするんだ…」
この時の方が恐かったです。(もえりーの)



○林間学校での出来事。夜、友達の家へ携帯から電話をかけようとしたら「圏
外」の表示。その日は曇り空が続き、夜になると雨が降ってきていた。俺は仕
方なく、ちょっと離れたトイレの近くにある公衆電話を使う事にした。しかし、
公衆電話はすでに人が使っていた。その人が使い終わるのを待っていたがなか
なか電話を切ろうとしない。しびれをきらした俺はその人に近寄って、文句の
一つや二つ言ってやろうと思った。だが、よく見ると様子がおかしい。なんだ
かぶつぶつ言っている。近寄って何を言っているのかよく聞いてみた。
「ダイヤルして下さい、ダイヤルして下さい、ダイヤルして下さい」
と繰り返し言っていたのだ。そしてその人の体をよく見てみると…片腕がない
のだ!一本しかない腕で受話器を持っているから、ボタンが押せないでいたの
だった。その人の腕の付け根からは血がしたたり落ちていた。そして俺と目が
合った。おれはあわてて無我夢中で自分の部屋へかけ戻った。
あとからその林間学校の管理人さんから聞いた話によると、何年か前、この林
間学校を利用した生徒が登山中に落石にあい、崖から転落、さらに上から落ち
てきた石によって腕がつぶれたのだった。そして、誰からも発見される事なく
失血死してしまった。だから、今でも事故現場に一番近いその公衆電話にその
生徒は現れ自分で救急車を呼ぼうとしているらしい。
林間学校に行ったら公衆電話にご注意を…


○高校時代に体験した出来事です。勉強のためということでプレハブの離れを
作ってもらいました。そこに住むようになってから、体の調子が悪くなってき
ました。腰から下が非常に痛くなってくるのです。近くの市立病院に何度も通
院し、いろいろ検査をしましたが、原因がわかりません。レントゲンをとって
も、血液検査をしても医者は首を横に振るばかりです。
離れは、深夜になると、床底から奇妙なうめき声に似た音がします。朝まで眠
れないこともありました。
最初は冗談だと思っていた親も、真剣に考えてくれるようになり、祈祷師を招
いてくれました。祈祷師が到着し一言、
「このプレハブが立っている場所は、方位学でいう鬼門にあたります。息子さ
んが調子悪い部分は腰ではありませんか?」
この瞬間、親子共々目が点になりました。そして、プレハブの四隅にお清めの
塩を撒き、3日間お祈りの儀式が行われました。不思議なことに、4日目から、
調子の悪かった腰痛も治り、通院生活もなくなりました。
その後、自分が結婚することになり、お祓いをしてもらった離れから出るとき
がやってきました。代わりに妹がその離れに住むことになりました。恐怖体験
は引越したその日に妹に起こりました。
引越し当日ということもあり、友達が泊まることになったのです。深夜2時過
ぎ、「ボー!ボー!」という音で妹とその友達は起きました。「なに?なんの
音?」見ると、ドライヤーのスイッチが入っているではありませんか。「まっ
たく〜足で蹴ったでしょ!」コンセントを抜こうとしたその瞬間、二人は声を
無くしました。ドライヤーのコードはコンセントに刺さっていなかったのです。
「ちっと、まってよ。なんで?」気味が悪くなり、朝方まで起きていることに
しました。しかし、4時を過ぎた辺りで急に眠気に襲われます。2人とも熟睡
してしまいました。次の悲劇は4:30過ぎに起こりました。妹の足を誰かが
触っているのです。「ちょっと、やめてよ!」ベットの下を見ると、友達が寝
ています。足を触っている手は、足元の鏡から出ているのです。「きゃー、助
けて!」その声で友達も起きたそうです。その瞬間、鏡から出てた手は消えて
なくなりました。でも、妹の足には、はっきりと手の跡があったそうです。

○妹がまだ小学生の頃、私たちには見えない何かが見えるらしく、時々ひきつ
けを起こしたり、寒気を感じてぶるぶる震えていたりしておりました。ある日
二人で帰宅途中家の前まできた途端、妹が「お姉ちゃん駄目!」と言って手を
引っ張るのです。又出たんだな〜と思い「どこ?」と聞くと、「今日のは凄い
怖い、駄目見ちゃ!女の人、足もない、道を渡ってるの」。おずおずその方向
を見ると…私には道を横断する一匹の虫が見えたのです。その虫はアゲハ蝶の
幼虫のような形をしていますが大きさは、人間の手のひら…。その虫が「おい
でおいで」をしているように見えたのです。瞬時に妹の手を引き走って逃げま
したが、振り向くと虫の姿はどこにもありませんでした。
 
○5〜6年前の夏の朝、いつものように車で出勤する途中のことでした。
何気なくバックミラーを見ると、後ろに黒い軽自動車が走っていました。ダッ
シュボードにぬいぐるみをいっぱい飾った、いかにも若い女の子の乗っている
車です。しかし運転席に乗っている人の顔が見えません。不思議に思ったけれ
ども、よく見るとフロントガラスを除いて全面に濃いスモークを貼っています。
天気もあまりよくなかったのでそのせいだと思いまたしばらく走りました。も
う一度バックミラーを見ると、その車はまだわたしの後ろを走っています。
「ん!?」その車の後部座席にかなりハッキリと男の顔が見えます。運転席の人
の顔が見えないのに何で?と思い、信号待ちで停まったときにじっと見ると、
やはり男の顔が後部座席に見えます。またしばらく走ると道は二車線になり、
わたしはその車と並びました。横を見るとスモークガラスを貼った後部座席に
やはり男の横顔が見えます。その後交通の流れでわたしはその車より50メート
ルほど先へ出ました。そのとき、後方で大きな衝突音。バックミラーには白煙
が見えました。翌朝の新聞で、車を満載したキャリアカーが軽自動車に追突し、
軽自動車はそのまま前を走っていた大型トラックとの間に挟まれ、19歳の女性
とキャリアカーの運転手が死亡したとのこと。他に怪我人はいないらしい。す
るとあの後部座席に乗っていた男は?

○甥が3歳くらいの頃、父親と一緒に横断歩道で信号待ちをしていました。甥
は「パパ、どうしてあの人は顔がないの?」と聞きました。父親はえっ?と思
い「どの人?」と聞くと「あそこの車の後ろに立っている女の人。何で顔が無
いのかなぁ?」と言います。が、もちろん車の側には誰もいません。子供には
見えるんですかねぇ。

○今は定年退職した父、昔トラックの運転手をしていました。夜中も山道を走
ったりしてたのですが、ある夜のこと、走ってたら寝不足でうつらうつらし始
めたそうです。若さにまかせて山道を走っていたのですが、ふと路肩を見ると、
子供の頭が道にずらっと並んでるのが目に入ってあわてて車を止めたそうです。
すっかり目が覚めてよく見てみると、子供の頭ではなく石が並んでて、その下
は崖だったのです。怖い思いはしたけど命を落とさなくて良かったです。


○私が5歳くらいの時、昼寝のしすぎで夜眠れなくなってしまい、ふと枕元に
並べていた人形を見ると、みんなペチャクチャ喋っていました。怖くなってお
風呂場にいたお母さんに助けを求めに行くと、「そりゃ人形だって喋りたいこ
ともあるやろ」。幼かった私は妙に納得し、小学校高学年くらいまで人形が喋
るのはフツーのことだと思って、時折夜中に目を覚ましては人形が喋ったり動
いたりするのを眺めていました。今考えると、ゾーッッ!!

○車を買い換えようとした友人がヤミ市(いわゆるちゃんとした中古車屋とか
市場に出まわる前の裏販売)ですっごく気に入ってしまった車を購入したそう
です。ある晩カップルでドライブしていた時の信号待ちでちょうど発進した時
の事、サイドミラーというか自分の右に何かの気配を感じたそうです。別に気
にも留めないでそのまま走行し、また信号待ちで停止した時やはり自分の右隣
に気配が…な、なんと小学生低学年くらいの男の子が立っていたんです。こん
な遅くにこんなところで子供が!?と信号は青に変わり発進しました。次の信
号で止まった時、また同じ男の子がいて『ボクーこの車にはねられたんだー』
と口を開いたそうです。ヤミ市ではまだタイヤに血のりや髪の毛がついている
モノもあるそうですので、そういった車はたとえ気に入ってしまってもやめて
おいた方がいいと思います。






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