ユネスコ無形文化遺産
日立風流物
日立市が誇る郷土芸能「日立風流物」が、
昨年12月に日本の「山・鉾・屋台行事(やま・ほこ・やたいぎょうじ)」33件の一つとして、
改めてユネスコ無形文化遺産になりました。
今回は、3人の子ども通信員の皆さんが、ユネスコ無形文化遺産として、人類の宝となった日立風流物を取材しました。
日立風流物の模型をバックに、左から日立郷土芸能保存会会長・水庭久勝さん、
子ども通信員の金田虎汰郎さん、菊池真香さん、國安真理亜さんと、郷土博物館の片山主幹
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昨年の日立さくらまつりで公開された日立風流物 |
日立風流物について知ろう!!
日立風流物って?
神峰(かみね)神社の祭礼(さいれい)に氏子(うじこ)たちによって奉納(ほうのう)された山車(だし)で、
5段の屋形(やかた)が開閉し、からくり人形の芝居(しばい)が繰り広げられる民俗芸能(みんぞくげいのう)です。
山車は、表山(おもてやま)と"裏山(うしろやま)がダイナミックに回転しながら入れ替わり、それぞれの舞台(ぶたい)が披露(ひろう)されます。
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北町の山車(表山) | 北町の山車(裏山) |
いつからあるの?
今から322年前の1695年に、水戸黄門徳川光圀(とくがわみつくに)の命令によって始まったと言われています。
大きさや重さはどのくらい?
高さおよそ15メートル、重さはおよそ5トン!山車を動かすときは、200人ほどの力が必要です。
何台あるの?
宮田の四町(東町、北町、本町、西町)に1台ずつあり、全部で4台あります。
1台ごとにからくり人形や物語などの違いがあります。
どこで見られるの?
7年に一度行われる神峰神社の大祭礼で4台全(すべ)ての山車を見ることができ、
次回は、2019年に行われます。また、毎年4月には、「日立さくらまつり」で、
1台が公開されます。山車の迫力(はくりょく)や、人形を操(あやつ)る人の巧(たく)みな技によるからくり人形の動きを、ぜひご覧ください!!
取材を終えて…
子ども通信員の感想
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郷土の誇り 日立風流物 |
僕は、風流物の取材をして、2つのことに驚きました。
1つは人形の操作についてです。「早返り」といって人形の上下を逆転させ、ちがう人形にかえる操作を体験してみましたが、
その仕組みにはとても驚きました。さらに、ひもが重いため、うでを上にあげるのにも力がいりました。
これを寝ながらやると聞いたときは、すごくうでの力がいるので大変だなと思いました。
2つ目は、山車についてです。僕は、山車は1台だけだと思っていましたが、市内になんと4台もあるということでした。
そのすべてがちがう演目だということにも驚きました。
僕は、この取材を通して日立の伝統文化に、じかにふれ、郷土日立をとても誇りに思いました。
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助川小学校6年 金田虎汰郎(かねだこたろう)さん |
未来につなぎたい、たいせつなまちの文化
今まであまり興味関心を持たず見ていた日立風流物。しかし今回の取材を通し見方が変わりました。
江戸時代から伝わる風流物も戦争で大きな被害があり、それでも取りもどしたいという強い気持ちを持った人々がいなければ、
現代の日立風流物は、存在しなかったのではないかと思いました。
一番印象的だったことは、からくり人形操作体験です。実際に動かすことによって、山車の上で操作する難しさを知ることが出来ました。
「大変だけど、祭りは参加しないと楽しくない」と会長さんは言っていました。
私も地域の行事に積極的に参加し、まちの文化をもっと知りたいです。
そしてユネスコ文化遺産に登録された日立風流物も多くの人々に知ってもらい、
私たちが未来に残していかなければと思いました。
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諏訪小学校6年 菊池真香(きくちまなか)さん |
長い歴史を持つ 日立風流物
私は今回、日立風流物について2人の方からお話を伺いました。
日立風流物は江戸時代ごろから始まったといわれていますが、正確には不明です。
今のように山車を使い人形芝居を始めたのは、約300年前の享保年間といわれているそうです。
山車の上には表山、裏山合わせて25体前後の人形が乗ります。
人形の操作体験では、手や首などを動かすための糸が何本もあり、難しそうだと思いました。
実際に動かすときにはどれを引けばよいのか迷いましたが、うまく動いたときには嬉しかったです。
一度は戦争の影響により山車が焼ける被害がありました。
そのようなことがあっても受けつがれていることはすごいと思います。
これからも、この日立風流物を受けついでいってほしいです。
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油縄子小学校6年 國安真理亜(くにやすまりあ)さん |
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