45.鹿島神社(大久保)
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拝殿正面 | 分社(八幡、熊野、須賀) | 駒つなぎのイチョウ | 忠魂碑 |

創立は大宝元年(701)4月7日と伝えられ、祭神は武甕槌命(タケミカツチノミコト)です。延暦20年(801)、坂上田村麿が蝦夷討伐のとき戦捷を祈願し、大同元年(806)に大願成就をしたので神殿を寄進したとの伝説があります。
拝殿前には文化13年(1816)に奉献された常夜灯があり、大久保村の有志の他に、河原子、下孫、遠くは久慈、府中(石岡)在住の人々の名が連ねてあり、当時のこの鹿島神社の崇敬者が遠方にもあったことが分ります。
鎌倉幕府の記録、吾妻鏡によると、源頼朝が常陸一宮として、鹿島神宮に戦捷祈願のため神領として寄進した地域として、常陸の国世谷(常陸太田・世矢)、大窪(大久保)、塩浜(河原子)とあります。この土地が選ばれたのは古くから東北地方に下る武将が祈願のため立ち寄っていたからといわれています。大窪からは米、塩浜からは塩が奉納されていました。
境内には坂上田村麿が立ち寄ったときに使用したの伝説の有る「駒つなぎのイチョウ」があり、県の天然記念物に指定されています。樹齢は550年くらいと言われています。
さらに、境内には多くの全国各地の神社の分社があります。遠出が出来ない人のために寄進されたようです。大正6年に建立された忠魂碑があります。学校の横にあったものが終戦後ここに移設されたそうです。西南の役から第1次世界大戦までに戦没された近隣の方、二百数十名の名前が刻まれています。
鹿島神社は日立7社として、大久保の他、下孫、成沢、助川、会瀬、石名坂、制矢が有ります。

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