42.日鉱記念館


日鉱記念館本館

浮選機等の展示

栃原金山入口

坑内の様子

地球の歴史』コーナー

金7,920g/tの金銀鉱 (菱刈鉱山産)

入坑口(通洞坑)

あかがね資料館

資料室の展示

採掘場跡への入口

和同開珎のモニュメント

和銅製錬所発掘地




所在地:日立市宮田町3585

(本館)日本鉱業発展の歴史、日立鉱山や他の日本鉱業が所有した鉱山の鉱石等展示、友子取立式で使用した道具の展示、日本鉱業の事業展開等、地下にはモデル坑道
(別館)採鉱、選鉱関連の道具、機械を多数展示(浮遊選鉱機、磁力選鉱機、コニカルボールミル、450馬力コンプレッサー、鑿岩機)、国内外の鉱石、岩石の展示
(屋外)旧久原本部(県指定文化財)、塵外堂、第一竪坑(巻室、竪坑ケージなどの付随施設も保存)、第十一竪坑、栄斜坑



日立鉱山のあゆみ
明治38年久原房之助(くはらふさのすけ)が日立鉱山を創業する。
明治39年 久原房之助が小平浪平(おだいらなみへい)を日立鉱山に招き、機械修理や開発を任せる。
明治40年 中里発電所が送電を開始。製錬所で使用する機械の電化が進む。
明治40年中里発電所が送電を開始。製錬所で使用する機械の電化が進む。
明治41年 大雄院(だいおういん)に大規模な製錬所を開設。銅の生産量が飛躍的に増加する。
このころから、鉱山周辺の村に煙害が拡大する。
明治43年小平浪平が5馬力モーターを開発する(大正9年に独立。日立製作所の創業となる)。
明治44年 煙害が特に激しい入四間(いりしけん)地区で、関右馬之允(せきうまのじょう)が代表となり住民運動を開始。
日立鉱山とともに被害の実測や農業技術の検討などを行う。
大正4年大煙突が完成。煙害が激減する。大規模な植林事業を展開。大島桜は昭和6年までに260万本を植林する。
大正6年 共楽館を開場。この年、銅(国内の34%)、金・銀とも全国第1位の生産量を記録する。  
大島桜の苗木に接ぎ木して育てた約2,000本の染井吉野を、学校や道路などに植林する。
昭和19年軍需景気により、従業員数が 7,835人とピークに達する。
昭和56年鉱石量が減少し、日立鉱山が閉山する。
平成5年大煙突が地上57mを残し、倒壊(とうかい)する。


大正6年ごろの大煙突。大煙突の下にだるま煙突、
左端に神峰山の尾根をはうムカデ煙道が 見えます。


 
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