五社堂は赤神神社の本殿とされており、中央堂に主神として赤神を祀ったので、赤神神社の名称になったとされています。
建保四年(1216)別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に配祀されたとされています。
各堂の名称は向かって左から、「十禅師堂」「八王子堂」「中堂」「客人(まろうど)権現堂」「三の宮堂」と呼称されています。
また、この五社堂は建立、再建、修理の年代がよく解るため、近世社寺建築の編年上重要な建物とされております。
現存の五棟の社殿は江戸時代の中ごろ(1710年宝永7年)に建てられたもので、向拝、屋根、柱、組み物などに珍しい 工夫がみられます。
平成10年10月1日より3年6ヶ月、平成の大修理が行われました。 |