道草盲点、


分数のヨコ棒と比の記号を一緒にすると÷になる。 たぶんそういうつもりで使われた記号だと思う。

1/2回転のメビウスの帯を中心線できってできるひとつながりの帯は2回転(雑誌の記事からの引用)。 1/2回転ずつが2つなので全体として1回転、というのはマチガイ ということ。

横のつく言葉はたくさんあるケド縦がつく言葉はそれに比べるとガクッと少ない。

チキンカレーにソースをかけるとマズくなる。

中学で習う円の性質を球に帰納的に一般化するのは どいうわけかやられてない。

大多数の数学者は 割り算の筆算をちゃんと(スムーズに)説明できない。

千春、千夏、千秋は けっこーいるのに、千冬はあんまりいない。
冬美、春美は多い。夏美もたまにいる。 しかし 秋美はあんまりきかない。

ベクトル(数を線分状に並べたモノ)が行列(数を長方形状に並べたモノ)の 特別なもの と書いてある本は多いが 行列はベクトルの特別なもの(成分がベクトル) と書いてある本は見たことがない。

バラ色の人生とかいうときのバラ色 っていうのはそもそも存在しない。 ピンクのバラの色。

ヒマとかルーズ(だらしない、無頓着)というのは 立派な才能である。
プー太郎、ルーズソックス おそるべし。

小気味がいいのとぶっきらぼうなのは 紙一重である。

品がない とは 由緒正しくない ということである。

理系のヒトの最大の特徴はスットンキョウなこと。 それも業(ごう)だから しかたがないといえばしかたがない。

この作品にはつまらないおもしろさがある、とかいえばやってけるのが 評論家という 職業だ。

「趣味なんかもたない」 というのもリッパな趣味である。

イカニモというのが一番アヤシイ。

だれでも天才である。そこまでは正しい。そこからが問題だ。

一般社会では 実力より熱意のほうがより評価される。

学問をするムズカシサは子供のこころをもちながらもいい意味で大人であらねばならぬということである。

集合と集合の比較から差、そして和(=差を足した結果)。 集合の分割および重ねあわせから商、そして積(=商を掛けた結果)。 通常の論理的順序とは逆である。

画期的なアイデアというのは同時代の「専門家」からみると 幼稚で洗練されてないようにみえる。

プロであるかアマであるかは適性以外のなにものでもない。

マジメさは美徳だが生マジメさは悪徳である。

いろんな事を知っている、博学である、というのは特定の問題意識やイマジネーションの欠如であることが多い。

グラフ理論で、ツリーについて (頂点数) - (辺数) = 1、 というのは一種の植木算である。
よって、グラフ理論の起源はオイラーによる一筆書きの定理ではなく、実は「植木算」である。

真のグルメとは自分に合った粗食を見出すことである。 NEW




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