三輪車でランディングに失敗 | |
日時 | 小学校5年生の夏の終わりの夕方5時ごろだった。 |
使用マシン | 妹の三輪車(スチールフレーム) |
ギャラリー | 数人の友人 |
事故現場 | 家から200mほど行った場所の坂道 |
失ったもの | 妹の三輪車 |
得たもの | 三輪車のフロントフォーク限界の低さを知った。 |
発生時の状況 | 私は近所の友達と一緒に遊んでいた。そこでなぜか、三輪車でバニーホップしてマンホールを飛び越えることが出来るか?というすばらしい遊びを思いつき早速家に帰り妹に内緒で三輪車を持ち出した。
確か3回目ぐらいだっただろうか、テイクオフはきれいに決まったのだが,ランディング時にフロントから行ってしまったため、瞬時にフロントフォークへ過大な負荷がかかった。 フロントフォークは強度の限界点を超え後輪側に曲がった。このことにより、フロントタイヤがロック,その時タイヤはグリップを失わなかった。ホイルベースが短い三輪車は運動のエネルギーを前転という形に変えた。私は三輪車から投げ出され、アスファルトに顔面からランディングした。 顔面と口の中から血をたらしながら、壊れた三輪車を片手に家に帰った。家に帰り病院に連れて行かれ口の中を2針縫った。親にしかられたのは言うまでもないが、妹にもあきれられた。 |
怪我 | 打ち身。擦過傷。口の中を3はり縫った。 |
ママチャリでランディングに失敗 | |
日時 | 小学校6年生の頃 |
使用マシン | ママチャリ(スチールフレーム) |
ギャラリー | 数人の友人 |
事故現場 | 小学校の裏の広場 |
失ったもの
壊したもの |
ママチャリ1台 |
得たもの
学んだもの |
フロントフォークの(キャスター)角度が変わると走安性に非常に違いが出ること。
ママチャリフレームの強度限界 |
発生時の状況 | 小学校での授業が終わり、家に戻ってから友達と自転車でジャンプごっこをやることに決定。いつものジャンプ台ではつまらないので、特大ジャンプ台を作ろうということになり、斜度約20度、跳び出し位置地上高約1mのジャンプ台をベンチと足場板で作った。
何回か跳んだ。遊んでいるうち夢中になり、結構な速度で跳ぶようになっていた。 跳んだ!しかし失敗ジャンプだった。飛び出し時に失敗し、空中姿勢が崩れ前後輪同時に着地した。すると全体重がペダル,そしてクランクの回転中心にかかった。次の瞬間、嫌な柔らかさが足から脳に伝わった。そう着地の衝撃をフレームが曲がる事によって吸収したのであった。フレームは一発できれいに曲がった。帰り私の自転車はペダルの位置が下がり、フロントフォークが前に突き出した形になっていた。 家に帰りさすがにジャンプごっこで壊したとは報告できないので、「よそ見してたら電柱にぶつかって壊れた」と報告した。 |
怪我 | なし |
スラローム | |
日時 | 高校2年の5月 |
使用マシン | ママチャリ(スチールフレーム) |
ギャラリー | 数人の自然科学部員 |
事故現場 | 学校から約1000mほど行った場所の平坦路 |
失ったもの
壊したもの |
制服が破けた |
得たもの
学んだもの |
スラローム走行時におけるママチャリのタイヤの限界。
自然科学部員のカメラに対する愛。 |
発生時の状況 | 次の日は、毎年恒例の高尾山めぐりであった。自然科学部は、もてる装備の全てを結集し「実録高尾山」を撮ることにした。その為、ママチャリの籠にはビデオカメラが積んであった為、フロントがかなりヘビーになっていた。
自然科学部の友達と一緒に八王子駅に向かっていた(帰る途中)。とある川沿いの道に直径約50mm長さ600mmほどのプラスチックの棒が道路に何本か生えていた。そういうものを見ると人間はスラロームをしたくなる動物なのである。私の番がきた、今日のママチャリはフロントヘビーだということをすっかり忘れ、スラロームに興じ始めた。何本かクリアした後、その悲劇は起こった。 フロントタイヤがグリップを失った!次の瞬間、なすすべなく転倒。私の体が前に落ちていきそうになったので、手をついて難は逃れた。しかし大きく手を前に出したことにより、制服のわきの部分が耐えきれずに裂けた。 転倒後、私の周りには自然科学部員達がすぐに来て、お約束どおり「ビデオカメラは大丈夫?」となり、私の体を心配するものはいなかった。 次の日無事に実録高尾山を収録。しかしそこには、カメラを持ったままの転倒など、激しい映像が多く、後日タイトルを「激録高尾山」に変更した。 |
怪我 | 擦過傷 |
商店街滑走 | |
日時 | 高校2年の6月 |
使用マシン | ママチャリ(スチールフレーム) |
ギャラリー | 数人の自然科学部員 |
事故現場 | 八王子の国道20号沿いの、商店街のアーケード |
失ったもの
壊したもの |
特になし |
得たもの
学んだもの |
低ミュー路面におけるママチャリの、スリップ後の挙動。
遊びすぎるとろくなことにならない。 アーケードのタイルは,人間も結構すべる、そして止まらない。 |
発生時の状況 | 雨の日は、いつもとは違うルートで八王子駅に向かっていた。アーケードには屋根がついているので良く通った。しかしアーケードのタイルは濡れて、非常に滑りやすくなってるのである。
その日も雨だったので、自然科学部の友達と一緒に八王子駅に行くのに、アーケードを通ることにした。路面がタイルになった時、皆で後輪タイヤをロックさせ、けつを振り遊んでいた。そんな事をしている時だった,私のママチャリが横を向きすぎたと思ったので、リアブレーキをリリースした。しかしリアタイヤがグリップを取り戻すことはなかった。そのまま自転車は真横になり、足を出し、倒れまいと努力を試みた。しかし、今度はフロントタイヤもグリップを失い、私は自転車から落ちた。正確に言うと自転車を突き放した。 自転車と私は雨のアーケードを10m前後滑走した時やっと止まった。私は,4つんばいで後ろ向きに滑っていった、かなり恥ずかしい滑り方であった。怪我こそたいしたしなかったが、恥ずかしかったので心に傷を負ったかも? |
怪我 | 擦過傷・打ち身 |
右直 | |
日時 | 大学1年の2月ごろ |
使用マシン | KR250 |
ギャラリー | 渋滞中の環八にいた人たち |
事故現場 | 環状八号線内回り |
失ったもの
壊したもの |
KR250
股間のプライド |
得たもの
学んだもの |
渋滞中に起こる右直事故の起こり方。
テニス合宿参加費用。 |
発生時の状況 | ある土曜の夜、ライトの改造をしたKR250の光軸を暗いところで見たいと思い、学校が終わると環八を羽田へ向けて走った。
土曜の夜の環八は混んでいた、そこをKR250で40Km/h前後の速度ですり抜けながら走っていた。ある交差点に差し掛かった時、私の目に、右折してくる白い乗用車が見えた。フルブレーキングをしたが間に合わず、哀れKRはカローラの助手席に。私の体はとっさにバイクを手放し、右手は助手席のガラスを突き破った。その後地面に着地呆然と立ち尽くした。 救急車で病院に運ばれ軽い治療を受けた。 後日病院を当時勤めていた病院に変更。そこで先生に股間を見てもらうことになった。触診まであって、まだ十代だった私は、かなり恥ずかしい思いをしたことを覚えている。 |
怪我 | 股間の打撲 |
酔払い運転 | |
日時 | 大学4年の7月20日頃 |
使用マシン | 通勤用チャリンコ(グラスファイバーホイールのママチャリ) |
ギャラリー | 会社帰りのサラリーマン |
事故現場 | 練馬区上石神井駅付近 |
失ったもの
壊したもの |
両親からの信頼
右肩のじんたい |
得たもの
学んだもの |
生命保険の入院給付金
会社の社員割引の有効利用 |
発生時の状況 | 夜、学校が終わり友達と新宿で飲んだ後上石神井に戻った、そこでまっすぐ帰ればいいものを行きつけの居酒屋によってしまった。そこで日本酒を4合のみほした。
その後自転車で颯爽と帰ることにした。しかし自転車がなかなかまっすぐ走らない。そんな事をやっているうちにカーブで何度か転倒、最後に転んだ時に危ないと思いそこからは自転車を押して社宅に帰った。その日はそのまま布団で寝た。 悲劇は次の日の朝突然やってきた。朝起きる、頭が痛いそれは飲みすぎだから仕方ないが、右肩が猛烈に痛い、というか動かない。そんななか私は意を決して電話に向かって進んだ。そこで昨夜一緒に飲んだH君が今日はバイト休みだと言っていたのを思い出し速攻で電話。心やさしい彼は車で迎えにきてくれた。 その後自分が勤める病院へ行った。えらいことになった。まず第一関門はなんとその日当番で看護副部長が救急外来にいたのであった、解らないようにうつむいていたが見つかった。その後診察を受ける、第2の関門はすぐにやってきた「入院だね、オペが必要だよ」の先生の暖かい一言。私はそのとき初めて、やってもーたー、と思った。 次の日私は入院した、そしてオペもしたオペの後「誰が俺にネラトンカテーテルを入れたんだろう」と本筋から離れたどうでもいいことを色々と考えた。退院した。もともとやめる予定だったので有給休暇を全て消化できた。入院費も社員割引だったので生命保険からお金が出ていることを考えると実は入院中に利益を生んでいた。 まーこの先色々あるんですがこの辺にしておきます。 |
怪我 | けんさ関節脱臼 写真(左に写っているのはおふくろです) |
酔払い&こたつ | |
日時 | 1998年5月頃 |
使用マシン | 田舎にあるたどんのこたつ |
ギャラリー | 親戚 |
事故現場 | 島根県仁多郡 |
失ったもの
壊したもの |
親戚からの信頼
会社での評価 |
得たもの
学んだもの |
島根からの帰り運転しないですんだ事
飲んだ後にスナックに行ってはいけないということ |
発生時の状況 | ばあさんの法事で親父の実家(島根)に行った時、法事も無事終わり親戚が集まっていたので当然宴会になる。そこでしこたま飲んだのだが、家の親父様が飲み足らないらしくスナックに行く事になった、そこでも飲んだ、帰ってきて泥酔の私はこたつで寝てしまった、すこしして起こされたので階段を上がり布団に入って寝た。
数時間後私は声にならないうめき声を上げていた、足が燃えるように痛い。お袋が起きてきた、足を見た、すごい事になっていた。そう私はこたつでやけどをしていたのだ。都会の方は解らないかもしれないが、そこのこたつはたどんで暖めている物で、しかも最近子供がいないので網などがなくそのままたどんに触れることが出来る。たどんに足を突っ込んで寝たらしい、その後病院に行き救急外来で診てもらった、その時どうしてこんなひどいやけどをしたのと聞かれ理由を話すとこともあろうに先生と看護婦さんは笑った、まー笑われて当然かもしれない。 後日病院を以前働いていた病院に変更した。出来るだけ知っている人に合わないように伏せていたがすぐばれた、ここでもまだそんな事ばっかりやっているのと言われ、笑われた。くそー誰も俺の事心配してくれないのかよー!その時付き合っていた彼女にだけ心配された。きっと今だと誰も心配してくれないのであろう。 |
怪我 | 足に3度のやけど |
コブ斜でバトル | |
日時 | 2003/12/31 |
使用マシン | フィッシャースラローム用板、チロリアの金具 |
ギャラリー | H君、N君、S君(大田在住) |
事故現場 | 群馬県の○沼高原スキー場 |
失ったもの
壊したもの |
楽しい正月休み
左膝内側側副靭帯 |
得たもの
学んだもの |
沼田の救急病院の場所
コブ斜面で競争してはいけないこと オートマチック車は偉大だ |
発生時の状況
とその後 |
恒例の年末年始スキーで初日の最後にコブ斜でK君が「たまには勝負するべ」見たいな事を言ってきたのだ、最近のおいらなら「勝手にやれば」って感じなのだが、その日は新しく導入したSL用の板が調子よく、気持ちよく滑れていたので受けてしまった。
スタート直後左の板が外れた、そこまではよくあることだが次の瞬間「グボ、グキ」という感じの音が聞こえた気がした。左のブーツがコブに刺さり左足はそこに停止した、しかし慣性の法則に逆らえない重い体は斜面を落下しようとしていた。左膝に応力集中って感じになり転倒。 起きようとした、痛い、痛すぎる、膝が・・・・。停止すること約1分、Guzziは気合で起き上がった、感動的な瞬間だ。左の板を何とか履いた。しかし左の板に乗れない。右足だけなので左旋回しか出来ない。かろうじて緩斜面に到達、その後車までは右足だけで滑ったりして降りた。さすがにパトロールのあのそりに乗る勇気は無かった。 次の日みんなはスキーへ、自分は一人沼田の病院へ行った。しかしおいらのステッピーを出すためにはK君の車が邪魔だった。K君に「車動かして」とお願いした所、恐ろしい一言がK君から発せられた、「はい」と言って車の鍵が渡された。まじかよーマニュアル車を俺に動かせとおっしゃるんですか、仕方ない心やさしく内気な僕は乗り降りしずらい椅子の付いたK君の車を動かした。負傷者には厳しい車だった。その後ステッピーで一人病院へ。オーディオ全開、窓全開、だってつまらないから。
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怪我 | 左膝内側側副靭帯損傷 全治2ヶ月(2004/2/20現在治療中) |