司教様へ 第四信
2006年6月10日
〇〇司教様
〇〇教会の〇〇です。
司教様。
最初のお手紙を差し上げてから、一ヶ月以上の月日が経ちました。その間、確か三度、司教館の方にお電話を差し上げましたが、B神父様からお聞きになっていますでしょうか? 一度は「会議期間中」とのことで、また別の時には「司教様は『もうちょっと待って』とおっしゃっています」ということでした。
お忙しいとは思いますが、私としてはなるべく早く、御書簡を頂くなり、面会して頂くなりしまして、この問題を解決させて頂きたいと思っております。
どうか、この問題を小さなこととお考えになりませんように、お願い申し上げます。
確かにこれは、神学的でもない、信者の素朴な心のことです。しかしどの人の信仰も最初は素朴なところから発している筈です。心の中で「神」と思うところから始まっている筈です。素朴な心だけでは、人間は脱線することも多いと思いますが、しかし信仰の核にあるのは明らかに素朴な心だと思います。ですから、どうか(これは私だけのことで申し上げるのではありません)このような問題を丁寧に扱って頂きたいと思います。
そして、確かにこれはたった一人の信者のことです。しかし主イエズス様は、百匹の中の一匹の羊のことさえ、ゆるがせにしないお方でした。
今日は、聖体拝領の際の姿勢の問題につきまして、典礼秘跡省がアメリカの司牧者や信者に送った書簡の写しを同封します。翻訳は私がしました。間違っている部分もあるかと思いますが、大要は掴めるのではないかと思います。
アメリカの司教団は、2002年に、日本とまったく同じように「聖体拝領の際、信者はひざまずく代わりに深く礼をする」と決めました。しかしアメリカが日本と少し違っていたのは、「起立しての聖体拝領を拒むという理由だけで、拝領者が聖体拝領を拒否されることはありません」という文言を付け加えたことです。しかしそれでも、複数の司教区で、司祭による跪いた信者への聖体拝領の拒否が起こり(アメリカの司教団が正式に規定を公布する以前から、そのような状況がありました)、これについて信者から聖座に報告が行ったようです。
ともかく、これをお読みになれば、聖座の意向というものが明らかにわかると思います。
それでは御善処頂けますよう、心から願っています。御連絡をお待ちします。
「いつ頃になりそうだ」という目処程度のことでも頂ければ、非常に幸いに存じます。
御聖体と信者との事柄です。私自身にとっても決して軽いことではないので、何の目安もなく際限なく待つことは難しいと思います。どうかなるべく早く(本当は「至急」と申し上げたいところです)、司教様のお考えをお聞かせ下さい。
それでは、よろしくお願い致します。
2006年6月10日(土)
〇〇 〇 
P.S. 以前差し上げました書簡の中でも触れております典礼秘跡省の『指針 あがないの秘跡』も同封します。第91項を見てください。そして、アメリカに宛てられた書簡と合わせて、「聖座はこれをある特定の国だけに向かって言っているのだろうか」と考えてみて下さい。
そうして、教会法第331条を思い出して下さい。
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