(一)イエズ・キリスト曰く、我が来りしは彼ら(信徒)をして生命を得、しかもなお潤沢に得せしめん為なりと(ヨハネ十章十節に在り)。
この生命は無論人類の現世に存える[ながらえる]生命ではない、これ〔後者〕は早晩是非消滅するものである。また〔前者は〕霊魂自然の生命でもない。肉体が死んでも、霊魂は不滅にして限りなく存えるからである〔つまり、救霊に関わりなく、霊魂はとにかく不死である〕。〔しかしながら〕キリストの賜うところの生命は超自然、所謂超性の生命、神の子とせらるる生命であって、死する迄これを保たば、家督として天国の福楽を蒙るべきものである。この生命の原因は所謂成聖聖寵、即ち人をして聖とならしむる神の恩寵である。洗礼を受くる時はこの生命を得、聖体の糧を以てこれを維持し、大罪を犯せばこれを失い、なお改悛の秘蹟を以てこれを回復するものである。それ然り、然れども機械的になるが如き次第ではない。秘蹟を以て成聖せられたる上、人は専ら聖寵に自力を添えて神の恵みを仰ぐと同時に、また尽力して己が成聖を全うすべきものである。これは人にとりての最大事業にして、これに従事するは神の聖前に勲功となり、終り無き報酬を得べきものである。使徒聖ポーロ、文を以て信徒に曰く、至愛なるものよ、この約束を得て霊肉の凡ての汚れより己れを潔め、神を畏るるを以て聖と成ることを全うすべしと(コリント後書七章一節に在り)。使徒ペトロもまた曰く、汝ら従順なる子供の如く、最初の不知(ものを知らないこと)の望みに従わず、汝らを召し給いし聖なるもの(神)に象り、汝らも自ら凡ての行状において聖と成れ、そは(レビ記に)記されて、我れは聖なるにより汝らも聖と成るべしとあればなりと(ペトロ前書一章十四節に在り)。
聖なるとは如何なる罪をも防ぎ、罪の根をも棄つるようにして、世間の主義に従わず、私欲を抑え、言う事、する事、思い、望みに至るまで、みな悉く神の聖意に従わせ、専らこれに適うべく、キリストを鑑にして益々励むにあり。苦難、貧窮、不自由などはキリストと共に合せてこれを献げ、また徳行を積むに心懸ける事に極まるものである。
斯く聖となる為にキリストより賜り、信者も自ら尽力して維持すべく盛んならしむべき生命を霊生、即ち霊的生命と云う。そのため世の中にありながら世事に心を奪われず、心中に専ら省みて精神を鍛錬するに平生心懸けるにより、斯かる生活は内生、即ち内部的生活と云う。尚また善徳に極まりたる人を完人、即ち完全なる人と云う。キリスト曰く、汝らの天父の完全にませるが如く汝らは完全なるべしと(マテオ五章四十八節に在り)。
(ニ)ここに至らんと欲する人多しと雖も、これを仕遂ぐる人の頗る少なきは、霊魂上の敵があってこの大事業を防ぐるからであるが、その敵とはおよそ悪魔世間己れとである。聖ペトロ曰く、汝ら節制して警醒せよ、そは汝らの仇なる悪魔は吼ゆる獅子の如く経廻りて、喰い潰すべきものを探すなり、汝ら信仰を以て堅固にしてこれに抵抗せよと(ペトロ前書五章八十九節に在り)。また世間の主義、その格言、その悪業、それより出ずる躓き、その起こさしむる諸欲は、およそキリストの主義及び教旨に相反するもの故、これに従うものは必ずこれと共に亡びに至るべし。これに勝たしめんとて人は神の子とせらるるのである。なお己れは最も棄てがたく勝ちがたいものにして、何事に於ても私欲を起して善心に逆らうものであるから、英雄豪傑も立派に敵に勝ち味方にも勝ちながらも脆くも己れに負けたものが多い。キリストは己が弟子にならんとするものに対して前に要求し給うのは、己れを棄てることである。即ち曰く、我が跡に来たらんと欲するものは己れを棄てて日々その十字架を負い我れに従うべしと(ルカ福音書九章二十三節に在り)。
斯く悪魔に勝ち、世間の主義に勝ち、己れに勝つは、キリストの跡を踏む人の必ず占むべき勝ちであって、是非ともこれが為に戦うべきものであるが、その戦いは心戦である。よく戦うた人こそ凱旋冠を受くべきものである。
さて、世の戦いに勝つのは勇気のみによらずして戦術によるものなれば、軍人は絶えず戦術を練習し、力士は絶えず相撲の術を研磨するが如く、善徳に達すべき所謂心戦にも方法あり。これに依らずして戦えば空を打つが如きの憂いありて、勝ちを占むること能わず、哀れに敗けてしまうものである。
(三)本書は専ら心戦の術を教うるものにしてロレンゾ・スポクリ(Lorenzo Scupoli)師父の著述なるが、師はイタリヤ国の人にして1530年に生まれ、テアテン(Teatini, Theatine)の修道に入会して司祭となり、人を善道に導くに妙を得て、自ら経験したる事を組織的に本書にしたためたのである。師は高徳者なるにも拘らず、ある時無実の罪を負わせられたるに、非常の忍耐と謙遜とを守って、以て人に教えたる道を自らよく尽くしたる事を、実行を以て明らかに示し、82才となりて死したるに、ようやくその罪の無実なる事が公に知れて、一層その徳を輝かしたのである。死してもなお代々の人々に遺書を以て絶えず語りつつありて、夥しき人を完徳の道に導きたる事は疑いなし。
(四)殊に最も著しき例あり。近代非常なる善徳を以て公教会に無類の栄誉を来たしたる数多の聖人の内に、その学識と聖徳とを以て特に輝きたるフランシスコ・サレジオと云う聖師あり。スイス国ゼネーヴの司教と成れる以前より、その説教、その熱心、その奮発、その高徳、及び奇蹟を以て七万人ほどの新教徒を公教会に返らしめたる宣教師であって、生来胆汁質にして短気なるに、絶えず己れに勝って既に温和の化身と云われたる人なるが、数多の書籍を著して、信者を各々の身分、またその時代、その社会の境遇に応じて道を尽すべく導くに非常の功験ありて、聖公会(アングリカンの事ではない)の博士の数に加えられた。その朋友にペレーの司教たる人ありて、かのフランシスコに平生感服し、昼夜とも密かにその態度を窺うほどであったが、聖師の陰日向なくあたかも神の目前に在る如く始終謹慎せるを見て益々歎賞に耐えず、ある日聖師に向い、如何なる人を指導者と為し来りしやと尋ねた。この時に聖師はポケットの中より『心戦』の書を取り出し、我が指導者はこれである、神と共に幼少より我れを教え導いたのはこの書であって、精神上・内生上我が師匠である、我れは学生の時代にテアテン修道の一会員にこれを示され、且つ熟読を勧められ、非常に我れに益するところあるを感じた、と答えたのである。
なおペレーの司教はキリスト教会に於て非常に賞賛せられたる『キリストの模範』と題せる書に『心戦』を比べて曰く、『キリストの模範』は実に玉書にして凡ての賞賛にも超越するものである、然れども聖師フランシスコの専ら勧めたのはこれにあらずして『心戦』であった、『心戦』は聖師の愛書にして常々熟読せられたものである、幾度も我れに語れるところによれば、18年間以上この書をポケットの中に入れて身を離さず、毎日少なくも一章か一頁か読まざる日はなかったのである、それなればこそ注意して見れば、聖師がその敬虔の精神を心戦より汲み取りたる事はいと見易し、試みに聖師の著述に係る『敬虔生活案内』と題せる書に掲げたる事を『心戦』の第一章に比ぶれば、我が云う事の真なるは明らかである。
また我れは『キリストの模範』なる玉書を賞賛して、『心戦』よりもこれを大いに重んずることを聖師に語ったところが、聖師はいとも懇篤に答えて云わるるには、この両書とも実に神の霊に導かれた人々の著書にして、その面影は相異なれども、両方ともにあたかも聖人達について歌に在る如く、比類なきものと云わるる程である、斯かる問題について比較する時は否むべき点あるを免れず、ある意味に於ては『キリストの模範』は大いに『心戦』に勝るところあり、しかしながら『心戦』もまた『キリストの模範』に対して長所なきにあらずと。なかんずく聖師の重んじたのは、人心に深く浸入して心根までに達する事であった。結局聖師の云えるは、一方を読むべく一方を読まざるべからず、両書とも簡易なれば読むに労なしと云うにあり。殊に黙祷、及び観想するには『キリストの模範』を尊び、活動生活、及び実用的事に関しては『心戦』を重んずるのであった。
(五)本書は斯かる次第につき、公教会に於て専ら賞賛せられ且つその熟読を以て功験あるものとせられたれば、今更に賞賛の辞を重ねるの要なしと思う。ラテン訳及び仏訳の『心戦』は往々出版せられて流行したれど、この和訳はそれらによらずしてイタリヤ語より初めて直接にフランス語に翻訳せられたものを最も確かなものと認めて転訳したのである。その仏訳の題は左の如し。
[書名省略]
願わくはこれを熟読する人に好果あらんことを。
降世1907年5月3日 転訳者誌
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ