第30

貞操に反する情慾に打ち勝つ法

 他の邪慾に打ち勝つには、これを直接に攻撃して、よしやこれに傷つけられたりとも、幾たびも戦いを挑んで、飽くまでこれを打ち伏せるようにせねばならぬが、貞操に反する情慾に至っては、ただにこれを引き起し、且つ挑むべからざるのみにあらず、これを引き起すべきものを注意して、悉く避けねばならぬ。これに由りて見れば、肉慾の誘惑に勝つには、また感覚的情慾を懲らすには、戦うと云うよりも、むしろ避けねばならぬのである。それ故に早く逃げて、遠くその機会に離れるに応じて、きっと勝ちを得るのである。

 然るに我が生活は、規則も正しく、意志も正しく、既往の経験によって見るも、身の堅固なるを覚るに足り、これまでの勝利はなお保証となる事が認められ、また人と交際するにも、親族の由縁[ゆかり]、あるいは義理の為にするに過ぎず、危険と云えば大したものもなく、彼れを見ても此れを見ても、実に安心すべきではないか、それでもなお避けねばならぬかと云うに、然り、奴隷を逃れんと欲すれば、是非とも避けねばならぬ。

 これに答えて云わん、幾多の人がその生涯、罪の機会に逢いながら、これに陥らざりしを以て、これ己れの為に安心すべき訳ならずやと、否、斯かる不用心は、神の判断に任すがよい。また自分が外観[みかけ]を以て物事を判断しては不可[いかぬ]

 幾たりかの人は、現にその堕落したのが人の目に見えぬと雖も、実は哀れに打ち伏せられているのである。そこで、自分は、神が聖書を以て、あるいは有名な夥しい聖人の伝を以て、あるいは目下日々に我が周囲に見ゆる事を以て、我等に与え給う教訓、及び模範に服従して、逃げねばならぬ。逃げながら、決して振り返って避ける所のものを見たり、また考えたりしてはならぬ。斯かる場合に於て、一目たりとも振り返るのは、危険になるのである。

 しかしもしも危険となり得る何某と、是非とも逢わねばならぬと云う事ならば、その談話をなるだけ速やかにして、短くなるようにせねばならぬ。その時は種々と愛らしき挨拶などをするよりは、むしろ粗相な方が良いのである。何故なれば、そこには罠と云うものがあって、邪慾の火に燃やされる危険があるからである。病の起るを待たずして薬を用いよとは、最も善き格言であって、これを忘れてはならぬ。決して力の及ばぬ時まで見合わせてはならぬ。早く逃げるのが助かりの唯一の道である。

 もし不幸にして何かの傷を受けて、力の弱まることがあったならば、永遠の死を免れる薬はただ一つ、即ち一刻も早く立ち上がって、罪とその結果とを打ち亡ぼしてしまわねばならぬ。聴罪師に少しも包むことなく、軽き過失をも顕わさねばならぬ。何故なれば、斯かる場合に包むのは、それが種になって、必ず蔓延[はびこ]るに至るからである。

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