ディダケー
(十二使徒の教訓)

予備知識

カトリック小事典

ディダケ(『十二使徒の教訓』)
Didache

1世紀の論文で、紀元100年以前に書かれたもの。本書は1833年にギリシャ正教のニコメディアの大主教ブリュエンニオス(Bryennios)によって写本の中に再発見され、それによって1875年に同大主教は聖クレメンス1世の書簡全文を発行した。『十二使徒の教訓』は3部に分けられる。1)二つの道、すなわち生命の道と死の道。2)洗礼、断食、告白、聖体拝領についての典礼用手引。3)職務についての小論。教義上の論説が前提になっている。生命への道は神と隣人に対する愛である。死の道は避けるべき悪徳の列挙である。洗礼についての簡単な教え、使徒・司教・助祭への言及、キリストの来臨に注目しそのために準備するようにという勧告がある。

p.223

Wikipedia

ディダケー、(12使徒の遺訓、コイネーギリシア語: Διδαχή

は、教えを意味する、初期キリスト教の論述である。12使徒の教えと伝えられるが、多くの学者によって1世紀後半から2世紀初頭に成立した文書と考えられている。文書は最初のカテキズム(教理問答)と見なされ、洗礼(バプテスマ)と聖餐、キリスト教の組織についての三つのおもな項目からなる。

これは19世紀に正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁図書室で発見された。ローマ・カトリック教会は、これを使徒教父文書として受け入れた。

『ディダケー』本文

十二使徒の教訓

P・ネメシェギ校閲 / 佐藤清太郎訳
昭和40年、中央出版社

PDF OneDrive / 4shared

以下、HTML

目 次

序 文
第一章 生命への道
第二章 他人の生命、財産に対する義務
第三章 情欲や偶像崇拝に対する警告と柔和、謙遜への勧告
第四章 人を敬うべきこと
第五章 死への道
第六章 主のくびきをになう者は全き者と言えよう
第七章 授洗についての指示
第八章 断食と祈りについての教訓
第九章 聖餐の儀式についての教訓
第十章 聖餐式後の謝祷
第十一章 巡回宣教者に対する務め
第十二章 よその信徒に対する友情
第十三章 真の巡回宣教者に対する務め
第十四章 聖餐による主日の祭事
第十五章 司教や助祭の人選
第十六章 最後まで善をなし続けよ

序 文

 この書が、なにびとの手になったものかは、明らかでない。世に出たのは、西暦一世紀の末ごろと思われる。なんとなれば、殉教者ユスチーヌスを始め、オリゲネスやエウゼビウスなどもこの書のことに言及しているし、アレキサンドリアのクレメンスに至っては、これを新約聖書の一部分に数えているほどである。書かれた所も明瞭ではないが、シリアかパレスティナかエジプトあたりではなかったかと想像される。それと言うのは、この国々の信徒の間では、この書が広く知られ、きわめて高く評価されていたからである。ところで、それほどの名著がその後全く人目につかなくなり、一八八三年、コンスタンチノブルの聖墓修道院で再発見されるまでの長年月、その存在は全く忘れられていたのである。しかし再発見後、欧米諸国ではいちはやくそれぞれの国語に翻訳され、わが国でも、明治、大正時代に一、二回翻訳されたこともあったが、現在ではその訳本を持っている人はきわめてまれである。本書の内容はだいたい三部にわかたれ、第一部では、生命への道と死への道が主題となっており、第二部では、洗礼の授け方を始め、キリスト教徒としての日々の信仰生活のあり方について述べられており、第三部では、巡回宣教者や教導者に対する一般信徒の態度について教え、最後に、世の終わりに臨んでの注意が述べられている。諸章の題は訳者によるものである。なお、本書の原文はギリシャ語で書かれたものであるが、参考のためラテン語訳を付しておいた。

昭和三十九年七月一日
訳 者

第一章 生命への道

  1. 道には二つある。一つは生命への道であり、一つは死への道である。この二つの道の違いは大きい。
  2. 生命への道は、まず、なんじを創りたもうた神を愛し、つぎに他人をばわが身のように愛すべきである  。また何事にもあれ、おのれの欲しないことは、他人に対してもなすべきではない  
  3. これらのことばの教えるところは、なんじらをのろう人をば祝福し、敵のために祈り、そのうえ、なんじらに迫害を加える人のために断食をもなすことである。それと言うのは、自分を愛してくれる人を愛したからとて、なんの功になるであろう。そのようなことは、異邦人でもなすではないか。それゆえ、なんじらはなんじらを憎む人々をこそ愛すべきである  。かくすれば、なんじらには敵はなくなるであろう。
  4. つぎに肉体的欲望をつつしみ  、人もしなんじの右の頬を打たば、左の頬をも向けよ。かくすることによって、なんじは全き者になるであろう。また人もしなんじに一里の道をともに行くように強いるならば、ともに二里の道を行け。また人もしなんじの上着を取り去ろうとするならば、下着をも与えよ。またなんなりとなんじの物を取り去ろうとする時、たとえそれを拒むことができたとしても、拒んではならぬ  
  5. なんじにこい求める人にはだれにでも与え、決して拒んではならぬ  。なぜなら、われわれの受けた物の中から人々に分け与えることを御父はお望みになっておられるからである。この掟に基づいて分け与える人は幸いである。なぜなら、その人には負いめがなくなるからである。それに反して受ける者はわざわいである。しかも困苦のあまり受ける者には負いめはないが、困ってもいないのに受ける者は、なぜ、またなんのために受けるかについて責を負わねばならず、獄屋につながれて、きびしく調べられ、最後の負いめを払い終わるまでは、そこから出ることができないであろう  
  6. しかしこの点についても、なんじの分け与える人がなにびとであるかがわかるまでは、分け与えずに、なんじの手の中に固く握りしめておれ  、と言われている  

  

マテオ二二章三七―三九。マルコ十二章三〇―三一

  

マテオ七章十ニ。ルカ六章二八、三二

  

マテオ五章四四、四六、四七。ルカ六章、ニ八、三二

  

ペトロ前書二章十一

  

マテオ五章三九―四一。ルカ六章二九―三〇

  

ルカ六章三〇

  

マテオ五章二六

  

これも人に対する愛情からのことで、みだりに人を苦境に陥れることのないようにとの思い遣りの心からである。管理人注2

  

このことばは、多くの古い聖書写本には、伝道の書 Ecclesiastes 十二章一に加えられていた。F. P. Audet, La Didaché, 275ページ以下参照。

第二章 他人の生命、財産に対する義務

  1. み教えの第二の掟は、
  2. なんじ殺すなかれ、姦淫するなかれ、男色におぼれるなかれ、みだらな行ないをなすなかれ、盗みを働くなかれ  、魔術を行なうなかれ、毒を盛るなかれ、胎児や幼児を殺すなかれ、他人の財産にあこがれるなかれ  
  3. なんじ、偽りの誓いを立てたり、偽りの証言をしたりしてはならぬし  、悪口をついたり、人に怨を含んだりしてもならぬ。
  4. またあいまいなことを口にしたり、二枚舌を使ったりしてもならぬ。二枚舌を使うことは墓穴を掘ることになる。
  5. なんじの言うことが虚偽であってもならず、空虚であってもならず、行ないをもってその内容を豊かにすべきである。
  6. なんじ、貪欲、強情、狡猾、意地悪、傲慢であってもならぬし、他人に対して悪計をめぐらしてもならぬ。
  7. またなにびとをも憎むことなく、ある人々を叱責し、またある人々のために祈り、またある人々をおのれ以上に愛すべきである、と。

  

マテオ十九章十八

  

出エジプト記二〇章十七。ロマ書十三章九

  

マテオ五章三三。十九章十八

第三章
情欲や偶像崇拝に対する警告と柔和、謙遜への勧告

  1. わが子よ、すべての悪事と、それに相似たすべてのことから遠ざかれ。
  2. 怒りに狂ってはならぬ。なぜなら、怒りは殺人行為へ引きずりこむからである。また嫉妬深く、争いを好み、怒りっぽくなってもならぬ。なぜなら、それらのこともまた殺人行為へ引きずりこむからである。
  3. わが子よ、情欲の奴隷になってはならぬ。なぜなら、情欲は私通に導くからである。みだらなことばをつつしみ、みだらなまなざしを避けよ。なぜなら、それらのことはすべて姦淫に導くからである。
  4. わが子よ、縁起をかついではならぬ。なぜなら、それらは偶像崇拝に誘いこむからである。なんじ、呪文や占星や魔術に捕らわれてはならぬ。またそれらのものを見聞きすることも避けよ。なぜなら、それらのものも偶像崇拝に追いこむからである。
  5. わが子よ、嘘をついてはならぬ。なぜなら嘘をつくことは盗みをさせるようになるからである。また、やたらに金をほしがったり、功名心にかられたりしてもならぬ。なぜなら、それらのこともまた盗みをさせるようになるからである。
  6. わが子よ、不平を口にしてはならぬ。なぜなら、不平を口にすることは、誹謗の罪を犯させるからである。また強情であったり、悪意を待ったりしてもならぬ。なぜなら、それによっても誹謗の罪が犯されるからである。
  7. なんじ、常に柔和であれ、なぜなら、柔和な者は地を得るであろうからである  
  8. また忍耐強く、慈悲深く、真実、冷静、善にして、なんじの聞いたことばをば常に思い浮かべては、恐れ、おののき  
  9. 自ら高ぶることなく、心の中で礼を失することなく、不遜な者とともにいることなく、正しくして、へりくだる者とともに歩むべきである。
  10. なんじの身にふりかかる思いがけないいかなる不祥事をもすべて善意をもって受け入れよ。何事にもあれ、起こることはすべて神意によるものであることをなんじは知っているではないか。

  

マテオ五章四。詩編三〇章十一

  

イザヤ書六六章二。

第四章 人を敬うべきこと

  1. わが子よ、神の御ことばをなんじに伝えてくれる人をば日に夜に思い浮かべては、主を敬うようにその人を敬うべきである。なぜなら、主の栄光の伝えられる所には主がましますからである。
  2. なんじ、聖者のことばのうちに憩いを見いだし得るよう、常にその面影を慕い求むべきである。
  3. なんじ、不和をかもすことなく、相争う者をば和解させ、正しく審き  、誤りを訓え諭すときには、人の外観に左右されてはならぬ。
  4. そして、なんじがどうなるかと心配してならない。
  5. なんじ、もらうときには手を伸ばし、与えるときには手を引っ込める人のようであってはならぬ。
  6. 自分の労働で獲得した何かを持っているときには、罪の贖いとしてそれを人に与えよ。
  7. 与えることをためらってはならぬし、与えるときにつぶやいてもならぬ。やがてなんじへの報い主がだれであるかがわかるであろう。
  8. 日々の生活に事欠く人を退けず、持てる物はすべて分ちあい、何物をも自分だけの物としてはならぬ。なぜなら、なんじら不死性に一緒にあずかるから、むろん、はかないものを分ちあわなければならない。
  9. 息子や娘の育成を怠ることもなく、幼い時から主をおそれることを教えよ。
  10. なんじと同じように、神に望みをかけている下男、下女が、なんじらの上にまします神に対する畏敬の念を捨て去ることのないように、それらの者に苛酷なことを言いつけてはならぬ。なぜなら神は人の地位や外観にはよらず、心のととのった人を召すために来たもうからである。
  11. また僕はおのが主人に対しては従順であり、神の身代わりと思って敬い恐れよ。
  12. すべての偽善と主のよみしたまわぬことはすべてこれを憎むべきである。
  13. 主の掟はこれを軽んじてはならぬ。なんじに与えられた掟はすべて増減することなく、堅く守るべきである。
  14. 自分の犯した罪は集まりにおいて告白し、正しからぬ心をもって祈りにとりかかってはならぬ。以上が生命への道である。

  

ヨハネ七章二四

第五章 死への道

  1. しかるに死への道は、まず第一に邪悪であり、殺人、姦淫、情欲、淫蕩、窃盗、偶像崇拝、魔術、毒殺、強奪、偽証、偽善、虚偽、陰険、傲慢、悪意、強情、貪欲、誹謗、嫉妬、横着、不遜、自負、厚顔などでのろいに満ちている  
  2. かれらは善人を虐げ、真を憎み、虚言を愛し、義に対する報いを知ることなく、善に達しようとも  、正しい判断に達しようとも努めず、油断のない目を善に向けずに、悪に向け、柔和と忍耐から遠く隔たり、虚栄を愛し  、報いをのみ求め、貧しい者に同情を寄せず、なやめる者の世話もせず、おのが創り主をも認めず、おのが子を殺し、神の創りたもうた者をなきものにし  、なやめる者に背を向け、不幸な者を苦しめ、富める者の肩を持ち、貧しい者を法に反して審き、すべての罪を犯すものである。さればわが子よ、これらいっさいのことから遠ざかれ。

  

マテオ十五章十九。ロマ書一章二九―三〇。ガラチア書五章十九―二一。コロサイ書三章五―八

  

ロマ書十二章九

  

詩編四章十三。イザイア書一章二三

  

堕胎のこと

第六章 主のくびきをになう者は全き者と言えよう

  1. だれもなんじをこの教えの道から他にそらせることのないように心せよ  。なぜならその者は神によらずしてなんじに教えるからである。
  2. なんじ、主のくびきをことごとくになうことができれば、全き者になれるだろう。しかし、ことごとくになうことができなけれは、できるだけのことをせよ。
  3. 食物についてもなんじのできるかぎりのことをせよ。ただし偶像にささげられた食物には絶対に触れてはならぬ。なぜならそれは死んだ神々を崇拝することになるからである。

  

マテオ二四章四

第七章 授洗についての指示

  1. 洗礼についてはつぎのようにせよ。すなわち以上の事柄を全部語ってきかせてから、父と子と聖霊のみ名により   流水の中で洗礼を授けよ。
  2. 流水がない時には、ほかの水の中ででもよいし、冷水で授けることができない時には、温水ででもよい。
  3. またそのいずれもない時には、父と子と聖霊のみ名において   水を三度頭の上に注げ。
  4. なお洗礼の前には、これを授ける者も、受ける者も、またその他の者も、できる者は断食をなすべきである。なお受洗者には一両日前に断食をなさしめよ。

  

マテオ二八章十九

  

マテオ二八章十九。古代教会においては、受洗者が全身、水に入ったまま洗礼を受けた。しかし、水がたりない場合には、水を頭にかけても十分だと思われた。

第八章 断食と祈りについての教訓

  1. しかし、なんじらの断食は偽善者たち  がそれをする日と同じ日にしてはならぬ。偽善者は安息日後の二日めと五日め   に断食をするが、なんじらは四日めと六日め   にすべきである。
  2. またなんじらは偽善者のように祈るべきではなく  、主がその福音の中で命じたもうたように祈るべきである。すなわち、「天にましますわれらの父よ! 願わくはみ名の尊まれんことを、み国の来たらんことを、み旨の天に行なわるるごとく、地にも行なわれんことを、われらの日用の糧を今日われらに与えたまえ。われらが人に赦すごとく、われらの罪を赦したまえ。われらを試みに引きたまわざれ、われらを悪より救いたまえ  。けだし権能と栄光とは永遠に御身のものなればなり」と。
  3. このように日に三度祈るべきである。

  

ユダヤ教徒たちのこと

  

月曜日と木曜日

  

水曜日と金曜日

  

マテオ六章五

  

マテオ六章九―十三。ルカ十一章二―四

第九章 聖餐の儀式についての教訓

  1. 聖餐に対してはつぎのように感謝せよ。
  2. まず聖盃については、「われらの父よ、なんじの管理人注1  イエズスを通してわれらに知らしめたまいし御身の僕、ダヴィドの聖なるぶどうの樹に対して感謝し奉る。永遠の栄光御身にあれかし」と。
  3. つぎに裂かれたパンについては、「われらの父よ、なんじの僕イエズスを通してわれらに知らしめたまいし生命と知識とに対して感謝し奉る。永遠の栄光御身にあれかし」
  4. 「この裂かれたるパンが山上において分散せられ  、集められて一つになりしごとく、御身の教会も地の果てよりみ国に集められんことを。けだし栄光と権能とはイエズス・キリストを通して永遠に御身のものなればなり」と。
  5. しかし、主のみ名において洗礼を受けた者のほかは、なにびとにもなんじらの聖餐を食べさせても、飲ましてもならない。なぜなら、これについて主は御自ら「なんじら、聖なる物を犬に与うべからず  」と仰せられたからである。

  

使徒行録四の二七参照。「神の僕」という名称は、イザヤ書四九章―五三章に従って、初代教会においてイエズスに付せられた名称の一つである。

  

小麦として

  

マテオ七章六

第十章 聖餐式後の謝祷

  1. なんじら満腹した後にはつぎのように感謝せよ。
  2. すなわち、「聖なる父よ、われらの心を住居となしたまいし聖なるみ名と、なんじの僕イエズスをしてわれらに知らしめたまいし知識、信仰並びに永遠の生命とに対して御身に感謝し奉る。永遠の栄光御身にあれかし。
  3. 全能の主にてまします御身は万物をみ名ゆえに創造し、人々には飲食物を与えて喜ばしめ、彼らをして御身に感謝せしめたもう。されどわれらにはなんじの僕イエズスを通して霊的飲食物と永遠の生命とを与えたまえり。
  4. 御身は権者にてましませば、われらすべてのものに越えて御身に感謝し奉る。永遠の栄光御身にあれかし。
  5. 主よ、御身の教会をあらゆる悪より救い、御身の愛の内に全きものたらしめんために聖心に留め置かれんことを。かつ地の隅々より集めて  、御身の備えたまいしみ国へ入らしめたまえ。けだし永遠の権能と栄光とは御身のものなればなり。
  6. 恵みをして来たらしめ、この世をして去らしめたまえ。ダヴィドの神に栄えあらんことを(ホザンナ   )。聖なる者、近づけよ、しからざる者悔い改めよ。マラナー夕  (われらの主来たりたまえ)、アーメン。」
  7. かつ預言者たちには  、その望むがままに聖餐の式を行なわしめよ。

  

マテオ二四章三一

  

マテオ二四章九、十五

  

コリント前書十六章二二

  

初代教会において活躍した預言者たちのこと。(エフェゾ書四章の十一、使徒行録二十章二二、十一章二七、二八)

第十一章 巡回宣教者に対する務め

  1. ところで、上に述べたすべての事柄をなんじらに教えるために来たる人をばこれを受け入れよ。
  2. しかし、その人にして自ら邪道に陥っていて、われわれの教えを破棄させようとして、他の異なった教えを説くならば、それに耳をかしてはならぬ。それに反して義と主の認識を増し深めるために説くのであるならば、主を受け入れるようにその人を受け入れよ。
  3. 使徒たちと預言者たち   に対しては、福音の教えるところに従って、つぎのようにせよ。
  4. すなわち、なんじらのもとに来たる使徒をばすべて主を受け入れるように受け入れるべきである。
  5. しかし、かれは一日以上なんじらのもとに留まっていてはならぬ。しかもやむをえない場合には、さらにもう一日留まっていてもよいが、もし三日も留まっているならば、その者は偽預言者である  
  6. つぎに使徒がなんじらのもとより他へ移り行く時には、夕方、宿に着くまでの食料としてパンだけを持って行くべきである。もし金の無心でもするならば、その者は偽預言者である。
  7. 霊によって語る預言者をば試みても、審いてもならぬ。なぜなら他のいかなる罪も赦されるが、この罪だけは赦されないからである  
  8. ところで、霊によって語る者はだれでも預言者だというわけではない  。ただ主の行ないにあやかる者だけが真の預言者なのである。偽りの預言者と真の預言者とは、その行ないによっておのずからわかるのである。
  9. つぎに霊によって語る時に、食事のしたくを命ずる預言者は、自らは決してそれを口にしないものである。もしそれを口にするようならば、その者は偽りの預言者である。
  10. またたとえ真理を教えてもその教えるところを自ら行ないに現わさない預言者は、すべて偽りの預言者である。
  11. 教会のこの世の奥義のために働き、自らなすところを人もなすようにと教え   ない試練に耐えた真の預言者をなんじらは審いてはならぬ。なぜならその審き手は、神ご自身だからである。旧約の預言者たちもそのとおりにふるまったのである。
  12. しかし霊感のもとに金銭あるいはその他のなにものかを求めるならば、その者の説く教えに耳をかしてはならぬ。しかしながら、それも他の困窮者のために求めるのであるならば、だれもその人を審いてはならぬ。

  

十二使徒のことではなく、初代教会において活躍した巡回宣教者たちのこと

  

マテオ七章十五

  

マテオ十二章三一。マルコ三章二八―二九

  

聖霊によってではなく、悪意によって動かせるものもあるから。

  

預言者たちが霊感を受けていた特徴的な行ないに一般信者もならうことを要求しないこと

第十二章 よその信徒に対する友情

  1. 主のみ名において来たる者はすべて受け入れらるべきである  。しかし、なんじらはその者をよく調べて、その人物を知るべきであり、そしてその者の真偽のほどを確かめるためにおのが理性を働かすべきである。
  2. 到来者が旅人であるならば、なんじらはその者にできるだけの援助を与えるがよい。しかし、到来者はなんじらのもとに二日以上、やむをえない場合には、三日以上滞在してはならぬ。
  3. とはいえ、もし本人がなんじらのもとに定住することを望み、かつ何か技術を持っているならば、日々の糧を得るために働かせるがよい。
  4. しかし、なんの技術も持っていないならば、キリスト教徒たる者が何もせずに、なんじらのもとで日を過ごすことのないように、なんじらの良識ある判断によって処置せよ。
  5. そして、もし本人がそうすることを欲しないなら、それはキリスト教を表看板に一仕事しようとする者であるから、そういう者は避けるべきである。

  

マテオ二一章九

第十三章 真の巡回宣教者に対する務め

  1. なんじらのもとに定住することを望む真の預言者はだれでもその糧を受けるに値するものである  
  2. 同様に真の教導者  も労働者と同じように、おのが糧を受けるに値するのである。
  3. ゆえに、しぼったぶどうの汁や、打穀した穀物や、牛や羊の初物はすべてこれを取り入れて、それらの預言者に供すべきである。なぜなら、それらの人々はなんじらにとっては司祭長だからである。
  4. もしなんじらのもとに預言者がいない時には、貪困者にそれを与えよ。
  5. またパンを焼いた時にも、最初の一切れをば掟に従って供すべきである。
  6. 同様にぶどう酒や油のかめのふたをあけた時にも、その初めの物をば預言者に供せよ。
  7. 金銭や衣服、その他の持ち物の中からも適当と思うだけは、掟に従ってそれを供すべきである。

  

マテオ十章十。ルカ十章七。チモテオ前書五章十八

  

エフェゾ書四章十一参照

第十四章 聖餐による主日の祭事

  1. なんじら、主日には相会し、パンを裂いて聖餐式を行なうべきである。なおなんじらのささげ物が清らかであるよう、まずさきにおのが罪を告白すべきである。
  2. またおのが同僚と相争う者をば、互いに相和するまでは、なんじらの集まりに加わらしむべきではない。それはなんじらのささげ物が涜されざらんためである。
  3. そのささげ物について、主が「どこででも、いかなる時にでも、清らかなる物をわれにささぐべきである。けだしわれは大王であり、わが名は異邦人の間においてさえ恐れられているのである  」と、言っておられるからである。

  

マーキア一章十四

第十五章 司教や助祭の人選

  1. 主にふさわしく、温和に満ち、利欲のない、真理愛に燃え、試練に耐えた人々をなんじらの司教や助祭に選ぶべきである。なぜなら、それらの人々はなんじらのために預言者や教導者の聖務をつかさどってくれる人々だからである。
  2. ゆえに、それらの人々を軽々しくあつかってはならず、預言者や教導者と同じように敬うべきである。
  3. またなんじら互いに腹をたてたりすることなく、福音にしるされてあるように、なごやかに正し  合い、人に対して不正を働いた者とは、本人自ら悔い改めるまでは、だれも口をきいてはならぬ。
  4. そして祈りや施しや、その他のいかなる業も、すべて主の福音にしるされてあるようになすべきである。

  

マテオ十八章十五

第十六章 最後まで善をなし続けよ

  1. なんじら、おのが生命に心をいたし、おのが燈を消すことなく、腰の帯をゆるめずに常に用心してあれ。なぜなら、なんじらには主の来たりたもう時がわからないからである  
  2. またなんじらの霊魂のためになるものを求めて、しばしば相会すべきである。なぜなら、もしも最後の瞬間に完全でなかったならば、なんじらの信仰生活のすべてが無意味になってしまうからである。
  3. 事実、世の終わりには偽預言者や人をそこなう人がふえ、羊が狼に変えられ、愛が憎しみに変わるのである。
  4. それと言うのも、違法反則の増すにつれ、人々は互いに他を憎み、苦しめ、裏切るようになる。それに世を惑わす者が現われ、自分を神の子とし、不思議なことを行ない  、世はその手にゆだねられて、開闢以来、いまだかつてなかったような残虐窮まることを行なうであろう。
  5. そのとき、人類は熱火のような試練にあい、多くの者が誘惑にかかって  滅び行くであろう。しかし最後まで信仰をもって耐え忍ぶ者はのろいそのものからさえ救われるであろう  
  6. しかるのち、真理のしるしが現われ、まず天が開かれ、つぎにラッパの音  が聞こえ、第三に死者がよみがえるのである  
  7. しかし、すべての死者がよみがえるのではなくて、(聖書に)言われたように、主とすべての聖者とである。
  8. かくして世は、主が空の雲に乗って来たりたもうのを見るであろう  

  

マテオ二四章四二、四四。二五章十三。ルカ十二章三五

  

マテオ二四章二四。テサロニケ後書二章九。黙示録十三章十三

  

マテオ二四章十

  

マテオ十章二二、二四章十三。マルコ十三章十三

  

マテオ二四章三〇―三一。コリント前書十五章五二。テサロニケ前書四章十六

  

聖書によると悪人もさばかれるために復活するが光栄に満ちた復活は義人にかぎられる。ヨハネ五の二九

  

マテオ二四章三〇、二六章六四

[管理人注1] 天主様に対して「なんじ」という呼び方はないだろうと思う。「御身[おんみ]」だろう。(他の箇所ではこの訳者もそうしているように)戻る

[管理人注2] ちょっとピンと来ない説明である。カトリック教徒は何でもかんでも「愛」とか「思いやり」とか、そういう情的なものに結び付けないでは済まないのか。「理性」とか「判断」はどうした。人間の非を「裁く」ことになるのを恐れるあまり、「判断する」「見分ける」ことも恐れて、機能不全に陥っているのか。
自然な説明を紹介しよう。それはプロテスタントの浅地昇氏が『ディダケー』の同じ箇所に付した注である。曰く「無分別なる慈善を戒めたる語」。これだけ。しかし、スッキリ。戻る

以下、非カトリック訳(九章と十章のみ)

1920年、杉浦貞二郎

 聖餐礼の執行には斯く感謝すべし。先づ杯に関し『我等の父よ、汝の児イエスによりて我等に示し給ひし汝の児なるダヴィデの聖なる葡萄の為に感謝し奉る、願くは栄光限なく汝にあらんことを。』又た裂きたるパンに関して『我等の父よ、我等汝の児イエスによりて示し給ひし生と知識の為めに感謝し奉る。願くは栄光限りなく汝にあらんことを。此裂かれたるパンが山々に散り後ち復た集められて一となりし如く、汝の教会も亦た地の極より御国に集め給へ、栄光と権能はイエス・キリストにより代々限なく汝のものなればなり。』されと主の名に於て受洗せし者にあらざれば一切何人も汝等の聖餐を飲食せしむべからず。主また之に就て宣はく、『聖物を犬に投げ与ふ勿れ。』と。

 汝等食に満腹したる後ち斯く感謝すべし、『おゝ聖き父よ、我等の心の中に入れ給ひし汝の聖名と、汝の聖子イエスによりて我等に示し給ひし知識と信仰と永生の為めに、我等主に感謝し奉る。願くは栄光限りなく主にあらんことを。全能の主よ、主は御名の故に萬物を造り、又た人類に飲食を与えて楽ましめ給ひ、人は汝に感謝す、然るに特に我等には汝の児によりて霊の飲食と永遠の光明とを授けて祝福し給へり。我等は汝が力あることの為めに殊に感謝し奉る、願くは栄光限りなく汝にあらんことを。主よ、汝の教会を忘れ給ふことなく、凡ての悪より之を救ひ、主を愛することに於て全からしめ、地の四隅より聖く瑾なく之を集めて、其為に備へ給ひし汝の御国に来さしめ給へ。権能と栄光は限なく主のものなればなり。恩恵は来り、此世は過ぎ去らしめ給へ。ダヸデの神に讃揚[ホサンナ]す。人聖[きよ]からば来れ、然らざれば改悔めよ。我等の主よ来り給へ[マラン アータ]。アメーン。』
 然れども、豫言者が聖餐を其欲するが儘に執行するとも、之を責むる勿れ。

国立国会図書館

1929年、浅地昇訳

第九章

 一、聖餐につきてはかく守れ。二、まづ杯に向ひては「御父よ、我等汝が御子イエスによりて我等に知らしめ給ひし汝の僕ダビデの聖き葡萄蔓につきて汝に感謝し奉る、御栄ときわに汝にあれ」。三、割かれたるパンに向ひては「御父よ、我等汝が御子イエスによりて我等に知らしめ給ひし生命と知慧につきて汝に感謝し奉る。御栄ときわに汝にあれ。四、この割れしパンが山々に撒き散されしも又集められて一つとなりし如く、汝の教会をして地の極々より御国に集まらしめ給へ、御栄と御力とはイエス・キリストによりて永久に汝のものなればなり」五、されど主の名によりて洗礼せられし者を外にしては何人にも汝等の聖餐を飲食せしむな。此事に就て主又宣へり「聖き物を犬に与ふな」と。

第十章

 一、さて汝等食物にて飽きたる後かく感謝せよ、二、「聖き父よ、我等汝が我等の心の中に寓らしめ給ひし聖き御名と、御子イエスによりて我等に知らしめ給ひし信仰と不死の知識につきて汝に感謝し奉る。御栄ときわに汝にあらん事を。三、全能なる主よ、汝は御名の故に萬物を創り、人々を楽ましめ彼等に感謝せしめんとて飲食を与へ給へり、されど我等をば御子によりて霊の飲食と永遠の光とをもて祝し給へり。五、主よ汝の教会を記えて全ての悪より救ひ出し、汝の愛によりて完からしめ聖きを保ちて四方より預て備へ給ひし御国に寄集はしめ給へ。力と栄とは永久に汝のものなればなり。六、恩寵を来らせ此世を過去らしめ給へ。ホザナよダビデの神に。凡て聖き者は来れ、聖からざる者は悔改めよ、マラン・アーサ、アーメン」。されど預言者等には己が心のまゝに聖餐を守らしむべし。

同志社大学

佐竹明

  1 聖餐については、次のように感謝しなさい。2 最初に杯について。「わたしたちの父よ。あなたがあなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた、あなたの僕ダビデの聖なるぶどうの木について、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)」。3 パンについて。「わたしたちの父よ。あなたがあなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた生命と知識とについて、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。4 このパンが山々の上にまき散らされていたのが集められて一つとなるように、あなたの教会が地の果てからあなたの御国へと集められますように。栄光とカとはイエス・キリストによって永遠にあなたのものだからです」。5 主の名をもって洗礼を授けられた人たち以外は、誰もあなたがたの聖餐から食べたり飲んだりしてはならない。主がこの点についても、「聖なるものを犬に与えるな」と述べておられるからである(マタイ7・6)。

 一〇 1 満腹をした後、次のように祈りなさい。2 「聖なる父よ。あなたがわたしたちの心の中にお住まわせになったあなたの聖なる名と、あなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた知識と信仰と不死とについて、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。3 全能の主よ。あなたはあなたの名のゆえに万物をお創りになりました。また、人々があなたに感謝を献げるように、彼らに飲食のために食物と飲物とをお与えになりました。他方、わたしたちには、霊的な食物と飲物と永遠の生命とを、あなたの僕(イエス)を通して賜わりました。4 あらゆることに先立って、わたしたちはあなたが力強い方であることに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。5 主よ。あなたの教会を覚え、それをすべての悪から解放し(マタイ6・13)、あなたの愛によって完全なものとして下さい。また、それを聖くして、四方から、あなたがそれのために準備されたあなたの国へと導き集めて下さい。カと栄光とは永遠にあなたのものだからです。6 恵みが来ますように。この世が過ぎ去りますように。ダビデの神にホサナ(マタイ21・9)。聖なる人は来るように。聖でない人は悔い改めなさい。マラナ・タ(Iコリント16・22)、アーメン」。7 預言者たちには欲するだけ感謝を献げることを許しなさい。

使徒教父文書

ディダケー』のギリシャ語原文

• ラテン・アルファベットに直したもの

以下、英語訳(第十章のみ)

CHAPTER 10

  1. And after ye are satisfied thus give ye thanks:
  2. We give Thee thanks, Holy Father, for Thy holy name, which Thou hast made to tabernacle in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality, which Thou hast made known unto us through Thy Son Jesus;
  3. Thine is the glory for ever and ever.
  4. Thou, Almighty Master, didst create all things for Thy name's sake, and didst give food and drink unto men for enjoyment, that they might render thanks to Thee;
  5. but didst bestow upon us spiritual food and drink and eternal life through Thy Son.
  6. Before all things we give Thee thanks that Thou art powerful;
  7. Thine is the glory for ever and ever.
  8. Remember, Lord, Thy Church to deliver it from all evil and to perfect it in Thy love;
  9. and gather it together from the four winds — even the Church which has been sanctified — into Thy kingdom which Thou hast prepared for it;
  10. for Thine is the power and the glory for ever and ever.
  11. May grace come and may this world pass away.
  12. Hosanna to the God of David.
  13. If any man is holy, let him come;
  14. if any man is not, let him repent. Maran Atha. Amen.
  15. But permit the prophets to offer thanksgiving as much as they desire.

SOURCE

X

1. BUT after you are satisfied with food, thus give thanks : 2. “We give thanks to thee, O Holy Father, for thy Holy Name which thou didst make to tabernacle in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality which thou didst make known to us through Jesus thy Child. To thee be glory for ever. 3. Thou, Lord Almighty, didst create all things for thy Name's sake, and didst give food and drink to men for their enjoyment, that they might give thanks to thee, but us hast thou blessed with spiritual food and drink and eternal light through thy Child. 4. Above all we give thanks to thee for that thou art mighty. To thee be glory for ever. 5. Remember, Lord, thy Church, to deliver it from all evil and to make it perfect in thy love, and gather it together in its holiness from the four winds to thy kingdom which thou hast prepared for it. For thine is the power and the glory for ever. 6. Let grace come and let this world pass away. Hosannah to the God of David. If any man be holy, let him come ! if any man be not, let him repent: Maran atha, Amen.”

7. But suffer the prophets to hold Eucharist as they will.

SOURCE

CHAPTER X

AND after that ye have been filled, give ye thanks after this manner : 2 We thank Thee Holy Father for Thy Holy Name which Thou has made to dwell in our hearts, and for the knowledge and for faith and immortality which Thou didst make known to us through Jesus Thy Servant ; to Thee be the glory for evry. 3 Thou Almighty Ruler didst create all things for The Names sake ; Thou didst give both food and drink unto men for enjoyment, that they may give thanks unto Thee. But to us Thou didst freely grant spiritual food and drink and life eternal through Thy Servant. 4 We give thanks to Thee before all things that Thou art mighty. 5 Thine is the glory for ever. Remember O Lord Thy Church to deliver it from all evil, and perfect it in Thy Love ; and gather it from the four winds, even Thy Church which hath been sanctified, into Thy Kingdom which Thou hast prepared for it ; for Thine is the power and the glory for ever.

6 Let Thy grace come and let this world pass away ; Hosanna to the God of David. Whosoever is holy, let him come, and whosoever is not, let him repent. Maranatha.† Amen.

7 But suffer the prophets to give thanks as they desire.

SOURCE

CHAP. X.Now after ye are filled thus do ye give tlianks : We thank thee, holy Father, for thy holy name, which thou hast caused to dwell in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality which thou hast made known to us through Jesus thy servant ; to thee be the glory forever. Thou, Master Almighty, didst create all things for thy name's sake ; both food and drink thou didst give to men for enjoyment, in order that they might give thanks to thee ; but to us thou hast graciously given spiritual food and drink and eternal life through thy servant. Before all things, we thank thee that thou art mighty ; to thee be the glory forever. Remember, Lord, thy church, to deliver it from every evil and to make it perfect in thy love, and gather it from the four winds, it, the sanctified, into thy kingdom, which thou hast prepared for it ; for thine is the power and the glory forever. Let grace come and let this world pass away. Hosanna to the son of David ! Whoever is holy, let him come ; whoever is not, let him repent. Maranatha. Amen. But permit the prophets to give thanks as much as they will.

SOURCE

CHAP. X.   And after being filled, thus give thanks:

2 We thank Thee, holy Father, for thy holy name, which Thou hast caused to dwell in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality, which Thou hast made known to us through Jesus thy servant; to Thee be the glory forever. 3 Thou, Almighty Sovereign, didst create the universe for thy name's sake; both food and drink Thou gavest men for enjoyment, that they might give thanks to Thee; but to us Thou hast graciously given spiritual food and drink and life eternal through thy servant. 4 Before all things, we thank Thee that Thou art mighty: to Thee be the glory forever. 5 Remember, Lord, thy church, to deliver it from every evil and to make it perfect in thy love; and do Thou gather it from the four winds, the sanctified church, into the kingdom, which Thou hast prepared for it; for thine is the power and the glory forever. 6 Let grace come, and let this world pass away. Hosanna to the Son of David. 7 If any one is holy, let him come: if any one is not, let him repent: Maranatha. Amen.

8 But permit the prophets to express what thanks they wish.

SOURCE

ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ