ディダケー
(十二使徒の教訓)
予備知識
ディダケ(『十二使徒の教訓』) 1世紀の論文で、紀元100年以前に書かれたもの。本書は1833年にギリシャ正教のニコメディアの大主教ブリュエンニオス(Bryennios)によって写本の中に再発見され、それによって1875年に同大主教は聖クレメンス1世の書簡全文を発行した。『十二使徒の教訓』は3部に分けられる。1)二つの道、すなわち生命の道と死の道。2)洗礼、断食、告白、聖体拝領についての典礼用手引。3)職務についての小論。教義上の論説が前提になっている。生命への道は神と隣人に対する愛である。死の道は避けるべき悪徳の列挙である。洗礼についての簡単な教え、使徒・司教・助祭への言及、キリストの来臨に注目しそのために準備するようにという勧告がある。 p.223 |
ディダケー、(12使徒の遺訓、コイネーギリシア語: Διδαχή) は、教えを意味する、初期キリスト教の論述である。12使徒の教えと伝えられるが、多くの学者によって1世紀後半から2世紀初頭に成立した文書と考えられている。文書は最初のカテキズム(教理問答)と見なされ、洗礼(バプテスマ)と聖餐、キリスト教の組織についての三つのおもな項目からなる。 これは19世紀に正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁図書室で発見された。ローマ・カトリック教会は、これを使徒教父文書として受け入れた。 |
『ディダケー』本文
P・ネメシェギ校閲 / 佐藤清太郎訳
昭和40年、中央出版社
以下、HTML
目 次
序 文p>
この書が、なにびとの手になったものかは、明らかでない。世に出たのは、西暦一世紀の末ごろと思われる。なんとなれば、殉教者ユスチーヌスを始め、オリゲネスやエウゼビウスなどもこの書のことに言及しているし、アレキサンドリアのクレメンスに至っては、これを新約聖書の一部分に数えているほどである。書かれた所も明瞭ではないが、シリアかパレスティナかエジプトあたりではなかったかと想像される。それと言うのは、この国々の信徒の間では、この書が広く知られ、きわめて高く評価されていたからである。ところで、それほどの名著がその後全く人目につかなくなり、一八八三年、コンスタンチノブルの聖墓修道院で再発見されるまでの長年月、その存在は全く忘れられていたのである。しかし再発見後、欧米諸国ではいちはやくそれぞれの国語に翻訳され、わが国でも、明治、大正時代に一、二回翻訳されたこともあったが、現在ではその訳本を持っている人はきわめてまれである。本書の内容はだいたい三部にわかたれ、第一部では、生命への道と死への道が主題となっており、第二部では、洗礼の授け方を始め、キリスト教徒としての日々の信仰生活のあり方について述べられており、第三部では、巡回宣教者や教導者に対する一般信徒の態度について教え、最後に、世の終わりに臨んでの注意が述べられている。諸章の題は訳者によるものである。なお、本書の原文はギリシャ語で書かれたものであるが、参考のためラテン語訳を付しておいた。
昭和三十九年七月一日
訳 者
第一章 生命への道
マテオ二二章三七―三九。マルコ十二章三〇―三一 |
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マテオ七章十ニ。ルカ六章二八、三二 |
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マテオ五章四四、四六、四七。ルカ六章、ニ八、三二 |
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ペトロ前書二章十一 |
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マテオ五章三九―四一。ルカ六章二九―三〇 |
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ルカ六章三〇 |
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マテオ五章二六 |
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これも人に対する愛情からのことで、みだりに人を苦境に陥れることのないようにとの思い遣りの心からである。[管理人注2] |
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このことばは、多くの古い聖書写本には、伝道の書 Ecclesiastes 十二章一に加えられていた。F. P. Audet, La Didaché, 275ページ以下参照。 |
第二章 他人の生命、財産に対する義務
マテオ十九章十八 |
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出エジプト記二〇章十七。ロマ書十三章九 |
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マテオ五章三三。十九章十八 |
第三章
情欲や偶像崇拝に対する警告と柔和、謙遜への勧告
マテオ五章四。詩編三〇章十一 |
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イザヤ書六六章二。 |
第四章 人を敬うべきこと
ヨハネ七章二四 |
第五章 死への道
マテオ十五章十九。ロマ書一章二九―三〇。ガラチア書五章十九―二一。コロサイ書三章五―八 |
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ロマ書十二章九 |
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詩編四章十三。イザイア書一章二三 |
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堕胎のこと |
第六章 主のくびきをになう者は全き者と言えよう
マテオ二四章四 |
第七章 授洗についての指示
マテオ二八章十九 |
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マテオ二八章十九。古代教会においては、受洗者が全身、水に入ったまま洗礼を受けた。しかし、水がたりない場合には、水を頭にかけても十分だと思われた。 |
第八章 断食と祈りについての教訓
ユダヤ教徒たちのこと |
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月曜日と木曜日 |
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水曜日と金曜日 |
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マテオ六章五 |
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マテオ六章九―十三。ルカ十一章二―四 |
第九章 聖餐の儀式についての教訓
使徒行録四の二七参照。「神の僕」という名称は、イザヤ書四九章―五三章に従って、初代教会においてイエズスに付せられた名称の一つである。 |
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小麦として |
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マテオ七章六 |
第十章 聖餐式後の謝祷
マテオ二四章三一 |
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マテオ二四章九、十五 |
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コリント前書十六章二二 |
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初代教会において活躍した預言者たちのこと。(エフェゾ書四章の十一、使徒行録二十章二二、十一章二七、二八) |
第十一章 巡回宣教者に対する務め
十二使徒のことではなく、初代教会において活躍した巡回宣教者たちのこと |
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マテオ七章十五 |
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マテオ十二章三一。マルコ三章二八―二九 |
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聖霊によってではなく、悪意によって動かせるものもあるから。 |
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預言者たちが霊感を受けていた特徴的な行ないに一般信者もならうことを要求しないこと |
第十二章 よその信徒に対する友情
マテオ二一章九 |
第十三章 真の巡回宣教者に対する務め
マテオ十章十。ルカ十章七。チモテオ前書五章十八 |
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エフェゾ書四章十一参照 |
第十四章 聖餐による主日の祭事
マーキア一章十四 |
第十五章 司教や助祭の人選
マテオ十八章十五 |
第十六章 最後まで善をなし続けよ
マテオ二四章四二、四四。二五章十三。ルカ十二章三五 |
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マテオ二四章二四。テサロニケ後書二章九。黙示録十三章十三 |
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マテオ二四章十 |
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マテオ十章二二、二四章十三。マルコ十三章十三 |
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マテオ二四章三〇―三一。コリント前書十五章五二。テサロニケ前書四章十六 |
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聖書によると悪人もさばかれるために復活するが光栄に満ちた復活は義人にかぎられる。ヨハネ五の二九 |
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マテオ二四章三〇、二六章六四 |
[管理人注1] 天主様に対して「なんじ」という呼び方はないだろうと思う。「御身[おんみ]」だろう。(他の箇所ではこの訳者もそうしているように)(戻る)
[管理人注2] ちょっとピンと来ない説明である。カトリック教徒は何でもかんでも「愛」とか「思いやり」とか、そういう情的なものに結び付けないでは済まないのか。「理性」とか「判断」はどうした。人間の非を「裁く」ことになるのを恐れるあまり、「判断する」「見分ける」ことも恐れて、機能不全に陥っているのか。
自然な説明を紹介しよう。それはプロテスタントの浅地昇氏が『ディダケー』の同じ箇所に付した注である。曰く「無分別なる慈善を戒めたる語」。これだけ。しかし、スッキリ。(戻る)
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以下、非カトリック訳(九章と十章のみ)
1920年、杉浦貞二郎訳 九 聖餐礼の執行には斯く感謝すべし。先づ杯に関し『我等の父よ、汝の児イエスによりて我等に示し給ひし汝の児なるダヴィデの聖なる葡萄の為に感謝し奉る、願くは栄光限なく汝にあらんことを。』又た裂きたるパンに関して『我等の父よ、我等汝の児イエスによりて示し給ひし生と知識の為めに感謝し奉る。願くは栄光限りなく汝にあらんことを。此裂かれたるパンが山々に散り後ち復た集められて一となりし如く、汝の教会も亦た地の極より御国に集め給へ、栄光と権能はイエス・キリストにより代々限なく汝のものなればなり。』されと主の名に於て受洗せし者にあらざれば一切何人も汝等の聖餐を飲食せしむべからず。主また之に就て宣はく、『聖物を犬に投げ与ふ勿れ。』と。 十
汝等食に満腹したる後ち斯く感謝すべし、『おゝ聖き父よ、我等の心の中に入れ給ひし汝の聖名と、汝の聖子イエスによりて我等に示し給ひし知識と信仰と永生の為めに、我等主に感謝し奉る。願くは栄光限りなく主にあらんことを。全能の主よ、主は御名の故に萬物を造り、又た人類に飲食を与えて楽ましめ給ひ、人は汝に感謝す、然るに特に我等には汝の児によりて霊の飲食と永遠の光明とを授けて祝福し給へり。我等は汝が力あることの為めに殊に感謝し奉る、願くは栄光限りなく汝にあらんことを。主よ、汝の教会を忘れ給ふことなく、凡ての悪より之を救ひ、主を愛することに於て全からしめ、地の四隅より聖く瑾なく之を集めて、其為に備へ給ひし汝の御国に来さしめ給へ。権能と栄光は限なく主のものなればなり。恩恵は来り、此世は過ぎ去らしめ給へ。ダヸデの神に讃揚[ホサンナ]す。人聖[きよ]からば来れ、然らざれば改悔めよ。我等の主よ来り給へ[マラン アータ]。アメーン。』 |
1929年、浅地昇訳 第九章 一、聖餐につきてはかく守れ。二、まづ杯に向ひては「御父よ、我等汝が御子イエスによりて我等に知らしめ給ひし汝の僕ダビデの聖き葡萄蔓につきて汝に感謝し奉る、御栄ときわに汝にあれ」。三、割かれたるパンに向ひては「御父よ、我等汝が御子イエスによりて我等に知らしめ給ひし生命と知慧につきて汝に感謝し奉る。御栄ときわに汝にあれ。四、この割れしパンが山々に撒き散されしも又集められて一つとなりし如く、汝の教会をして地の極々より御国に集まらしめ給へ、御栄と御力とはイエス・キリストによりて永久に汝のものなればなり」五、されど主の名によりて洗礼せられし者を外にしては何人にも汝等の聖餐を飲食せしむな。此事に就て主又宣へり「聖き物を犬に与ふな」と。 第十章 一、さて汝等食物にて飽きたる後かく感謝せよ、二、「聖き父よ、我等汝が我等の心の中に寓らしめ給ひし聖き御名と、御子イエスによりて我等に知らしめ給ひし信仰と不死の知識につきて汝に感謝し奉る。御栄ときわに汝にあらん事を。三、全能なる主よ、汝は御名の故に萬物を創り、人々を楽ましめ彼等に感謝せしめんとて飲食を与へ給へり、されど我等をば御子によりて霊の飲食と永遠の光とをもて祝し給へり。五、主よ汝の教会を記えて全ての悪より救ひ出し、汝の愛によりて完からしめ聖きを保ちて四方より預て備へ給ひし御国に寄集はしめ給へ。力と栄とは永久に汝のものなればなり。六、恩寵を来らせ此世を過去らしめ給へ。ホザナよダビデの神に。凡て聖き者は来れ、聖からざる者は悔改めよ、マラン・アーサ、アーメン」。されど預言者等には己が心のまゝに聖餐を守らしむべし。 |
佐竹明訳 九 1 聖餐については、次のように感謝しなさい。2 最初に杯について。「わたしたちの父よ。あなたがあなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた、あなたの僕ダビデの聖なるぶどうの木について、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)」。3 パンについて。「わたしたちの父よ。あなたがあなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた生命と知識とについて、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。4 このパンが山々の上にまき散らされていたのが集められて一つとなるように、あなたの教会が地の果てからあなたの御国へと集められますように。栄光とカとはイエス・キリストによって永遠にあなたのものだからです」。5 主の名をもって洗礼を授けられた人たち以外は、誰もあなたがたの聖餐から食べたり飲んだりしてはならない。主がこの点についても、「聖なるものを犬に与えるな」と述べておられるからである(マタイ7・6)。 一〇 1 満腹をした後、次のように祈りなさい。2 「聖なる父よ。あなたがわたしたちの心の中にお住まわせになったあなたの聖なる名と、あなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた知識と信仰と不死とについて、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。3 全能の主よ。あなたはあなたの名のゆえに万物をお創りになりました。また、人々があなたに感謝を献げるように、彼らに飲食のために食物と飲物とをお与えになりました。他方、わたしたちには、霊的な食物と飲物と永遠の生命とを、あなたの僕(イエス)を通して賜わりました。4 あらゆることに先立って、わたしたちはあなたが力強い方であることに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。5 主よ。あなたの教会を覚え、それをすべての悪から解放し(マタイ6・13)、あなたの愛によって完全なものとして下さい。また、それを聖くして、四方から、あなたがそれのために準備されたあなたの国へと導き集めて下さい。カと栄光とは永遠にあなたのものだからです。6 恵みが来ますように。この世が過ぎ去りますように。ダビデの神にホサナ(マタイ21・9)。聖なる人は来るように。聖でない人は悔い改めなさい。マラナ・タ(Iコリント16・22)、アーメン」。7 預言者たちには欲するだけ感謝を献げることを許しなさい。 |
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以下、英語訳(第十章のみ)
CHAPTER 10
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X 1. BUT after you are satisfied with food, thus give thanks : 2. “We give thanks to thee, O Holy Father, for thy Holy Name which thou didst make to tabernacle in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality which thou didst make known to us through Jesus thy Child. To thee be glory for ever. 3. Thou, Lord Almighty, didst create all things for thy Name's sake, and didst give food and drink to men for their enjoyment, that they might give thanks to thee, but us hast thou blessed with spiritual food and drink and eternal light through thy Child. 4. Above all we give thanks to thee for that thou art mighty. To thee be glory for ever. 5. Remember, Lord, thy Church, to deliver it from all evil and to make it perfect in thy love, and gather it together in its holiness from the four winds to thy kingdom which thou hast prepared for it. For thine is the power and the glory for ever. 6. Let grace come and let this world pass away. Hosannah to the God of David. If any man be holy, let him come ! if any man be not, let him repent: Maran atha, Amen.” 7. But suffer the prophets to hold Eucharist as they will. |
CHAPTER X AND after that ye have been filled, give ye thanks after this manner : 2 We thank Thee Holy Father for Thy Holy Name which Thou has made to dwell in our hearts, and for the knowledge and for faith and immortality which Thou didst make known to us through Jesus Thy Servant ; to Thee be the glory for evry. 3 Thou Almighty Ruler didst create all things for The Names sake ; Thou didst give both food and drink unto men for enjoyment, that they may give thanks unto Thee. But to us Thou didst freely grant spiritual food and drink and life eternal through Thy Servant. 4 We give thanks to Thee before all things that Thou art mighty. 5 Thine is the glory for ever. Remember O Lord Thy Church to deliver it from all evil, and perfect it in Thy Love ; and gather it from the four winds, even Thy Church which hath been sanctified, into Thy Kingdom which Thou hast prepared for it ; for Thine is the power and the glory for ever. 6 Let Thy grace come and let this world pass away ; Hosanna to the God of David. Whosoever is holy, let him come, and whosoever is not, let him repent. Maranatha.† Amen. 7 But suffer the prophets to give thanks as they desire. |
CHAP. X.─Now after ye are filled thus do ye give tlianks : We thank thee, holy Father, for thy holy name, which thou hast caused to dwell in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality which thou hast made known to us through Jesus thy servant ; to thee be the glory forever. Thou, Master Almighty, didst create all things for thy name's sake ; both food and drink thou didst give to men for enjoyment, in order that they might give thanks to thee ; but to us thou hast graciously given spiritual food and drink and eternal life through thy servant. Before all things, we thank thee that thou art mighty ; to thee be the glory forever. Remember, Lord, thy church, to deliver it from every evil and to make it perfect in thy love, and gather it from the four winds, it, the sanctified, into thy kingdom, which thou hast prepared for it ; for thine is the power and the glory forever. Let grace come and let this world pass away. Hosanna to the son of David ! Whoever is holy, let him come ; whoever is not, let him repent. Maranatha. Amen. But permit the prophets to give thanks as much as they will. |
CHAP. X. And after being filled, thus give thanks: 2 We thank Thee, holy Father, for thy holy name, which Thou hast caused to dwell in our hearts, and for the knowledge and faith and immortality, which Thou hast made known to us through Jesus thy servant; to Thee be the glory forever. 3 Thou, Almighty Sovereign, didst create the universe for thy name's sake; both food and drink Thou gavest men for enjoyment, that they might give thanks to Thee; but to us Thou hast graciously given spiritual food and drink and life eternal through thy servant. 4 Before all things, we thank Thee that Thou art mighty: to Thee be the glory forever. 5 Remember, Lord, thy church, to deliver it from every evil and to make it perfect in thy love; and do Thou gather it from the four winds, the sanctified church, into the kingdom, which Thou hast prepared for it; for thine is the power and the glory forever. 6 Let grace come, and let this world pass away. Hosanna to the Son of David. 7 If any one is holy, let him come: if any one is not, let him repent: Maranatha. Amen. 8 But permit the prophets to express what thanks they wish. |