エルサレムの聖キュリロスに帰されている『秘義教話』

『中世思想原典集成 2 盛期ギリシア教父』
編訳/監修=上智大学中世思想研究所
平凡社、1992年

p. 141

エルサレムのキュリロス
洗礼志願者のための秘義教話

大島保彦=訳

pp. 142-143

解説

 エルサレムのキュリロス(Kyrillos)は、三一五年頃エルサレムに生まれ、四八年頃エルサレム司教となり、八六年に歿している。教会史の上では反アレイオス派の論客として知られているが、本著作にそのような論争的な側面は窺えない。
 ここに訳出した『洗礼志願者のための秘義教話』(Catecheses mystagogicae)を含む『カテーケーシス(教話)』(Catecheses illuminandorum)は、その大部分が三四八/五〇年にエルサレムの聖墳墓教会で行われた教理講話の(おそらく受講者による)記録であり、「キリスト教古代における最も貴重な宝の一つ」(クアステン(1) と称すべき文書である。『カテーケーシス』全体は二四講から成り、その前半は四旬節に話されたものであるが、ここに訳出した部分は復活祭の週に話された後半の五講である。前半部分では、罪、信仰などの一般事項やエルサレム信条(後の三八一年のコンスタンティノポリス信条とほとんど変わらず、キュリロス自身によるものとも言われる)の逐条的説明がなされているが、この後半部では、洗礼、聖餐などの典礼の説明が、典礼の進行に従った各場面の意味を具体的に語るかたちで示されている。各講は、その内容に見合った聖書の引用の朗読に始まり、語り口も話し言葉的な面があり、教科書を読むつもりでひもとくよりも、まさに当時のエルサレムに自分がいると思って読んだほうがよいと思われる。宗教学的・神学的に本書について語られるであろうことは多いかもしれないが、本書を通して、いまだ揺藍期にあったキリスト教典礼学の、しかも東方の色彩の濃いかたちを窺い知ることができるという点を指摘するにとどめておくことにする。
 なお、翻訳底本は、Cyrille de Jérusalem, Catecheses Mystagogiques, introduction, texte critique et notes de Auguste Piédagnel, traduction de Pierre Paris (Sources Chrétiennes 126), Paris 1966 であり、そのほかに St. Cyril of Jerusalem’s Lectures on the Christian Sacraments. The Procatechesis and the Five Mystagogical Catecheses, edited by F. L. Cross, New York 1951/1986; The Works of Saint Cyril of Jerusalem, vol. 2, translated by Leo P. McCauley and Anthony A. Stephenson (The Fathers of the Church 64), Washington, D. C. 1970 および『エルサレムのキリロスのカテケシス』(ろごす キリスト教研究叢書12)G・ネ ラン、川添利秋訳、紀伊國屋書店、一九六三年を参照した。節番号は底本にもとづき、各講冒頭の朗読個所指示以外の小見出しは底本の対訳としてのフランス語訳に付けられたものに従って訳者が補ったものである。

1───J. Quasten, Patrology, vol. III: The Golden Age of Greek Patristic Literature, Westminster 1960/1983, p. 363.


p. 144

洗礼志願者のための秘義教話

第一講 洗礼者の儀式〔洗礼堂の控え室での儀式〕

公同書簡「ペトロの手紙一」の朗読。「身を慎んで目を覚ましていなさい」から最後まで〔一ペト五:八~一四〕。〔先の教話[カテーケーシス]を行ったのと〕同じキュリロスおよびヨアンネス (1) によって。

導入

1 教会の真正にして望まれる子たちよ、(…)

p. 161

第五講〔エウカリスティアの祭儀〕

(…)

pp. 168-170

聖体拝領

19  その後、司教が「聖なるものを聖なる者に」と言います。目の前に置かれたものが神聖であるのは、聖霊の訪れを受けたからです。あなたがたも聖なる者となりましたが、それは聖霊に値するとされたからです。それゆえ、聖なるものにふさわしいのです。次に、「聖なるは一つ、主は一つ、イエス・キリスト」とあなたがたは言います。一なるものはまことに聖であり、本来的に聖なのです。というのも、私たちもまた神聖であるにせよ、本来的にではなく、ここにあずかり、節制して、祈ることによって神聖であるからです。

20  その後で、神的な旋律であなたがたを聖なる秘義の交わりへと招く歌を聞いて下さい。「味わい、見よ、主の恵み深さを」〔詩三四:九〕と歌われています。判断を身体的な喉にではなく、揺るぎない信仰に委ねなさい。というのも、口にする際にあなたがたはパンと葡萄酒を口にするのではなく、キリストの体と血のしるしを口にするからです。

21  前に進み出るときに手首を伸ばしたり、指を開いたりしないで下さい。王を迎えようとするように、左手を右手に対する玉座のようにして〔左手で右手を支え〕、掌をきれいにしてキリストの体を受け取り、「アーメン」と言いなさい。聖体に触れることで目を注意深く浄め、拝領しなさい。少しもなくさないように注意しなさい。というのも、聖体をなくしてしまうということは、あなたの身体が失われるのと変わらないからです。誰かがあなたに砂金をくれたとします。すると少しもなくさないで損をしないように注意して、できるだけ注意深くしっかりと保持するのではないでしょうか。そうであれば、金や宝石よりも価値あるものを一かけらもなくさないように、なおさらいっそう注意を怠らないことがありましょうか。

22  キリストの体を拝領した後で、血〔葡萄酒〕の杯の方へと進みなさい。手を身体から離さないで礼をして、信仰と畏敬を込めて「アーメン」と言い、キリストの血を拝領して浄められなさい。湿り気がまだ唇にあるときに手で触って目や額やその他の感覚器官を浄めなさい。次の祈りが終わるのを待って、これほどすばらしい秘義に値するようにして下さった神に感謝しなさい。

23  以上の〔典礼〕伝統を汚すことなく保ち、己れが躓くことのないように守りきって下さい。交わりから遠ざかってはならず、罪の汚れによってこの聖なる霊的秘義から離れてはいけません。「平和の神ご自身が、あなたがたをまったく聖なる者として下さいますように。また、あなたがたの身体も魂も霊も、私たちの主イエス・キリストの来られるとき、何一つ欠けたところのないものとして下さいますように」〔一テサ五:二三〕。そしてそのキリストに代々限りなく栄光がありますように。アーメン。


p. 169

訳註

1───ヨアンネス二世(Ioannes II)。エルサレム司教(在位三八七~四一七年)。本書の著者がキュリロスとヨアンネス二世の二人とされることをめぐる議論については、J. Quasten, op. cit., pp. 364-367; A. Piédagnel, op. cit., pp. 18-40; L. P. McCaulely/A. A. Stephenson, op. cit., pp. 143-149 参照。クアステンはキュリロスが講話を行い、ヨアンネスがそれを補足したと考えるが、異論もある。

『原典 古代キリスト教思想史 2 ギリシア教父』
小高毅(神父)編、教文館、2000年

p. 99

6 エルサレムのキュリロス

 エルサレムに生まれたものと思われるが、前半生不詳。三四八年、前任者マクシモスの死後、エルサレムの司教となる。この司教叙階を司式したのはカイサレイアの司教アカキオスであった。アカキオスは神学思想の上でもエウセビオスの後継者であったこと、及びキュリロスがエルサレムの司教座のカイサレイアからの独立を志したことから、両者は対立する。この結果、キュリロスは三度罷免される。三五七年、エルサレムの教会会議で追放処分を受け、タルソスへ逃れるが、翌年のセレウキアの教会会議で復職を果たす。しかし、翌年のコンスタンティノポリスの教会会議で再び罷免される。これはコンスタンス帝が死去し、ユリアヌス帝が登位したことで復職を得る。三六五年頃、アカキオスは死去するが、アレイオス派を支持したウァレンス帝の登位によって、三六七年に三度目の追放を受ける。この時の追放は、ウァレンス帝の死去(三七八年)まで、一一年間の長きにわたった。三八一年にはコンスタンティノポリス公会議に出席。この時期に、彼の司教叙階の合法性が問題にされたようであるが、その公会議で、その合法性が認められ、「反アレイオス派の闘士、母なる教会エルサレム教会の司教」と宣言された。三八七年三月一八日に死去したものと思われる。
 著作としては、『教理教育講話』『コンスタンティウス帝宛ての手紙』『ヨハネ七・5講話』が現存。最も著名なものが『教理教育講話』で、序と一八の受洗前の講話(エルサレム教会の信条の解説が中心)、五つのミスタゴギア(洗礼、堅信、エウカリスティアの説明)から成る二四の講話である。この五つのミスタゴギアに関しては、キュリロスのものか、彼の後継者ヨアンネスのものか論議を呼んでいるが、キュリロスの行った講話に、ヨアンネスが手を加え改訂したものとするのが妥当であろう。いずれにせよ、当時のエルサレムの教理教育、典礼を知る重要な資料であることに変わりはない。


pp. 111-112

 エウカリスティアの拝領

 それから、「聖なる物を聖なる者に」と司教が言います。供え物は聖霊の臨むことによって聖なる物となり、またあなたがたは、聖霊を受けて、聖なる者となりました。だから、聖なる物と聖なる者とは、ぴったり相合うのです。そして、「聖なる者は一つ、主は一つ、すなわちイエス・キリスト」と唱えます。主のみ真に聖なる者であり、本来聖なる者です。しかし、われわれも聖なる者です。ただ、われわれの聖性は本来のものではなく、いただいたものであり、節制と祈りとによるものです。

 次に、「食べて、主のいつくしみを味わえ」(詩三四・9)と美しく歌う歌い手に耳を傾けてください。この霊歌は、あなたがたを聖なる秘義の交わりに招く呼びかけです。その味覚の判断は舌によらず、ゆるがない信仰によるべきです。われわれは、パンと葡萄酒ではなく、それが提供するキリストのからだと血とを味わうように招かれているからです。

 祭壇に近づく時、腕を伸ばしたり、指を開いたりしないでください。来るべき王を迎える王座を作るかのように、左掌で右手を支え、凹んだ掌でキリストのからだを受けながら、アーメンと応えてください。敬虔なまなざしを聖体に向けて、目を聖めてから拝領してください。ただ、少しもこぼさないように注意しなければなりません。聖体の一部をなくすことは、自分の肢体の一部を失うのと同じだからです。譬えば、誰かが砂金を貰ったとすれば、それを注意深く保存し、損失を招かないようにするではありませんか。まして、金や宝石よりも貴重な糧であってみれば、ひとこぼれさえ惜しむのも当然ではないでしょうか。

 キリストのからだをいただいてから、御血の杯の方へ進んでください。そして手をからだにつけ、敬虔な礼をして、アーメンと言いながらキリストの聖なる血をいただいてください。その雫がまだ唇に残っている間に、指で触れ、目や額等を聖めてください。祈りの終るまで待って、またとない秘義に与ったことを神に感謝してください。

(『ミスタゴギア』五・19-22〔ネラン=川添訳〕)

 G・ネラン=川添利秋訳は「エルサレムのキリロスのカテケシス」『ろごすXII 洗礼式』(紀伊國屋書店、一九六三年)九九~一七七頁による。なお、別の邦訳として、大島保彦訳「洗礼志願者のための秘義教話」『中世思想原典集成2』(平凡社、一九九二年)一四一~一七〇頁がある。

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