赤太字強調は管理人による付加。
投稿者:A 投稿日:2009年6月25日
まだ優しい方ですよ。もっと酷い目にあわされた方がおられますよ。
しかし残念ながら中には、酷く人権さえ踏みにじるような言動の司祭もいました。
立っているのに立ちなさいと理不尽極まりない事で怒鳴られるので、仕方なく首を伸ばされました。それでも「立ちなさい!!!」が治まらず何度も怒鳴り続くので、困り果てたそのご婦人はどうすれば許してもらえるのかを考え、次の瞬間、そのご婦人は何と背伸びをしたのです。
司祭がなぜそのような酷い嫌がらせをしたのかと言うと、その前の週に同じB神父のミサの拝領時に3人ぐらいの人が立て続けに、跪いて口で拝領したのです。 |
||
投稿者:B 投稿日:2009年6月25日
噂には聞いていましたが、あの方は、パリ・ミッションの元管区長ではありませんか? |
||
投稿者:A 投稿日:2009年6月27日
そうですよ。よくご存知ですね。そうなんですか関東でもですか、昔はビリオン神父様や、テレジアの司祭事、シルベン・ブスケ神父様などカトリックの伝統に根付いた気骨のある信仰深い方々が多くいらしゃったのですが、何がどうなってああなったのか・・・残念、無念
司教方が平和や人権・人権と声高に叫び、活動されるならまずご自身の司牧の教区内で働く司祭達のこのような人権蹂躙、蛮行を正して平和を教会にもたらして頂きたいものです。
パリ・外国宣教会をはじめ他の修道会の改心の為、またアッシジの聖フランシスコが成し遂げたように教会と修道会の真の刷新、若返りの為に私もこのご婦人に倣い、祈りの時間を作りとにかくゆっくり唱え祈る事を心がけています。祈りは神様との会話です。早口での会話にならないよう、親しく語る中にも神様に対しての礼儀を決して忘れません。祈りを怠ると精神と体が疲れてしまいます。祈りは元気の源、信仰の泉です。祈りには喜びがあり、神様への愛の源泉でもあります。ラテン語や文語体の祈り、昔の祈りをよくします。 |
当サイト管理人による注
引用文中の「J.P.B神父」とはこの人のことか。
J. P. ベズロン神父(パリ外国宣教会)
Père Jean-Paul Bayzelon, MEP | MEP Archives (Archives des Missions Etrangères de Paris)
2002年4月〜2004年4月 夙川教会の主任司祭 参照
「今年の3月まで東京カトリック神学院の霊的指導司祭を務めてくださっていたパリ外国宣教会のベズロン師」 参照
YouTube / Dailymotion(YouTubeと同じ)
或る人の文章から。
聖体訪問に参る信徒を夜となく昼となく温かく迎えてくださる聖櫃の主イエズス。それなのに、パリ・外国宣教会所属1926年生まれの某宣教師はこんなことを、私の友人にほざいた。プロテスタントの集会にいって「気持ちがよかったのはこ聖櫃がないことです。ここの(カトリック)教会にはこ聖櫃のなかに、ごまんとこ聖体が安置されていて、きもちが悪い」。
MEP Archives の記事では生まれ年は「1929年」となっているけれども。