ある母親2
ジァンナ・ベレッタ・モラ
「母親はお腹の中の子にとって摂理そのもの」
もう一つの例は、許されるはずの間接的人工妊娠中絶さえも拒否して自分の子どもを救った母親の話です。
女医であったジァンナ・ベレッタ・モラ(Gianna Beretta Molla)は1962年4月28日に亡くなりました。それは、ほぼ確実に胎内の子どもを殺すことにはなっても自分の生命は救ったであろう手術を、彼女が拒否したからです。1994年4月24日、教皇ヨハネ・パウロ二世は彼女を列福しました。以下は、その際の教皇による称賛の言葉です。
ジァンナ・ベレッタ・モラは、学生時代は模範的な学生、教会生活においても熱心な女性、そして幸せな妻であり母でした。彼女は、おなかの中にいる子どもを救うために、自分の命を生けにえにすることを知っていました。彼女が生んだその娘は、今日ここにわたしたちとともにいます。医師として彼女は、自分に何が起きるかをよく承知していました。しかし彼女は、その犠牲的行為の前でたじろぎませんでした。彼女の徳はそのために、今日さん然と輝いています。
英語版週刊オッセルバトーレ・ロマーノ、1994年4月27日
ジァンナは小児科医でした。彼女は、もし自分か子どもかのどちらかを選ばねばならないときには、子どもの方を選択するように、夫には言ってありました。彼らにはすでに三人の子どもがいました。第四子を妊娠していた当時、彼女は39歳でした。そして、子宮ガンにかかっていた彼女は、医師として、自分に生命の危険があることをよく承知していました。子宮摘出手術を受けて赤ちゃんを間接的に中絶する代わりに、彼女は、その子を生む決意をし、夫のピエトロも彼女の決断に同意していました。
女の赤ちゃん、ジァンナ・エンマヌエッラ(Gianna Emanuela)は、1962年4月21日に生まれましたが、ガンをひどく悪化させてしまった母親は、七日後に死亡しました。夫ビエトロは、「本質的な点は簡単です。彼女の胎内にいた子どもにとって、彼女は、自分が摂理そのものであると信じていたのです」 と説明してくれます。二人とも、四人の子どもたちが母親なしで育たねばならないことを知ってはいました。しかし、たとえ母親の命を犠牲にしてでも、「大事なことは、一つの命を救うことである」 という点で、二人は一致していました。
The Catholic World Report 1993年2月、12〜13ページ
信仰のない人、謂ゆる無神論的/唯物的な人がこういう話を聞いたら、謂ゆる「美談」、歯の浮くような体の、悪い意味での「美談」に聞こえるのかも知れない。
しかし、そういうのじゃないと思う。これは「美しい服」のようなものではなく、単に「道徳的な話」ではない。
「服」や「道徳」なら、人に “押し着せる” ことができるかも知れない。しかし、このような生き方は押し着せることなど不可能だ。
人はこのような生き方ができるために、少なくとも「霊魂」の存在を信じていなければならない。
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