ある母親1
ピオ十二世教皇様のお話
「この子には生きる権利があるんだわ」
直接的人工妊娠中絶に頼らないと母親の生命が救えない、ということが本当にあったとしても、母親の生命を救うという善のために、直接的人工妊娠中絶の悪を行うことは許されません。「目的を達成するための手段として・・・この場合、もう一つの生命を救う目的で・・・罪のない人間の生命を、直接に奪うことは不法です」 教皇ピオ十二世は、教導職の教えの中で、この原理を繰り返しています(1951年11月26日の The Family Front 大会での教話)。そして、この原理のために命をささげた、英雄的な母親の例を紹介なさいました。
一つの例をここで皆さんに紹介したいと思います。…それは1905年のことです。高貴な生まれの、そしてさらにもっと高貴な心の持ち主であった若い女性がいました。しかし、彼女の健康はそれほど優れてはいませんでした。…ある日彼女は、自分が妊娠していることに気づきました。しかし、すぐに、彼女は体の不調を訴え始めました。彼女の担当であった二人の主治医は、最善をつくして彼女を治療していたのですが、病状がただ事でないことに気づきました。持病であった肺先端の不具合、以前の病巣の跡にできた新しい組織が、再度悪化していたのです。彼らの診断は、直ちに人工妊娠中絶をしなければ彼女の生命は失われる、というものでした。彼女の夫も、ことの重大性をかんがみて、その悩み多い解決に同意していました。
担当の助産婦が医師たちの決定を彼女に告げ、彼らの判断に従うようこい願いましたが、彼女ははっきり言いました。
「ご親切にありがとう。だけど、わたしには、たとえどんなことがあっても、自分の子どもの命を奪うことなんてできないわ。この子がお腹の中でもう動き始めているのが、わたしには分かるの。この子には生きる権利があるんだわ。この子は神様からの贈り物なのよ。この子が神様を愛し、神様を楽しむためには、神様を知らなくてはならないの。」
夫も必死に嘆願しました。しかし、彼女の意志は固く、彼女はその時が来るのを静かに待つだけでした。そして、女の赤ちゃんが無事に生まれました。それはよかったのですが、その直後、母親の病気は悪化し、肺動脈弁の病変が拡がって、手が付けられぬ程になりました。ニケ月後、彼女の地上での最後の日が訪れました。元気のいい乳母のもとで、すくすく育っていた彼女のかわいい赤ちゃんを最後に一目見た彼女は、満足そうに微笑みながら静かに息を引き取りました。
そして何年かが経過しました。ある修道院で、病気の子どもたちの上にかがみ込み、母性愛あふれるまなざしで彼らを見つめながら、彼らに自分の命そのものを与えつくさんばかりの若い修道女が、孤児たちの世話と教育に没頭しています。もうお分かりでしょう。愛の生けにえになったあの母親の娘です。いま、彼女は、その寛大な心で、見捨てられた子どもたちの中にあって、すばらしい愛の業を実践しています。母親の英雄的な死は、決して無駄でなかったことが分かります。
Andrea Majocci, With Surgival Knives and Scissors 1940年、p.21
信仰のない人、謂ゆる無神論的/唯物的な人がこういう話を聞いたら、謂ゆる「美談」、歯の浮くような体の、悪い意味での「美談」に聞こえるのかも知れない。
しかし、そういうのじゃないと思う。これは「美しい服」のようなものではなく、単に「道徳的な話」ではない。
「服」や「道徳」なら、人に “押し着せる” ことができるかも知れない。しかし、このような生き方は押し着せることなど不可能だ。
人はこのような生き方ができるために、少なくとも「霊魂」の存在を信じていなければならない。
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