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6.洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方

規則正しく十分の宗教を実践しているカトリック信者なら、あるいは人生の重大な転機において教会に足を運ぶ信者なら、次のような根本的な問いを自問自答せずにはいられません。すなわち、洗礼とは何なのか? という問いです。

ところで、このような問い自体、新しい現象です。つい最近までは、誰でもこの問いに答えることができましたし、実際だれも洗礼とは何かを、ことさら問いたててみもしませんでした。洗礼の第一の効果は、原罪から贖われることです。このことは父から子へ、母から娘に伝えられて知っていました。

ところで、ご覧ください、今ではもはやどこでさえも誰も洗礼のことを話はしません。教会内で執り行われる簡単になった儀式には、洗礼で赦される罪は受洗者が自分で犯す罪のことであって、私たち全てが生まれながら負っている原罪のことではないかのように、罪が言及されるのです。

すると洗礼とは、私たちを天主と一致させる秘蹟としてだけ、むしろ、私たちを共同体に導入させる秘蹟としてだけにしか映らなくなります。そして、洗礼式の第一の段階として、最初の儀式として、いろいろなところで押しつけられた「受け入れの儀式」はそのように表現しているのです。このことは個人個人が自発的に導入したものではありません。というのも典礼司牧全国センターのポスターに、段階的な洗礼に関する様々な発展について記述があるからです。このような洗礼を、数回に分けた洗礼ともいいます。「受け入れ」の後には、「歩み」、「求道」、があって、子供が、(いわゆる)自由に決断がつくようになるようになったときに、そしてこのことは十八歳以上など、かなり高年齢になりうるのですが、秘蹟が施されるのです。そして施される代わりに、施されない時もあるのです。新しい教会の中ではかなり重要視されている教義学を教えている或る教授は、キリスト教信者を次の二つに区別しています。まず信仰と宗教文化を自分のものとはっきりさせたキリスト者と、その他の四分の三以上の信者です。このその他の信者は、この教授によれば、彼らが自分の子供たちに洗礼を授けようとするときに前提とされる信仰しかないのだそうです。この「民間信仰の」キリスト者は、洗礼準備の集会の途中で探知され、受け入れの式より先に進むことがないように言い含められるのだそうです。このようなやり方こそ、「私たちの文明の文化状況にもっともよく適応している」のだそうです。

最近フランスのソム県の主任司祭は、二人の子供に荘厳聖体拝領式をするようにさせ、子供たちに洗礼証明書を求めました。証明書はこの司祭のもとに家族の出身の教区から送られてきました。それによると、二人のうち一人は洗礼を受けていましたが、もう一人は、両親が洗礼を受けさせたとすっかり信じ切っていたにもかかわらず、洗礼を受けてはいませんでした。この子は受け入れの式に名前が登録されていたにすぎませんでした。これがこの最近の実践の結果です。教会で与えられるものは、実は見せかけの洗礼なのです。そしてそれに参列した人々はそれを善意で本当の秘蹟だと思いこんでしまうのです。

このようなことが、みなさんを狼狽させてしまうということはよく分かります。みなさんはもっともらしい議論に面と立ち向かわなければなければならないでしょう。このもっともらしい議論はたいていの場合、提案という形を取って、苗字なしで名前だけの、つまり匿名の署名で、教区報の中にも見受けられるのです。私たちは今ここで、そのうちの一つ、アランとエヴリンの書いたものを見てみましょう。

「洗礼とは、奇跡によって、原罪などというものを消す魔法の儀式ではありません。私たちは救いが全体的で、無償で、そして全ての人々のためであると信じています。天主は全ての人々を、いかなる条件の下においても、いえむしろ、いかなる条件もなく、ご自分の愛において選ばれました。私たちにとって洗礼を受けるということは、生活を変えるということを決断することです。それは、あなたの代わりに誰もすることのできない個人的な決断なのです。それは、その前に十分よく知った上での決断なのです。云々」この数行のうちになんと恐ろしい誤謬が書かれていることでしょうか。この数行のうちに、幼児洗礼を廃止することを正当化させようとしています。さらにこの文章の言おうとすることは、教会が始まって以来の教えを軽蔑して、プロテスタントに歩み寄ることです。

聖アウグスチヌスはすでに4世紀末にこう書いていました。「幼児に洗礼を授けることは最近の発明ではなく、使徒時代から続く聖伝の忠実なこだまである。この慣習は、これだけで、しかもこの他のありとあらゆる資料をのぞいても、これだけで真実に関する確実な規則を形成している」と。

西暦251年の、カルタゴの会議は「生後8日以前に」子供に洗礼を授けることを規定しています。また、1980年11月21日にはPastoralis actioという規定で、信仰の教義に関する聖省は、「いつから始まったのかを指摘できないほど太古にさかのぼる聖伝の規範」に基づいて、幼児洗礼を授ける義務について繰り返し述べています。

このことは、もしみなさんが、新生児に聖寵の命に参与させようと[して、洗礼を授けようと]するのを、拒否されるとき、みなさんの持つ神聖な権利を優先させるために知っていなければなりません。両親は、子供にどのような食事を与えるか、あるいは子供の健康のために必要な場合の外科手術をするか、などについて子供の代わりに判断するのであって子供が18歳になるまで待ってはいません。超自然の秩序において、両親の義務はさらに緊急であって、子供が「個人的な決定」が自分ではできない時、秘蹟を司る信仰は、教会の信仰なのです。あなたが自分の子供から天国での永遠の生命を奪ってしまった場合に取らなければならない、恐るべき責任の大きさを少しでも考えてみてください。私たちの主はそのことをはっきりと言われました。「水と霊とによってもう一度生まれない限り、誰も天主の御国には入ることができない。」

この特異な司牧の実りは、待つまでもありません。パリ司教区では、1965年には二人に一人は洗礼を受けていました。しかし1976年には洗礼を受けるのは四人に一人です。ある郊外の教区の聖職者は、大して残念そうでもなく、1965年には一年間に450人の洗礼があったが、1976年には150人に減少したことを報告しています。フランス全体でこの落下は見られます。1970年から1981年の間に、洗礼総数は596,673から、530,385になっています。しかし、他方で、この同じ間に人口は3,000,000人以上増加しているのです。

このようなことは、洗礼の定義を正しく下さなかったから起きたのです。洗礼が、原罪を消すという事実を言わなくなって以来、人は「では洗礼とは何なのか」と自問するようになり、そのすぐ後に「洗礼を受けて何の良いことがあるのか」と言うようになってしまったからです。たとえ両親がそこまでいっていなくても、彼らは少なくとも、そのような話を聞かされて反省し、緊急なものではないのだと認め、それにどっちにしても、子供は、ちょうど政党や労働組合に加入するように、いつでも大人になれば、キリスト教共同体に参加することができるのだと思うのです。

結婚についても同じ質問が投げかけられています。婚姻は常にその第1目的、そして副次的目的によって定義されてきました。婚姻の第1目的は、人類の繁栄のために天主に協力することであり、副次的目的は夫婦の愛でした。

ところで第二バチカン公会議ではこの定義を変えようとしたのです。そして第1目的というのはもはやなくて、この上の2つの目的は同等だというのです。公会議の最中にこの変更を提案したのは、スエネンス枢機卿(Cardinal Suenens)でした。私は今でもよく思い出すのですが、そのときドミニコ会総長であったブラウン枢機卿(Cardinal Brown)が立ち上がってこう言ったのです。「Caveatis, caveatis!(気をつけて! )もしこの定義を受け入れると、私たちは教会の全聖伝に反対することになり、婚姻の意味を歪めてしまうでしょう。私たちは、教会の聖伝に基づく定義を変える権利がありません。」

ブラウン枢機卿は、警戒を喚起するためにいろいろな文章を引用しました。バチカンの聖ペトロ大聖堂中に大きなどよめきが起こりました。スエネンス枢機卿は教皇聖下から以前使っていた表現を和らげ、さらには変更するようにと頼まれました。Gaudium et Spesという現代世界憲章には、「婚姻の別の諸目的を見下す(posthabere)ことなく」子孫の繁栄のためという目的に強調が置かれていますが、これは非常に曖昧な表現です。ラテン語のposthabereという単語は、「婚姻の別の諸目的を第2次的に置くことなく」とも訳すことができ、これは全ての目的を同一レベルに置くことを意味しています。そして、今日では、婚姻の目的を全て同一レベルにおいて話を進めたがっているのです。ですから今日婚姻について言われる全てのことは、スエネンス枢機卿の発表した間違った観念に基づいているのです。実にスエネンス枢機卿は、夫婦の愛が−−そしてこの夫婦の愛のことを、すぐに、もっと直接的に、生々しくセックスと呼び出したのですが−−婚姻の目的の先頭に来る、というのです。ですから、セックスが目的なのならば、その他の全てのことが許されるようになってしまうのです。たとえば、避妊とか、産児制限とか、堕胎とかです。

一つの悪い定義のために、ご覧ください、私たちは今、全くの大混乱の中にいます。

教会は、その聖伝の典礼において、司祭をして、こう言わしめていました。「主よ、御身が人類の繁栄増殖のために確立した制度を、御身の良さを持って、補助し給え。」教会は、聖パウロのエフェゾ人への書簡の一節を選び、夫婦の相互の関係を、キリストと教会とが結びついているイメージと関係に表現しています。ところで、今では非常にしばしばこれから結婚しようとするカップルは、自分でミサを作るように招かれ、彼らは、ミサ中に読む朗読箇所を聖書から取る必要もなく、別の世俗の文章と取り替えてもよく、婚姻の秘蹟と全く関係のない福音を取ることもできるのです。司祭は、新郎新婦への勧告の中で、彼らがこれから守らなければならない様々な規制や条件などを述べることがないように気を使っています。なぜなら、そんなことを言うと教会はなんて煩いことをいちいち言うのかというイメージを作ってしまうのではないか、またひょっとしたら結婚式に離婚してしまった人たちが参加していて、彼らを傷つけてしまうのではないかと恐れるからです。

洗礼と同じように、段階による婚姻という実験が導入されました。つまり、秘蹟ではない婚姻のことで、これにカトリック信者は躓きます。しかし、司教団はこの実験をするのを黙認し、公式機関の提供するプログラムに従ってこれがなされ、教区の責任者によって勧められています。ジャン・バルト・センターのあるポスターはそのやり方をいろいろ載せています。そのうちの一つがこれです。「テキストを読む。本質的なものは目に見えない(聖ペトロの書簡)。相互の同意の交換はなかったが、手の典礼、すなわち労働の印、労働者の連帯の印。沈黙のうちの(祝福なしの)契約の交換。指輪、溶接、これは新郎ロベールの職業への暗示。彼は鉛管工だからだ。キス。参列の信者による天にましますの祈り。アヴェ・マリア! 新郎新婦は花束を聖母像の前にお供えする。」

式の最後を締めくくる2つの祈りをのぞいて、超自然の要素が全くないこの種の儀式に、秘蹟が取って代わられなければならないとしたら、一体全体何故私たちの主は7つの秘蹟を立てたのでしょうか。今から数年前、ソーヌ・エ・ルワール県のリュニー(Lugny)がよく話題になりました。この「受け入れの典礼」を動機付けるために、新しいカップルに、この典礼の後に決定的に結婚するために、また戻って来たいという望みを与えたかった、と関係者は話しています。しかし、およそ二百件の偽婚姻のうち、二年たっても一組も自分たちの婚姻を正常化させるために戻ってきませんでした。もし彼らがそうしたとするなら、それは、この教会の主任司祭が、二年にわたって、同棲に他ならないものを司式し、たとえ、祝福はしなかったとしても、保証人になったからです。

教会関係のアンケートによると、パリでは23%の小教区が、結婚しようとする二人のうち一人、あるいはりょうほうともが信者ではないカップルに、秘蹟ではない式典をしたことがあるとのことです。これは、社会的な利益のために、家族や、結婚相手を喜ばせるためにそうしたそうです。

カトリック信者はこのような式に参加することは、勿論できません。自称「結婚した」カップルは、教会での式だったとずっと言い続けるでしょうし、自分たちの状況が正常な結婚状態であるとついには信じ込んでしまうかもしれません。特に自分たちの友人たちが同じような結婚式を挙げているのを見るにつけてそうです。道を外れてしまった信者は、何にもないよりはましではないかと自問自答するでしょう。こうして、宗教に対する無関心が定着してしまうのです。こうして、どんな形態をも、市役所に届け出だけの単純な結婚式から、少年少女の同棲生活(このことについては、多くの両親が「理解」を示しています)、そしてついには、フリーセックスまで、何でも受け入れる準備ができてしまっているのです。そのとき、社会の完全な非キリスト教化はもうすぐそこです。もし夫婦が子供たちを養育するために必要な婚姻の秘蹟からわき出る聖寵を得ることに同意しない限り、彼らはこの特別な聖寵を欠いたままです。秘蹟によって聖別されていない家庭の崩壊は日に日に増加し、経済社会委員会を心配させるほどです。最近の経済社会委員会の報告によると、世俗の社会でさえ、家庭、そして似非家庭の不安定による社会全体の崩壊に気がついています。

終油の秘蹟はもはや、本当に、病者の秘蹟ではありません。今ではそれは老人の秘蹟になっています。司祭の中には、これを、臨終の特別な印も見せていない老年の人々に、授けている人もいます。この秘蹟は今ではもはや、死の直前に罪の許しを得るため、天主との決定的な一致を準備する、最後の瞬間を準備する秘蹟ではなくなっています。私の手元にはパリのある教会の中で全ての信徒に配布された、ある通知文があります。これによると、次の終油の秘蹟の日付が載せられています。

「全てのキリスト者共同体のまっただ中において、まだ足の達者な人々のために、感謝の祭儀の司式最中に、病者の秘蹟が司式されます。日付:何月何日日曜日11時のミサにて。」この終油の秘蹟は無効です。

集団主義の精神が、悔悛の司式の流行を呼び起こしました。悔悛の秘蹟は個人にだけしか与えられません。その定義に従っても、またその本質によっても、私が司法行為だと前述したように、これは裁判なのです。ある件について、それが何のことなのかを知らなくて裁くことはできません。個々人の件を裁くためにはそれぞれを聞き、それからその罪を赦すかあるいは赦さないかしなければなりません。ヨハネ・パウロ二世教皇聖下は、この点について何度も強調しました。特に、1982年4月1日には、フランスの司教たちに、個人的な罪の告白の後に個別の罪の許しを与えなければならないことは、「教義上の要請である」と言われました。従って、「教会の規制が緩和された、現代社会の要請に合うように適応された、と言って「和解」の儀式を正当化することは不可能です。なぜなら、これは規律の問題ではなく、教義の問題だからです。

以前には、唯一の例外が存在していました。それは、難船、戦争の時に与えられた共同に与えられた罪の赦しです。こうした罪の赦しの価値については倫理学の権威たちがほかのところで議論を戦わせています。しかし、例外を規則にするのは許されていません。聖座の宣言を調べてみると、パウロ六世の口からもヨハネ・パウロ二世の口からも様々な折りに、次のような表現を見ることができます。「集団に与えられた赦しの例外的な性格」「重大な必要に迫られたときに」「非常に緊急の必要に迫られた非常時の状況に置いて」「例外的な状況において」・・・。

ところがこの種の儀式はほとんど習慣になってしまいました。と言っても、信者が、一年に二,三回以上、天主との関係を正常化させようとはしないので、同じ小教区においてこの儀式が頻繁に行われるわけではありませんが。人はこのような儀式の必要をもはや感じていません。このようなことは予見しておくべきことでした。というのは人々の心から罪の観念が消え去ってしまったからです。どれほど多くの司祭が、悔悛の秘蹟の必要性を言及するでしょうか。ある信者は私に、パリのいろいろな教会のうちで、「受け入れ係の司祭」がいる教会の二,三に、告解しようと行ってみると、よく司祭が告解する信者がいるのにびっくりして、褒めてくれたり、感謝したりする、と教えてくれました。

「司会者」の創造性に任せられたこの儀式には、歌もあります。あるいは、レコードをかけたりします

それから、御言葉の典礼というのが置かれ、次に、「主よ、罪人である私を憐れんでください」と言う答えを会衆が、何度も繰り返す、連祷のような祈り、あるいは、共同での良心の糾明があります。さらに、「全能の天主」で始まる告白の祈りを皆で唱え、そこに参列している人々は、皆が赦しを受けます。ところで、ここに問題があります。赦しを受けたくないと思っている人も、それに反して、赦しを受けるのでしょうか? 私は、ルルドで、この儀式に参加した人々に配られた輪転機で印刷されたビラに、責任者が質問を投げかけてこう書いているのを見ました。

「もし私たちが赦しを得たいのなら、泉の水に手を入れて、そして自分の身に十字架の印をしよう。」そして、最後に「湧き水の水で十字架の印をした人たちに、司祭は按手をする(? )。彼の祈りに心を合わせ、天主の赦しを受け入れよう。」

The Universeと言うイギリスのカトリック紙は、数年前に、2人の司教様方がした行為を支持していました。それは、長年の間教会から遠ざかっていた信者たちを教会に戻らせることでした。司教様たちが出した呼びかけは、行方不明になった青年を捜す広告のようでした。「何々ちゃん家に帰っておいで。叱りませんから。」

これらの将来の放蕩息子らに、こう言っていたのです。「あなた達の司教は、この四旬節の間、喜び、祝うようにあなた達を招きます。教会は、キリストに倣って、教会の全ての子供たちに、たとえ子供たちがそれにふさわしくなく、それを願わなくても、全く自由に簡単に、彼らに赦しを与えます。教会は彼らがそれを受け入れてくれるように願い、また家に戻ってきてくれるように懇願します。長年教会を離れてしまった後でもまた教会に戻りたいと望む人はたくさんいます。しかし、彼らは告解に行こうと決心を立てることが出来ずにいます。少なくとも、すぐには告解をせずに・・・。」

彼らはそこで次のような提案を受け入れることが出来ました。「司教が参加する巡回のミサにおいて、(ここで日時が記載される)そこに参列した人々全てに、自分が過去に犯した全ての罪について赦しを与えるので、それを受け入れるようにとお招きします。そこに参列した人は、そのときに告解する必要はありません。ただ、自分の罪を後悔し、天主に立ち戻るという望みをもち、後に、自分の家にまた受け入れられた後で、告解をするだけで十分なのです。」

「それまでは、彼らは天にまします我らの聖父に『彼らを胸に堅く抱きしめさせる』だけでいいのです。痛悔するという寛大な行為をすることによって、司教は、そこに参列する罪の赦しを望む全ての人々に、赦しを与えます。彼らは、すぐに御聖体拝領をすることが出来ます。・・・」

ルルドの隔月刊誌であるLe Journal de la Grotteは、"General Absolution. Communion now, sonfession later"(全ての罪が赦される。今すぐ聖体拝領して、後に告解)と言うタイトルで、司教様の奇妙な命令が印刷されていました。同誌は、これに解説を付けて、「読者は、これを息吹かせた深く福音的な精神と、人々の具体的な状況を司牧的に理解していることに気づかれるだろう。」

私は、これによって得られた結果を知りません。しかし、問題は別のところにあります。この2人の司教様たちによって発表された罪の赦しは、年末総決算の大バーゲンセールの広告を思い出させます。長くの間教会から遠ざかっており、多分に大罪の状態にある多くの信者に、キリストの御体を拝領させるほど、司牧上の配慮は、教義の問題にまで入り込むことが出来るのでしょうか。勿論できません。この涜聖[的な聖体拝領]の回心というような軽々しい犠牲をどうして払うことが出来るのでしょうか。そして、この回心が、終わりまで堅忍するという多くのチャンスでもあるというのでしょうか。いずれにしても、公会議の前、このような受け入れの司牧が現れる前には、イギリスでは毎年五万人から八万人の回心がありました。しかし、今ではほとんどゼロに落ちています。木はその実で分かります。

カトリック信者は、フランス同様、イギリスでもどうなってしまったのか分からなくなっています。司教様の忠告に従って集団悔悛式に参加し、この状態で御聖体拝領をする罪人、あるいは、背教者はこれほどまでに簡単に与えられた秘蹟の有効性に疑いを持つのではないでしょうか。自分がそれに値しないと思う理由がたくさんあるのですから。この次、もし告解をすることによって「正常化」しないとすると、彼には何が起こることでしょうか。聖父の家に帰ることを失敗した彼は、結局、決定的な回心をするのがますます難しくなってしまうのです。

ご覧下さい。これが教義的に弛緩すると、どこに行き着くかなのです。今、私たちの教区で、これより少ない程度で異常に行われている悔悛の儀式では、キリスト信者は、一体どれほど確信を持って罪が赦されたと思っているのでしょうか。彼らは、プロテスタント信者が持つ同じ不安と、疑いによって引き起こされる内的苦悩に身をさらされているのです。キリスト信者は、この変化によって何も得なかったのです。

教義上だけの問題ではありません。これは、心理学上でも悪い影響があります。ですから、大きな罪がある人に、最初に集団的に罪の赦しを与え、そしてその次になってようやく個別に告解をするというのは、何という愚かなことでしょうか。人は、別の人の前で、良心上大きな罪があるとは言わないものです。それは一目瞭然です。それは、告白の秘密が破られるようなものです。

集団の赦しを得て聖体拝領をした信者は、もう一度告解場の法廷に出る必要を感じないと、付け加えましょう。それは誰でも分かります。和解の式は、個別の告白に付け加えられたものではなく、個別の罪の告白を取り除きそれに替わるものなのです。その他の六つの秘蹟と同様に私たちの主によって制定された告解の秘蹟は、今や絶滅へと道を辿っています。しかし、いかなる司牧上の配慮もこれを正当化することは出来ません。

秘蹟が有効であるためには、質量と、形相と、そして意向が必要です。教皇様でさえもそれを変えることが出来ません。質量は天主[であるイエズス・キリスト]様が制定されました。教皇でさえも「明日は子供の洗礼には、アルコール、あるいは牛乳を使うこと」と言うことは出来ません。また、教皇様でさえ形相を本質的に変えることが出来ません。例えば、「我、天主の御名によって汝に洗礼を授ける」とは言うことが出来ません。なぜなら、キリストはご自身で形相を「おまえたちは聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けよ」と定められたからです。

堅振の秘蹟もやはり良く執行されていません。今日使われている形相は「我、汝に十字架の印をす、聖霊を受けよ」です。しかし、堅振を授ける人は、それによって聖霊を受ける秘蹟の特別な聖寵が何かを言及しないので、秘蹟は無効です。ですから、子供が受けた堅振の有効性に疑いを持つ、あるいは、自分の周囲で為されていることを見聞きし、無効なやり方で子供に堅振を受けさせたくないと言う両親の望みをいつも叶えています。

1975年に、私は幾人かの枢機卿たちの前で自分のやっていることを説明しなければなりませんでしたが、枢機卿は堅振のことで私を叱りました。そのとき以来、私が堅振を授けに回ると、マスコミを使って私を非難し続けています。私は、私に有効な堅振を願う信者たちの願いに答えているのです。それは、たとえそれが合法的(licite)ではないとしてもです。なぜなら、実定法的な教会法が、聖寵の運河となる代わりに天主の自然・超自然の法に対立しているときには、実定法である教会法よりも、天主の自然法と超自然の法が優先されるますが、私たちの生きている時代は、正にその時代なのです。私が時々、通常の態度からはみ出していることをするかもしれませんが、驚いてはいけません。

秘蹟が有効であるための第三の条件は、意向です。司教、あるいは司祭は教会の望むことをするという意向を持たねばなりません。教皇様でさえもこれを変えることは出来ません。

司祭の信仰は必要な要素ではありません。司祭、あるいは司教は、もはや信仰を持っていないことも、より少なく信仰を持っていることも、或いは、必ずしも完全な信仰を持っていないこともあり得ます。しかし、このことは、秘蹟の有効性について直接の影響はありません。しかし、間接的な影響は及ぼしうるのです。教皇レオ13世が、英国聖公会の叙階式は、意向が欠如しているために無効であると宣言したことを思い出します。ところで、何故、聖公会の司教が教会の望むことをすることが出来なかったというと、それは、彼らが信仰を失ったからです。信仰とは、天主と信じるということに限りません。使徒信経の中に含まれている全ての真理、つまり、「我は一,聖、公、使徒継承の教会を信ずる」という信仰を、彼らは失ったからです。

信仰を失った司祭においても同じことがいえるのではないでしょうか。私たちは既に、トリエント公会議の定義に従って御聖体の秘蹟を執行しようとは、もはや望まない司祭たちを現に見ています。彼らはこう言います。「違いますね。トリエント公会議はもうずっと前に時代遅れになっています。私たちは第二バチカン公会議を開いたのです。聖体とは意味が変化し、目的が変化することです。全実体変化ですって? そんなのはもうありません。天主の聖子がパンと葡萄酒の形色のもとに実在するですって? そんなの、今の時代にもうありませんよ! 何を言ってるのですか、まったく!」

司祭がこんなことをあなたに言うとき、聖変化は無効です。ミサはありません。聖体拝領もありません。何故かというと、トリエント公会議が御聖体について定義したことは、キリスト信者は、これを信じる義務が、時の終わりまであるからです。ある一つの教義の用語を明確に表現することは出来ますが、用語を変えることはもはや出来ません。それは無理です。第二バチカン公会議は何も付け加えませんでしたし、何も決定しませんでした。第二バチカン公会議はそれをすることが出来なかったのです。全実体変化と言うことを受け入れないと宣言する人は、トリエント公会議の正に言うとおり、排斥されたものです。つまり、教会から離れたものです。

ですから、この20世紀の後半におけるカトリック信者は、自分たちの祖先に勝って注意深くなければなりません。そうすれば新しい神学の名において、宗教に関して何ら新しいことを強制することもできないでしょう。なぜなら、この新しい宗教の望むことは、教会の望むことではないからです。

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