2012.05.18

大阪梅田教会はフリーメイソンのモニュメントである 6

6.参考
おさなごの目の方がよほど確かである
今回の一連の記事を書きながら、私はもちろん、いろいろと検索したわけだが、その途中、「ある教会」の奇異なることに気づいた人がほかにもあることを発見した。
その人は慎重な人で、そのように教会名を伏せていたりするから、その記事をあまり宣伝して欲しくないかも知れない。しかし、紹介させてもらう。
画像を小さく頂く。記事へは画像をクリック。
 
ある教会 = 大阪梅田教会、である。
彼は可愛いお子さんをお持ちだ。この子に福いあれ。
(でも、もう連れて行かないでね)
松浦補佐司教様、菊地司教様、このような事に関しては、おさなごの目の方が、あなた方の目より、よほど確かではありませんか!
第二の記事。これは大阪梅田教会に関してではなく、大阪カテドラルに関しての記事である。
この図柄(左)が大阪カテドラルの「最も聖なる場所」にあるというのである。
「三角形の中に目がかかれているのは、必ずしも、フリーメーソンのシンボルとは限りません」とは、聖ピオ十世会の小野田神父様の言である(参照)。私も一応はその通りなのだろうと思う。
しかし、大阪はこれほどのもの(大阪梅田教会)を持つに至ったのである。だから、私はやはり、カテドラルにあるその図柄もフリーメイソンのものである可能性が高いように思う。
というのは、あらゆる物事はそれ単独で起こらず、仏教的な言い方になるが、必ず他のものとの「縁」を通じて起こるものだからである。大阪梅田教会、この小振りだが質としては世界レベルの(Sinister Sites への登録に値する)フリーメイソンの記念碑も、自身にとって何の「縁もゆかりもない」場所に、ある日突然、降って湧いたように建つことはできなかっただろう。
コメント欄にそれをうかがわせるものがある。人はそれを「未確認情報」と言うかも知れない。しかし、人は未確認情報からでも警戒を覚えるべきである。
前回、「大阪大司教区は『持たされた』のである」と書いたが、その読者コメントが示唆するように、大阪大司教区にそれを持たせた者は、外国に居る者、あるいは大阪大司教区に居る者とは限らないのではないだろうか。
大阪大司教区は「持たされた」のではなく、自ら進んで「持った」のかも知れない。
私も、「事実性を超えて、いたずらに不安を煽る」ことはあまりしたくないが、それでも、ここに一つの質問を置いて、この一連の記事を終えようと思う。
「大阪大司教区には何が居るのか?」
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