不気味? わかる。私も最初、少々そう感じた。けれど、考えてみれば、私達の日常的感覚にとっては「常ならぬもの」=「得体の知れないもの」なのではないか。もし私達が主の時代に在って、ラザロの復活や、「私の肉を食べ、私の血を飲まなければ」という主の御言葉に触れたなら、やはり「不気味」と感じたのではないか。だから、時々は、自分の目をチェックすることも必要だろう。
2009/9/26
聖ミカエル崇敬のためのヴィジルにて
2009/11/21
聖マリアの御奉献の祝日のヴィジルにて
リトル・ペブル?
リトル・ペブルは大したものではなかった。
それは実際、“小さな石” だった。
“彼ら” が置いた、小さな “躓きの石” だった。
けれど、
おそらく彼らも予想しなかったほど、
意外と効果があった。
リトル・ペブルはね、
ベイサイドをつぶすためのものだったんだよ。
同一視させるためのね。
皆、見事にそれに引っかかった。
口を揃えて言った。
「ベイサイドとリトル・ペブルは同じだ!」
もちろんベイサイドは
それ自身に常識では受け入れがたい内容があるから、
リトル・ペブルがなくてさえ
支持者は少なかったろう。
けれど、
ベイサイドの失墜に弾みをつけるためには、
リトル・ペブルはなかなか効果があったんだよ。
人は目を洗う暇もなかった。
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