これでも霊的なこと-----幻視とか、ロキューションとか-----に対しては慎重な姿勢を持っているつもりなのだけれど、この度、マリア・シンマという人に関する本を手に取ってみました。
こんなことが書かれていました。
奉献されていないわれわれの手の上に、ご聖体を受けてもよいのだろうか
ある司祭の霊魂が私のところに来ると、自分は非常に苦しまなければならないので、彼のために祈ってくれるようにと願いました。それ以上のことは何も言うことができずに、消えました。その後、他の霊魂がそのことについて私に説明してくれました。
「あの司祭はとても苦しまなければなりません。なぜなら彼は、信者の手にご聖体をくばる方式を取り入れたうえに、ひざまずいてご聖体を受けるために必要な拝領台も取り去らせてしまったからです。取り去られた拝領台をもとの場所に置き直し、あの司祭によって、手の上にご聖体を受けるように習慣づけられてしまった人々に、もうそのようにしないように奨励することによって、この霊魂を助けることができます」。
(中略)
また別の司祭の霊魂も何回か私の所に来て、彼も教会の中の拝領台を取り去り、信者に立ったままで聖体拝領をすることを強制する結果をもたらしたために、とても激しく苦しんでいると訴えました。
このような事実から考えますと、そこには何かうまくいかないことがあるということが理解できます。パパ様が、立ったままでもご聖体を受ける許可をお与えになったということは本当です。しかし、ひざまずきたいと願う人には、それが可能であるようにしなければならないのです。パパ様は、このように望んでおられます。また私達も、このことを各司祭に主張することができます。
もし神父様や司教様たちが、手の上への聖体拝領の方式を取り入れたことについての彼らの責任が、どれほど大きなものであるかを知ったなら、勿論それをしないでしょうし、人々に許すこともしないでしょうに。
マリア・シンマ「煉獄の霊魂の叫び」天使館 P80-81 より